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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2009年06月21日

ヤスナ・バスティッチさん「戦争のメディアから平和のメディアへ」(2009.06.21)

大切なこと
 

ピースボートには何人もの講師役がかわりばんこに乗り込みます。私が乗船していた間に、サラエボ出身のジャーナリスト、ヤスナ・バスティッチさんも乗り込んでいらして、ジャーナリズムや戦争や平和に関する講義をなさっていました。

その講義で配られた資料を、ぜひ多くの方に読んでいただきたく、転載の許可をいただきました。お届けします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

戦争のメディアから平和のメディアへ

(「戦争を起こさないための20の法則」(ポプラ社)より)

                        ヤスナ・バスティッチ

●「誰がこれを信じるっていうの?」

私はピースボートに関わってもう十年になりますが、そのピースボート船上での話から始めようと思います。

私は「IS(アイエス)」と呼ばれる国際奨学生のコーディネーターとして、ワークショップを行っていました。「IS」というのは、ピースボートがインドとパキスタン、イスラエルとパレスチナなどの紛争地域から招待した若者たちで、船上で平和についてともに学んでいくプログラムに参加するために乗船しています。そのときのワークショップのテーマは、戦争に使われるプロパガンダとメディアによる情報操作についてでした。

私は、紛争下のセルビア(旧ユーゴスラビア)で放送されたニュースの一場面を流しました。それは当時のセルビアの主要テレビ局で放送された番組や情報、解説の一部でした。みなさんもご存知のように、戦争プロパガンダや情報操作というのはとても大きなテーマで、ワークショップの企画者である私の意図は、この映像を見た後、そのテーマについて「IS」たちに真剣にディスカッションしてもらうつもりでいたのです。

ところが、番組を見た「IS」たちは、私の予想を裏切って、なんと笑いだしたのです。彼らは笑い続け、番組についての冗談を言い合ってはしゃぎ、そのことについてのディスカッションなどできるような状態ではなくなってしまいました。なぜそんなにおかしいのかと聞いたところ、彼らは言いました。「こんなの馬鹿げてるよ。意味がわからない。誰がこんな映像を信じて相手を憎むようになるっていうんだ?」

このことが私の心の奥深くにひっかかりました。そのような映像を見てみなさんが自問するのは、彼らが言ったように、「誰がこれを信じるっていうの?」だと思います。そして現実に直面したとき、そういった映像が、どれほど上手く人々の考えを操っているかに驚くことになるのです。

●メディアのサポートなしには戦争は起こらない

イラク攻撃についてのアメリカのメディアを見るとき、私はこれらのメディアが伝えていることは本当なのだろうかと思います。メディアがこの戦争について語っていることは何だろう? 戦争の何を見せているのだろう? 自分たちの大統領が戦争を始める理由を説明するのを聞いて、アメリカの人々は何を思うのだろう? その全てをどうやって彼らは信じるのだろう? そう思うのです。

私はジャーナリストとして働いてきたので、メディアの機能を内部から知っています。また、平和活動家として、政治的な活動も行ってきました。これらの経験を通して学んだことが一つあります。それは、戦争はメディアのサポートなしに決して起こらないのだ、ということです。

旧ユーゴスラビアの戦争は、セルビアのテレビ局が流したプロパガンダなしには、起こりませんでした。ルワンダでも、「千の丘放送」というラジオ局が、憎しみを煽るような放送を流さなければ、住民同士の虐殺はなかったのです。そしてもちろんイラク戦争も、ホワイトハウスの政策を支えるFOXテレビやその他のアメリカのメディアなしには起こり得ませんでした。

このあいだ、次のクルーズ(二〇〇三年六月に出航したクルーズ)に「IS」として乗船する予定の、アメリカの学生と話をする機会がありました。彼は、イラク戦争に関するイギリスのBBCの報道と、アメリカのFOXテレビやCNNの報道を比較してみると、まるで二つの異なった現実を見ているように感じると言っていました。彼の言ったことは、私たちに大きなヒントを与えてくれていると思います。

