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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2008年04月18日

レスター・ブラウン氏「新世界の本質」(2008.4.18)

 
オマーンでの会合では、午前中は全体会で、午後は分科会となっています。分科会では、7~8種類のいろいろなワークショップが開催されており、テーマや関心にあわせて参加する形になっています。 半年ほどまえだったと思いますが、「分科会の開催希望者はペーパーを出すように」という呼びかけがありました。私たちもせっかく日本から行く機会なので、聞いて帰ってくるだけではなく、会議にも貢献し、自分たちもそれをきっかけに勉強しよう、と思い、ペーパーを出しました。 開催できる枠よりも多くの希望が集まったため、レビュー委員会が設置されました。複数のレビュー委員が、ペーパーを読んで、会議参加者の役に立ちそうかなどをいくつかの尺度で評価します。なぜか私たちもレビュー委員を頼まれたので、20ほどのペーパーに目を通して評価しました。(もちろん、自分たちのペーパーは回ってきませんでした、、、回ってきたら満点をつけたのですが!^^;) レビュー委員会の評価のあと、デザインチームという、会議全体のデザインをしているチームが最終決定し、幸い、私たちのワークショップは、取り上げてもらえることになりました。 Sustainable Solutions to "Limits to the Growth" Archtype というタイトルです。「成長の限界」の原型に陥ってしまっているいまの世界の持続可能性の問題を解決するため、どのような解決策や介入があるかを、システム思考を用いて、みんなで考えよう、という内容です。 90分の時間はあっという間に過ぎ、参加者にも喜んでもらえ、自分でもいろいろな学びや気づきがあって、うれしく思いました。会議の手伝いをしながら参加しているというオマーンの大学生たちが、目をきらきらさせながら懸命にノートをとり、考え、意見を述べていたようすが印象的でした。終わったあと、私たちのところへ来て、「プレゼン資料もくれませんか、これまでになかった新しいものの見方を教えてもらって、すごくよかった、うれしい」と。 今回の内容はパイロット的な意味合いもあったのですが、考える枠組みとしてとても役立つという手応えが得られたので、5月8~9日の集中ゼミでも取り上げて、参加者といっしょにさらに深く考えていきたいと思っています。 さて、これも機内で準備したものですが、前号につづいて、レスター・ブラウン氏のアースポリシー研究所からの『プランB 2.0より』をもうひとつ。実践翻訳チームが訳してくれました。 ~~~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~~ 新世界の本質 http://www.earth-policy.org/Books/Seg/PB2ch01_ss2.htm                          レスター・R・ブラウン 新世紀に突入したのはついこの間のことだが、私たちは同時に「新世界」にも足を踏み入れようとしている。この新しい世界では、「人間の需要」と「それを充足させる地球」とのせめぎあいが日常茶飯事になりつつある。また作物を襲う熱波がやってきたり、砂嵐に侵されて新たに村が捨てられるのかもしれない。あるいは、また一つ帯水層が干上がるのかもしれない。 この流れを覆すようすばやく手を打たなくては、こうしたぽつんぽつんと隔絶されたところで起きているように思える現象が次々と頻発するようになり、積み重なり、組み合わさって、私たちの将来に決定的な影響を及ぼすことになるだろう。 地質年代的に見て10億年以上も蓄積されてきた資源が、人間一人の一生分の年月の間に消費されようとしている。人間は、目には見えない自然の限界を超えて、それとは気づかぬうちに、越えてはならない一線を踏み越えようとしている。ここに述べているような限界点は自然が定めるものであり、政治的な交渉で変えられるものではない。 自然には多くの限界がある。しかも人間は、手遅れの状態になってはじめてそのことに気づく。この目まぐるしく進んでいく世の中では、私たちが「自然の限界を超えてしまった」と自覚するときには、解決するのにあとわずかの時間しか残されていない。 例えば、持続可能な漁獲量を超えてしまうと、漁業資源は減少し始める。