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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2007年11月26日

レスター・ブラウン氏「過去からの学び」(2007.11.17)

水・資源のこと
 

デニス・メドウズ氏、元気に京都から日本入りしました。米国からヨーロッパに行って、何ヶ国かで会合に出たり講演をしたりしたあと、日本着です。「この9日間で8つものベッドで寝ているんだよ」と言いながらも、元気そうでほっとしました。

京都入りしたのは、立命館大学サスティナビリティ学研究センター、国際社会経済研究所、ゴルバチョフ財団、京都新聞社による「グローバリゼーション・フォーラム2007 地球環境と人類の未来-ポスト京都への選択-」に出るためです。私もお招きいただいたので、京都で合流しました。

フォーラムは、デニスのほか、元ソヴィエト連邦大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏、中国 国家発展改革委員会 エネルギー研究所 前所長の周大地氏、そして、パネル・コーディネーターは立命館大学政策科学研究科教授の佐和隆光氏という豪華メンバーでした。デニスの基調講演は、いつもながら聞き応え・考え応えのある内容でした。

中国の周氏の講演のあとの質疑応答で、私も質問をさせてもらいました。

「ひとつ教えて下さい。中国は発展途上国であって、先進国のようにエネルギーも使っていない、まだまだ貧しいので経済成長が必要だというお話でしたが、中国の人口の10%は富裕層だと聞いたことがあります。

1割というと大した率に思えませんが、それでも中国の人口の1割といえば、日本の総人口に相当します。つまり、中国という国の中に、日本ぐらいの大きさの豊かな国があるといってよいのではないでしょうか。

人口一人当たり、という平均値にしてしまうと、そのあたりが見えなくなってしまいますが、まだまだ経済成長が必要というのは、地方の貧しい人々の生活水準を上げるためにはそのとおりでも、すでに豊かな人々をさらに豊かにするためではないのではないか、と思います。

世界が、先進国と途上国を分けて温暖化対策を考えているように、中国でも、このような富裕層と貧しい層を分けて、特に富裕層のエネルギー消費やCO2排出を抑えるための対策などを考えたり実施したりなさっているのでしょうか?」

周氏は、「よい質問をいただきました」と受けて下さり、「中国でもそのような方向への変化が始まりつつある」と教えて下さいました。量的な成長から質的な発展へ、発展のスピードから発展の質へ、という考え方の転換が少しずつだが起こりつつある、というお話でした。

さて、京都でのフォーラム後、デニスと一緒に東京に戻ってきました。

今日の午後は「成長の限界についての特別ワークショップ」です。明日の札幌でのフォーラムは500人募集のところ、700人以上が応募されたとのこと。多くの方々にデニスの話を聞いてもらえることをとてもうれしく思っています。

20日の国連大学でのフォーラムは200人近くの登録をいただいています。会場は300人まで入れますので、まだ受付中です。よろしければぜひどうぞ!

「デニスの基調講演は、いつもながら聞き応え・考え応えのある内容でした」と書きました。なぜそうなのでしょう? それは、目の前の事象だけを取り上げるのではなく、もっと大きな動向やうねり(過去も未来も)、そして、そういった動向やうねりを創り出している「構造」そのものに、つねに焦点を当てているからなのでしょう。事象を動かしている本質的なものを見せてくれるからです。そういう意味で、ワークショップも講演もとっても楽しみなのです!

そして、同じように、目の前の事象だけを取り上げるのではなく、もっと大きな動向やうねり(過去も未来も)、そして、そういった動向やうねりを創り出している「構造」そのものに、つねに焦点を当てて、わかりやすく伝えてくれる人がもうひとりいます。レスター・ブラウン氏です。

レスターからの最近のニュースレターを、実践和訳チームの翻訳でお届けします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

アースポリシー研究所『プランB2.0』より

過去からの学び
レスター・R・ブラウン

環境問題がひきがねとなり経済衰退の可能性に直面するのは、21世紀の私たちの文明が初めてではない。問題は、このような事態に私たちがいかに対処したらいいかということだ。幸いにも、私たちには自由に利用できる素晴らしい財産がある。それは環境問題に直面し、それに対処できなかった古代文明に何が起こったのかが分かる考古学上の記録である。