●「脅威」を作り出す装置

私は旧ユーゴスラビアでの戦争プロパガンダと、アメリカのジャーナリズムを単純に比較しようとは思っていません。しかし、どの戦争をとってもある共通したパターンが浮き彫りになってくるのです。そのパターンとは、メディアによって人々に非常に大きな恐怖心が植えつけられ、それをきっかけにして国中が巨大な被害妄想にとりつかれるということです。

そのパターンをもう少し細かく見いていきましょう。まず、メディアは大きな「脅威」を作り出します。国や国民の安全を脅かすその「脅威」は、いつも決まって国の外側から忍び寄ってきます。人々が外側にいる敵によって、そのような「脅威」を感じさせられるとき、メディアは国民が同じ方向に気持ちを向けるように誘導していきます。

メディアは次に、敵のイメージを作り上げます。その頃には大多数の国民の間では、愛国心が何よりも大切なものとなり、大統領や政府がやることに少しでも批判的な態度をとると、それは非愛国者の行動であると見られてしまうようになります。そして最後にメディアは、無批判で盲目的な愛国心を煽り、作り上げるのです。人々の考えをそこまでコントロールできたとき、どんなことでも可能になります。人々は「国を守れ」のかけ声の下に団結し、戦争や大量殺戮を受け入れるようになります。戦争は避けることのできないことであり、正当なものに見え始めるのです。このパターンは旧ユーゴスラビアでもアメリカでも同じように見られます。

ここで、最近度々引用されている有名な言葉を紹介しましょう。

「もともと普通の人々は戦争をしたいと思っているわけではない。しかし結局のところ国の政策を決めるのは、その国のリーダーたちだ。民主主義だろうと、独裁体制だろうと、共産主義だろうと、人々を戦争に引きずり込むことは簡単なことである。国民に対してこのように訴えかけさえすればいい。『我々の国が攻撃にさらされているこのときに、愛国心の欠けた平和主義者たちが国を危険にさらそうとしている』と非難するのだ。この方法はすべての国で同じように効果的である」

これは一九四五年のニュルンベルク裁判で、元ナチス・ドイツの幹部ヘルマン・ゲーリングが語った言葉です。今日、この言葉を私たちがどのように理解するのか、そしてこの言葉とメディアを通して現在私たちが目にしているもの(例に挙げた 旧ユーゴスラビアやルワンダ、アメリカなどのメディアの動き)がどれほど似かよっていたり、同じであったりしているかを知ることはとても恐ろしいことです。
 
●メディアには戦争に対する責任がある

それでは、メディアは何をすべきなのでしょうか? 彼らは自分たちの仕事をきちんとすべきなのです。ここで言う仕事とは、人々に情報を送り、現実に沿った報告をするということです。

二〇〇一年九月十一日の同時多発テロ事件直後、私はCNNテレビを見ていました。そのとき生放送を行っていたスタジオで、コメンテーターの一人が語った言葉を忘れることができません。彼はこう言ったのです。「このような状況になったとき、メディアがすべきことは、我が国の役に立つことをすることなんだ」この言葉を聞いて、私は恐ろしく感じました。

メディアの役目は「国の役に立つこと」をすることなのではなく、真実を伝える仕事に徹することです。メディアがすべきなのは、情報を伝えそれを分析し、何が起こっているのかを調査することです。そしてどんなときであっても、政府と国のリーダーが行っていることを問い正すことなのです。

メディアが戦争を正当化し、批判的な目を向けるのをやめたとき、メディア自体が戦争政策の道具となってしまいます。そして戦争が始まれば、メディアはその戦争に対する大きな責任を負うのです。なぜこのことがそれほど大事なのでしょうか? これには、ただ一つの理由しかありません。それは、私自身が次のことを強く信じているからです。戦争は決して避けて通れないものでも、決して必要なものでもありません。そして、この世界のどこを探しても、何千人もの人々の死を正当化できる理由など、存在しないのです。メディアを戦争の道具に使うのではなく、平和をつくるために使わなければなりません。それが私の戦争を起こさないための法則です。


ヤスナ・バスティッチ(ジャーナリスト)
サラエボ出身。旧ユーゴ内戦中、単身サラエボを脱出し、難民としてスイスのチューリッヒに暮らす。フリーランスのジャーナリストとして活躍する傍ら、ヨーロッパ中で旧ユーゴに関する平和会議や反戦運動に参加してきた。

 

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