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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2009年04月13日

ヨアン・ノルゴー氏「脱線した成長論争」(2009.04.13)

大切なこと
新しいあり方へ
 

<内容>

■いよいよ今週末です! 『デニス・メドウズ×田坂広志 未来を考える』フォーラム

■「成長の限界」が正しく評価される日はいつ来るのか?

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■いよいよ今週末です! 『デニス・メドウズ×田坂広志 未来を考える』フォーラム

デニス・メドウズ氏は米国を発って日本へ向かっているところです。デニスと田坂さんをお迎えしての、構造と法則から未来を考えるフォーラム、いよいよ今週末となりました。お申し込みいただいた方々とともに、心待ちにしているところです。

広い会場を借りているため、まだお席に余裕がありますので、よろしければぜひおいでになりませんか? この顔合わせは史上初めてかつ最後ではないかと。(^^;


■「成長の限界」が正しく評価される日はいつ来るのか?

デニス・メドウズ氏の長年の友人・仲間でもあるデンマーク工科大学 ヨアン・ノルゴー氏が書いて送ってくれたものを、ぜひ日本の方々にも読んでいただきたくて、翻訳トレーニング中のメンバーと独り立ちして活躍中の翻訳者に手伝ってもらって、日本語にしました。ちょっと長いですが、ぜひどうぞ。

18日のフォーラムでも、このあたりの話がデニスから直接聞けるのではないかと思っています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

脱線した成長論争

デンマーク工科大学 ヨアン・スティグ・ノルゴー

1972年刊行の報告書『成長の限界』を批判した何人かの人々が、同書の内容と何の関係もない立場にもかかわらず、環境に関する議論から最も本質的な側面を奪ってしまった。

1972年の先駆的な報告書『成長の限界』(Meadows et al. 1972)が間違いであったことを示唆するものは何もなさそうだ。だが批判者の一団が、報告書の結論を本能的に拒否することで議論を脱線させたのは間違いだった。彼らには、西欧社会の2世紀にわたるめざましい生産と消費の拡大がいつか限界に達する可能性があると、どうしても想像できなかったのだ。

コペンハーゲンで開催される2009年国連気候サミットが近づく中、環境と資源に対する新たな関心が生まれたことで、36年間にわたって行われた成長と環境についての議論を振り返ることは意義があろう。

『成長の限界』は、世界の人口、資源利用、汚染、生産などで起こり得るトレンドを、持続可能なものもそうでないものも含めて長期的に分析しており、何度もこれらの議論の的になった。出版されて30年あまりたった今、この報告書は驚くほど正確であるといえる。

今日の環境問題専門家でこの古い報告書のことを知らない人はほとんどいない。1970年代初頭に、30の言語に翻訳されて約3,000万部を売り上げ、環境論争に転機をもたらした書である。しかし、読者の多くは残念ながら、この報告書を「地球最後の日の予言」だとして拒絶する時流に乗ってしまったが、そのような批判は、内容を吟味すれば持ちこたえられるようなものではなかった。

マシュー・R・シモンズは環境問題専門家でなく、世界最大のエネルギー投資会社、シモンズ&カンパニー・インターナショナルの社長であったが、彼もこの「絶望的な」報告書についてのあてこすりをたくさん聞いていた。批判者たちは「この本には、石油が2000年以前に使い尽くされるだろうと書かれている」と主張している。例えばLomborg (2001, p. 121)がそうだ。

実際、シモンズは強く好奇心をそそられ、数年前ついにこの本を読んだ。そして、この本に対する批判は概して本の内容とは無関係であることを発見し、非常に驚いた。「『成長の限界』を読んで、私は驚いた。この本のどこにも、2000年までに何かがなくなるとは書かれていなかった......。まして、2000年までに石油不足が起こる、あるいはある資源が限界になるとは一文どころか一言も書かれていなかったのだ」(Simmons 2000, p. 11)。

彼はこの報告書には正しい発展の姿が幅広く描かれていると結論づけている。さらに、人類は行動する代わりに批判することでこれまでの30年を無駄にしたと憤慨した(Simmons 2000)。


さまざまなシナリオ

『成長の限界』の中で真に述べられていたのは何だったのか? 本書の主な結論は次のように始まる。

「世界人口、工業化、汚染、食糧生産、資源枯渇の現在の成長傾向がこのまま続くならば、今後100年以内のある時点で地球上の成長は限界に達するであろう。もっとも起こる見込みの強い結末は、人口と生産能力のかなり突然の、制御不可能な減少であろう」(Meadows et al. 1972, p.23)。