いったんこの限界を超えてしまったら、私たちはわずかな手持ち時間で、漁業の手を緩め、漁獲量を減らさなくてはならない。仮にこの漁獲量の限界点がどこかを見極められなかったら、漁場がもはや存続不可能となり崩壊してしまうほどに、魚の量が低減することになる。 経済の衰退を示す主な指標は、経済ではなく環境であることを、私たちは数々の古代文明から学んでいる。まずは木がなくなり、続いて土壌が、そしてついには文明そのものが姿を消すのだ。このような一連の流れは、考古学者にとってあまりにもおなじみの現象である。 だが現代の私たちは、さらなる難題に挑んでいる。というのも森林の減少や土壌の浸食に加え、低下する地下水位、頻繁に起きる作物を襲う熱波、漁場の崩壊、砂漠の拡大、放牧地の劣化、サンゴ礁の死滅、氷河の融解、海水面の上昇、威力を増す嵐、種の絶滅、さらには間もなく、石油供給量の先細りといった問題にも対処しなければならないからだ。 こうした環境面での壊滅的な兆候は、ここ最近目に見えて明らかになってきた。これまでに、国家レベルでは解決に取り組んだ問題もあったが、世界レベルで立ち向かったものは一つもない。 要するに、世界は環境学者が描いた「行き過ぎて崩壊する」シナリオの通りに進んでいる。人間の需要が自然の持続可能な産出量を超えてしまったことは、地域レベルでは過去に何度もあった。 しかし、それが世界レベルで起きるのは初めてのことである。世界全体で森林が減少している。漁場の崩壊は世界各地で起こっており、あらゆる大陸で草地の劣化が起きている。多くの国で地下水位が下がっており、二酸化炭素(CO2)排出量は、同ガスを隔離できるレベルを超えている。 2002年、マティス・ワケナゲル氏(現グローバル・フットプリント・ネットワーク代表)率いる科学者チームが、「全人類の需要が初めて地球の再生能力を上回ったのは1980年頃だった」という結論を下した。米国科学アカデミーが公表したこのチームの研究では、1999年の世界全体の需要が地球の再生能力を20%も上回っていたと推定されている。 実際、人類の需要と地球の再生能力の格差は、年におよそ1%ずつ拡大し続け、今ではかなり大きくなっている。私たちは、まるで衰退と崩壊の準備をしているかのように、地球上にある「自然」という財産を食いつぶしながら現在の需要を満たしているのだ。 地球上において人類はどれほどの存在なのかを物理的にとらえようと、かなり独創的な計算をした人がいる。米国のエアロバイロメント(AeroVironment)社の創立者で会長、さらに世界初の太陽電池式飛行機の設計者でもあるポール・マクレディ氏だ。 彼は、陸上と大気中に存在する脊椎動物をすべて合わせた重量を計算し、農業が始まった頃の人間とその家畜、ペットの総重量は、脊椎動物の総重量の0.1%にも満たなかったと指摘している。同氏の推定によると、それが現在では98%に及び、シカ、ウィルドビースト(ヌー)、ゾウ、ネコ科の猛獣、鳥、小型哺乳類といった野生動物の重量は残りのわずか2%だという。 環境学者は、「行き過ぎて崩壊する」現象になじみが深い。彼らがよく挙げる例の一つは1944年に始まる。この年、沿岸警備隊は29頭のカモシカをベーリング海に浮かぶ孤島セントマシュー島に運んだ。島にある沿岸警備隊の基地で働く19人の男たちの予備食糧として使うためだ。1年後、第二次世界大戦が終わると島の基地は閉鎖されたが、警備隊員たちは島に残った。 その後、1957年にセントマシュー島を訪れた米国魚類野生生物局の生物学者デヴィット・クラインは、1,350頭ものカモシカを目の当たりにした。カモシカたちは、332平方キロメートルの島を厚く覆うコケなどの地衣類を餌に繁殖したのだ。カモシカを狙う捕食動物はいなかったため、その頭数は急増し、1963年までには6,000頭に到達した。 ところが、デヴィットが再度島を訪れた1966年、島の状況は違っていた。カモシカの骨が散在し、地衣類も少なくなっていた。生き残ったカモシカはわずか42頭で、そのうち41頭がメス、1頭が健康とはいえないオスだった。子どものカモシカはまったく見当たらず、残っていたカモシカも1980年頃までには死んでしまったという。 セントマシュー島のカモシカのように、私たちも自然資源を過剰に消費している。 「行き過ぎ」はあるときは衰退を、またあるときは完全崩壊を導く。もちろん、どちらになるかは必ずしも明らかではない。だが、衰退した場合、残された人間と経済活動は、資源が枯渇した環境で生き延びなければならない。 