ジャレド・ダイアモンドが著書『邦題:文明崩壊』(Collapse)の中で指摘したように、かつて、環境問題に直面しながらも自分たちのやり方を変えることによって、文明の衰退と崩壊を免れることができた社会があった。

例えば、600年前、アイスランド人は、高原の草地での過剰な放牧によって、もともと薄い土壌が広範囲に失われていくことに気づいた。牧草地を失い、経済の衰退に直面しないように、農民たちは団結して高原で放牧できる羊の頭数を定め、それぞれに割り当てを行った。こうして彼らは牧草地を守り、ギャレット・ハーディンが後に「共有地の悲劇」と名付けた事態を免れたのだ。

アイスランド人たちは過放牧を続けるとどうなるのかを理解し、羊の放牧数を持続可能な頭数にまで減らした。私たちも、化石燃料を燃焼し、二酸化炭素が大気中に蓄積されていくとどうなるのかは分かっている。しかし、家畜頭数を減らすことができたアイスランド人とは異なり、私たちはいまだに二酸化炭素の排出量を減らすことができずにいる。

アイスランドでは、今でも毛糸が生産され、経済が繁栄しているが、すべての社会がアイスランドのようにうまくいったわけではない。紀元前4000年に栄えた古代シュメール文明は、それまでにないほど進歩した素晴らしい文明だった。入念に設計された灌漑設備は、農業の生産性を大きく向上させて余剰食物を生み出すまでとなり、世界最初の都市が生まれる基盤となった。灌漑システムの管理には、高度な社会組織が必要であったため、シュメール人は世界で初めて都市を建設し、楔形文字という世界最初の文字言語を使用するようになったのだ。

どの点から見ても、シュメール文明は卓越していた。しかし、その灌漑システムには設計面で環境に対する配慮が欠けており、最終的には食糧供給が破綻したのだ。当時ユーフラテス川の各所に築かれたダムによって堰き止められた水は、重力方式により国内に張り巡らされた運河に流れていた。水は作物の栽培に利用されていたが、蒸発もし、また地下にもしみこむ。この地域は地下の水はけが悪く地下水位は徐々に上昇した。やがて水は地表近くにまで達すると大気中に蒸発し、後に塩分を残すようになったのだ。時とともに塩分は地表に蓄積し、作物の収穫量が減少していった。

塩分が蓄積され小麦の収穫量が落ちてくると、シュメール人は塩害に強い大麦の栽培に転換し始めた。これはシュメール文明の衰退を遅らせるものではあったが、所詮はその場しのぎの対策であり、収穫の減少を根本から解決するものではなかった。塩分の蓄積が進むと、大麦の収穫にも悪影響が出るようになった。食糧供給が乏しくなり、その結果がかつては偉大な文明を誇ったシュメールの経済基盤を揺るがせることになったのだ。土地の生産力が落ちるとともに文明は衰退していった。

考古学者のロバート・マック・アダムスが、ユーフラテス川の中央氾濫原に広がる古代シュメールの遺跡を調査したことがある。そこは農耕地域から離れ、今は何もない荒野と化した場所だが、その場の様子を彼は次のように記述している。「複雑にうねった砂丘、長い間使用されないままの運河の船着場、それに当時の住居跡を示す瓦礫の山、それは何の変哲もないレリーフを思わせる。草木はまばらで、どこを見ても全く人影もない。......しかし、ここにはかつて世界の中核となる都市が存在し、世界最古の高度な都市文明が栄えていたのだ」

アメリカ大陸でシュメール文明と同じような運命をたどったのが、現在のグアテマラの低地で発達したマヤ文明である。この文明は西暦250年頃から繁栄を続け900年頃に崩壊した。シュメール人同様、マヤ人たちも高度な技術を生み出し、生産性の高い農業を発展させていたのだ。段々畑を作り、その周りに水路を巡らし、そこから水を引き込んでいたのである。