多くの人にこの本全体が終末予言だと思わせたのは、成長傾向が続くといかにして崩壊に至るかを説明したこの1つのシナリオであった。マスメディアはこの衝撃的な解釈を熱心に報道し、多くの読者は結論のセンセーショナルな部分を読んでその後を読むのを止めたようだ。

しかし、この結論には続きがあって、ずっと明るいシナリオがこう書かれている。「こうした成長傾向を修正し、将来長期にわたって持続可能な生態学的・経済的な安定性を確立することは可能である。地球上のすべての人の基本的な物質的ニーズを満たし、すべての人が個人としての人間的能力を実現するため平等な機会を持つように、この地球全体の均衡状態を設計することは可能であろう」。

そして最後に、人類が成長路線の転換を「始めるのが早ければ早いほど、成功するチャンスが大きくなる」と強調している。

通常、未来に関する研究は、実際に何が生じるかを予測する試みから成り立つ。したがって、『成長の限界』で使われたシナリオ手法は社会が選ぶべき未来の多様な選択肢を提示しているのだが、多くの読者はそれが理解できないようで、壊滅的な成長シナリオだけに注目してしまった。

『成長の限界』に至ると見なされる予測であっても、破滅的な成長路線をまっしぐらに進み続けて完全に崩壊してしまうというものではないだろう。いつか人々は『成長の限界』の示す持続可能なたぐいのシナリオへ、路線を変更するだろう。本書のメッセージは、数十億の人々を支える環境と生命維持のシステムが回復不能なダメージを受ける前に路線を変更することの重要性を指摘することなのである。

単に批判者の中には報告書を正しく読んでなかった人がいたようだというだけでない。『成長の限界』が将来の成長の可能性について行った分析と結論が間違っていると断言するのはいずれにせよ時期尚早だ。その理由は、

第1に、我々は『成長の限界』に描かれている成長シナリオというドラマが展開する世紀に入ったばかりだ。それらのシナリオはどれも、2010年〜2030年の期間以前にはほんのわずかな困難も起こらないことを示している。

第2に、『成長の限界』で描かれたさまざまなシナリオのうち、今までのところ実際の成長傾向はある成長シナリオと十分に一致している。それは、物質的にも、経済的にも、社会的関係においても大きな変化を行わない「現状維持」を想定していて、モデル上、最終的に崩壊するシナリオである(Turner 2008)。

第3の理由は、世界には現在すでにいくつかの危機が現れ始めていることだ。こうした世界規模の危機を目の当たりにすると、『成長の限界』の成長シナリオが思い出されて居たたまれなくなる。

少なくともある種の環境汚染、具体的には大気中の二酸化炭素濃度は、いまや地球の気候に対する深刻な脅威の1つとして認識されている(IPCC 2007)。同様に、専門家の予測によれば、石油の供給量はこの10年のうちにピークに達するという(ASPO 2008, The Oil Drum)。

『成長の限界』の研究では、二酸化炭素による汚染の動向に関して警告されていたが、使用されているコンピューターのシミュレーション・モデルが明確に扱っているのは、環境汚染や資源枯渇の全体像であって、二酸化炭素の排出量や石油消費量は扱っていない。

とはいうものの、現在見られる二酸化炭素排出量や原油枯渇の傾向は成長のシナリオの傾向と酷似している。同じことが、世界中の海水や地下水における有毒物質含有量の増加、海の漁獲資源の減少、自然林の縮小など、今日私たちが直面している多くの環境問題にも言える。

『成長の限界』はさまざまな問題の相互のかかわり合いを強調しているものとして捉えられるべきだ。例えば、現在私たちは、化石燃料の急激な枯渇がどのように気候変動という問題を直接的に引き起こしているのかがわかっている。それに、輸送用のガソリンをバイオ燃料に切り替えてこうした問題を改善しようとしても、自然に対する負荷だけでなく、限られた耕作地に対する負荷も増加するだろう。

それではまた、食糧生産の可能性が狭められてしまう。さらにその結果、森林伐採や灌漑の必要性が高まり、灌漑が行われると、限りある淡水資源が脅威にさらされるのだ。この問題は、海水の淡水化によって解決できるかもしれないが、それには多大なエネルギーなどが必要になる。


議論の脱線

『成長の限界』がここまで長い間顧みられないほど、この本に関する議論が脱線してしまったのはなぜだろうか。

まず、経済活動を抑制する必要性をほのめかす本は、多くの人から煙たがれるものだ。本能的に拒絶する人たちがいるのだ。この傾向は、『成長の限界』の多くの経済的利益に異議を唱える経済界にも、公共支出を支える税収の先細りが危ぶまれる政界にも、成長は永遠に続くという理論的枠組の中で築かれた構造に悪戦苦闘している指導者たち全般にも当てはまる。