例えば、南太平洋のイースター島では、環境資源基盤が低下するにつれて島の人口も落ち込んだ。何世紀か前のピーク時には2万人だった人口が、今日では4,000人にも満たない。一方、完全崩壊した例は、グリーンランドで500年続いた古代ノルウェー人の入植地である。この入植地は1400年代に崩壊し、環境上の困難に直面して完全に姿を消してしまった。 世界人口は増加の一途をたどり、経済を支える自然の維持システムが悪化するばかりだというのに、世界は後先も考えず無謀に石油を掘り続けている。石油産出はまもなくピークに達し減少に転じるだろうというのが、今や主な地質学者たちの意見だ。それがいつ起こるのか、正確な時期は誰にもわからないが、すでに石油の供給は需要にまったく追いつかなくなっており、石油価格の上昇に拍車をかけている。 底なしとも思える自動車燃料の需要を目の当たりにして、農家は、サトウキビやアブラヤシなどバイオ燃料にできる多収穫作物を生産するために、残された熱帯雨林を次から次へと開発しようとするだろう。こうした動きにすでに何十億ドルもの民間資金が流れこんでいる。実際、石油価格の上昇は、地球の生物多様性に対し、新たに大規模な脅威を生み出しつつある。 農産物への需要の高まりに伴って、国際貿易の関心事は、従来目ざしてきた「市場の確保」から「供給の確保」へと焦点が移りつつある。食を輸入穀物に大きく依存する国々の間では、燃料生産用の買い手によって穀物に高値がつけられるのではという懸念が広がり始めている。石油確保が危うくなれば、食の確保も同様に危うくなるのだ。 石油の役割が小さくなれば、グローバル化の流れは根本的に逆転するだろう。世界が石油に依存していた20世紀、エネルギー経済はグローバル化が加速し、世界はエネルギー供給をほんの一握りの中東の国々に大きく依存することになった。 今世紀に入り、世界の注目が風力や太陽電池、地熱エネルギーに向けられている今、私たちは、世界のエネルギー経済が地域に特化する「ローカル化」を目の当たりにしている。 世界には、地政学的リスクが大きな要因となる「不足の時代の政治」が出現しつつある。それは、中国、インドをはじめとする発展途上諸国が石油供給を確保しようとする取り組みの中に、すでにかなり明らかに見えている。将来的には、中東の石油のみならずブラジルのエタノール、北米の穀物を誰が手にするのか、ということが焦点となってくる。 すでに、ほぼ世界中の土地や水資源が、過度な需要の圧力にさらされているが、バイオ燃料への需要が高まるにつれ、その圧力はさらに増大するだろう。不足の政治は、ある文明が「行き過ぎて崩壊する」シナリオをたどっていることを示す初期の兆候だ。マヤ文明の衰退期にも、都市同士が食糧を奪い合う中、こうした不足の政治が姿を現していた。 環境に見られる最近の傾向がこのまま続けば、世界経済がやがて崩壊に至ることは、環境学者ならずとも誰の目にも明らかだ。私たちに足りないのは知識ではない。問題は、時間切れになる前に、各国政府が人口を安定させ、経済を再構築することができるかどうかである。 出典:レスター・R・ブラウン著『プランB2.0――エコ・エコノミーをめざして』    (Plan B 2.0: Rescuing a Planet Under Stress and a Civilization)    第1章「21世紀の世界は「余剰」から「不足」の時代へ」(2006年、W・W・ノートン社、ニューヨークより刊行)    www.earthpolicy.org/Books/PB2/index.htmからも入手可能。 さらに詳しい情報は、アースポリシー研究所のウェブサイトを参照 www.earthpolicy.org 問い合わせ先: メディア関連の問い合わせ: リア・ジャニス・カウフマン 電話:(202) 496-9290 内線 12 電子メール:rjk @earthpolicy.org 研究関連の問い合わせ:ジャネット・ラーセン 電話:(202) 496-9290 内線 14 電子メール:jlarsen @earthpolicy.org アースポリシー研究所 1350 Connecticut Ave. NW, Suite 403Washington, DC 20036 www.earthpolicy.org (翻訳:長谷川浩代、荒木由起子、山本夕佳)
 

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