シュメール文明同様、マヤ文明が滅んだのも明らかに食糧供給の破綻が関係していた。マヤ文明の場合は、森林の伐採と土壌の浸食によって農業が衰退していったのだ。それには気候の変動も影響していたかも知れない。いずれにしろ、食糧不足がマヤの諸都市間の食糧獲得をめぐる争いに火をつけたことは明らかだった。今日、この地はジャングルに覆われ、再び自然に征服されている。

マヤ文明後期の数百年の間、マヤから遠く離れたイースター島でまた別の新しい社会が発達していた。南太平洋に浮かぶこの島は、面積が約166平方キロメートル、南米大陸からおよそ3,200キロメートル西にあり、人間が住む一番近いピトケアン島からでさえ2,200キロメートルも離れている。イースター島の文明は西暦400年頃に安定し、豊かな土壌と青々と茂る草木――幹の直径2メートル、高さ25メートルに成長した木々もある――に覆われた火山島で繁栄した文明だ。考古学の記録によると、島民の主食は海産物で、特にイルカを食していたという。島民たちにとって、この哺乳動物を捕らえる唯一の方法は、大型の海洋カヌーの上からモリで突くというやり方だった。

イースター島の社会は数世紀にわたって栄え、人口は2万人に到達したと推定されている。ところが、人間の数が徐々に増えるにつれ、樹木の伐採量が森林の持続可能な生産力を上回ったために、とうとう頑丈なカヌーを作るために必要な大木が姿を消してしまった。島民はイルカを捕ることができなくなり、島の食糧供給量は目に見えて落ち込んだ。考古学上の記録によると、ある時点で、人間の骨がイルカの骨と混ざり合うようになったことが分かるが、これは人食するしかなくなった絶望的な社会だったことを示している。現在、この島の人口は4,000人にも満たない。

これらの古代文明について答えの出ない問題が一つある。それは、それぞれの文明社会を生きた人々が、文明が衰退した原因を知っていたかどうかということだ。例えば、シュメール人は、水分が蒸発して土壌中の塩分濃度が上昇したために小麦生産量が減少していたということを分かっていただろうか? もし分かっていたのなら、彼らは地下水位を低くするための政治的支援を単に得ることができなかっただけなのだろうか? まさに、現在の世界が炭素排出量をうまく減らすことができず四苦八苦しているのと同じように。

これらの文明は、自然が持続できない方向に経済が進んでしまった多くの古代文明の中の3つの例にすぎない。そして私たちもまた、このような道を進んでいる。環境悪化を示す傾向はどれも、現代の文明を蝕む可能性がある。古代シュメール文明の経済を象徴する灌漑設備に欠陥があったように、現代経済を特色づける化石燃料エネルギーのしくみにも欠陥があるのだ。古代文明の経済を蝕んだのは上昇する地下水位だったが、今ではCO2濃度の上昇が私たちの経済発展を脅かしている。どちらの場合も、その動きは目に見えない。

古代文明が崩壊した原因はさまざまだ。シュメール文明は耕作地の塩害、マヤ文明は森林破壊と土壌浸食、イースター文明は森林資源の枯渇と遠洋漁業の漁獲高減少が崩壊の原因だった。しかし、原因が何であろうと、これら3つの古代文明の崩壊は食糧供給量の低下が関係していたことが見てとれる。地下水位が下がり、気温が上昇し、石油の供給量がまもなく減ろうとしている今の時代に、60億人を超える世界人口に対して年間7,000万人以上が増加しているという状況は、食糧供給が再び環境と経済をつなぐもろい絆となる可能性を示唆しているのだ。

出典:レスターR.ブラウン著『邦題:プランB2.0―エコ・エコノミーをめざして』
(Plan B 2.0: Rescuing a Planet Under Stress and a Civilization)
第1章 「二一世紀の世界は『余剰』から『不足』の時代へ」(2006年、W.W.ノートン社、ニューヨークより刊行)

さらに詳しい情報は、アースポリシー研究所のウェブサイトを参照
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(翻訳:横内若香、酒井靖一、荒木由起子)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

来週いっぱい、デニス・ウィークがつづきます。そのあと少しして、今度はワシントンに行って、レスターと4日間ほど会います。

楽しみがつづく晩秋です。(^^;

 

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