こうした人々は政治討論の中心となってきたが、『成長の限界』をなぜ拒否するのかをわざわざ主張することはほとんどなく、有益な議論を交わそうともしない。彼らにとって持続的な成長は根本主義のようなもので、議論が必要な問題ではないのだ。

『成長の限界』が長らく陽の目を見なかったもう1つの理由は、この本が出版された1年後に起こった石油危機が、書かれていた内容を即座に裏付けたかに思われたのに、実は一時的なもので、わずか2、3年で終結したという逆説だったかもしれない。これによって、どうやら物理的な限界はないらしいと結論づけたくなったのである。『成長の限界』はこうした短期的な政治変動を考慮していなかったのだが、信頼できない報告書だと非難された。


幾何級数的成長

『成長の限界』は、この予想外の幾何級数的成長に対して警告を発している。世界の一部の地域で1世紀にわたって物質的生産と消費が幾何級数的な成長を続けてきたという事実が、地球規模でもこの成長を永遠に続けられるという主張に利用されることがよくある。こうした考え方は、人類が地球に誕生して以来ほとんどの期間は実質的にゼロ成長だったという事実を都合よく無視している。

その成長の凄まじい勢いを見れば、資源の限られた星にあって、その勢いを今後も続けられると考えるなどばかげたことだとわかる。例えば、1年に3.5%ずつ成長していくと、年間のエネルギー消費量など量で測れるものは何であれ、20年で倍増する。それが100年後には現在の32倍、さらに100年後には現在の1,000倍になる。

それにもかかわらず、政策立案者の頭の奥深くには、幾何級数的成長が今後も続くという確信がある。1970年代、デンマークで原子力発電所の必要性について熱い議論が闘わされたとき、電力会社と中央政府は電力の需要が今後も幾何級数的に増え、2000年には100テラワット時に達するものと見込んでいた(Committee for Analyses and Prognoses 1976)。しかし、実際には2000年の消費量は33テラワット時で、予測された電力需要のわずか3分の1であった。

それ以降、さまざまなものの消費量については、幾何級数的に成長するはずだという考え方が修正されてきたようだ。しかしながら、経済全体にとって、幾何級数的成長が必要であるという定説は、依然として健在である。デンマークのように豊かな国でも、「健全な良き経済」とは、「環境面で持続可能な経済」というよりも、「成長する経済」のことだと未だに考えられているのだ。


成長なき発展

『成長の限界』が描いた、達成可能で持続可能な地球の発展という楽観的かつ興味深い筋書きには、残念ながら、メディアは大して注目してこなかった。言葉の点で見ると、明らかに、「発展」と物理的な拡大を意味する「成長」とを区別すると分かりやすくなる。

成長があろうとなかろうと発展するのは可能である。人間が、10代で身体的な成長が止まっても、身体以外は発展し続けるのと同じである。同様に社会も、成長が止まった後も発展し続けることができる。

または、人は、社会が成長した後は定常状態がよいという気持ちになるかもしれない。「とくに、多数の人々が最も望ましく、満足を与える人間活動として数えあげるであろう教育、芸術、音楽、宗教、基礎科学研究、運動競技、社会的交流が盛んになるだろう」(Meadows et al. 1972, p. 175)というのは、『成長の限界』に書かれた定常経済の特徴である。

強調されるべきなのは、成長のない地域社会も、現在の成長経済と同じように動的であり、経済全般に必ず存在する限られた枠組みの中では、落ち込む分野や消費もあれば、伸びるものもあるということだ。

シモンズを怒らせた無駄な30年の間に、西欧諸国は何をしてきたのだろうか。いくつかの技術的な調整を除いて、持続可能な発展の達成に向けての前進はほぼ皆無と言っていい。技術的な調整と言っても、ごく控えめなものだ。

人口、一般消費、生産における発展など、他の問題については、これまでの政治的な歩みは概して持続可能性とは逆の方向に進められてきた。そして、これは技術の進歩による恩恵では補えきれないほどである。

その結果、例えばエコロジカル・フットプリント(Wackernagel et al. 2006)によって表されるような地球環境に対する負荷が、今日では、『成長の限界』が36年前に出版された時よりも大きく悪化している。そして、この流れを変えるための行動の兆しは見られないのだ。


より良い世界的分配

『成長の限界』で使われた「ワールド3」というコンピューター・モデルは、富裕層と同様に貧困層も含めた世界全体を扱っているが、著者は富と消費の分配は真の発展において重要な役割を担っていると、はっきり強調している。

成長すれば不公平が減ると期待されることが多いが、現在に至るまで成長はそのようには活用されておらず、むしろ、大きすぎる社会不安に対処することなく、このギャップを保つ役割をしている。しかし、『成長の限界』にもあるように資源は無限に拡大することはできないと示唆することによって、国内的にも世界的にもさらなる平等への要求を高めることが、倫理的に正当化されるだろう。

世界的にみると、さらなる公平を求めるということは、『成長の限界』が勧めるように、物質的な消費のスピードや量を落とすことを富める国から始めなくてはならないということを意味するだろう。

もし、地球への環境負荷全体を半分に減らす必要があり、皆が地球上の資源を利用する権利を平等に持つべきであるなら、富める国は現在かけている環境負荷を10分の1にまで削減する必要があるだろう(Smith-Bleek 2000)。

西欧諸国は貧しい国々のために成長する必要があるという議論はすべて、言葉だけで実態は空っぽなことが露呈している。事実はその逆である。もしも物質的に豊かな生活をさらに拡大する生態的余地を地球が生み出すことができるなら、成長が必要な国々が使う環境的な余地を確保するために、富める国は遠慮するべきだ(例えばPontin and Rodrick 2007を参照)。

安定した定常社会を目指す際の大きな課題の1つは、労働時間の調整によって、職を求めている人全員に職を確保することだ。例えば、20%の労働者を解雇する代わりに、労働時間を20%減らすのである。

1935年、哲学者のバートランド・ラッセルは、余剰労働力の解決方法として労働者を解雇することについて、次のように述べている。「このように、不可避的な余暇は、万人の幸福の源であるというよりはあらゆる点で不幸の原因となることは確実である。これよりも非常識な状況が想像できるだろうか」(Meadows et al.,1972, p. 176で引用)。できそうもない。

しかしながら、解雇または不必要な生産や消費を推し進めることは、その後ずっと解決策として使われてきた。今日でさえ、我々のプロテスタント的労働倫理は、直接的に健康を脅かすだけでなく、地球環境をも脅かしている。

脱線した論争を元の路線に戻す

すべての経済学者が永久的な経済の拡大を無条件に支持していると述べるのは不公平だろう。ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツは当初、『成長の限界』にある資源不足についての考えを否定したが、今では、西欧以外の国々が西欧と同じ生活様式になれば、世界経済はほとんど持続可能ではなくなると認識している(Lahart et al. 2008)。

ずいぶん前から、ノルウェーのホーヴェルモやオランダのティンバーゲンなど、他のノーベル経済学賞受賞者らは、さらに強い表現を用いて、富める国の経済成長をできる限り早く止めなくてはいけないと結論づけている (Vermes 1990、 Tinbergen and Hueting 1991)。

当然ながら、経済学者が専門的な見識――と相まって基礎的な物理的原理についての知識――を持っていることを考えると、もっと多くの経済学者が、シモンズ氏と同じように、表現の自由を用いて、永久的な成長がもたらす結果を広く世間に知らしめるべきである。

技術の変化だけでは、この問題は解決しそうにない。その原因の1つに、技術の効率自体がいわゆるリバウンド効果を通して経済を加速させる傾向にあるからだ(Norgard 2008)。

したがって、持続可能な未来は、新しい生活や社会組織の方法を基盤にして築かなくてはならないが、それは容易に良い方向への変化になり得るだろう。持続可能性に対応したいと考える政府は幸いにして、現在の永久的な拡大に基づいた経済から持続可能な安定した定常経済への移行を協議・計画する際に、多くの環境経済学者や学際的な研究者に頼ることができる。

だが、この過程を経るにあたり、1972年刊行の『成長の限界』とその続編2冊(Meadows et al., 1992; Meadows et al., 2004)の知恵を、『成長の限界』というタイトルにアレルギー反応を示しその報告を非難した人がいたからというだけで、放棄してしまうのは残念なことだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

デニスたちの最初の『成長の限界』はこちらです。

『成長の限界―ローマ・クラブ人類の危機レポート』 (1972年版)
ドネラ・H・メドウズ他(著) ダイヤモンド社

こちらは30年後のアップデート版です。

『成長の限界 人類の選択』(2004年版)
ドネラ・H・メドウズ他(著) ダイヤモンド社

そして、こちらは、さらに読みやすく軽く薄くエッセンスをまとめた本です。

『地球のなおし方 限界を超えた環境を危機から引き戻す知恵』
ドネラ・メドウズ+デニス・メドウズ+枝廣淳子(共著)ダイヤモンド社

 

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