私たちの暮らしや経済・社会を営んでいくために、エネルギーは欠かせません。
人類は過去からさまざまなエネルギーを用いてきましたが、「どういうエネルギーをどのくらい使うか」は、そのときの時代の流れや技術、人々の価値観やライフスタイルによって変わってきました。
今私たちが生きているこの時代の「エネルギーをめぐる大きな流れ」は何でしょうか? 私は2つあると考えて、活動してきました。
1つは、ピークオイルに代表される「化石燃料の枯渇・コストアップ」。もう1つは、「温暖化の危機」だと考えています。
前者は「入り口の問題」です。私たちの社会や経済に入ってきていた安価な石油がピークオイルを迎えて、前のようには入らなくなってくる、ということです。
国際エネルギー機関(IEA)は2010年11月9日に「在来型石油の生産量は2006年にピークを迎えた可能性が高い」と発表しました。
今後25年の見通しによると、石油生産量は1日あたり6800万〜6900万バレル前後で停滞する可能性が最も高い。「2006年に記録した史上最高の7000万バレルに再び並ぶことはない」(世界エネルギーアウトルック2010年版)
オイルサンドなどの非在来型石油があるじゃないか、石炭があるじゃないか、シェールガスも見つかったじゃないか、という声もあります。今どのくらいあったとしても、枯渇性であるかぎり、使い続ければなくなっていくのは間違いありません。
そして、「すべての化石燃料がいつなくなるか?」よりも、「化石エネルギーを使い続けるコストが上がっていく」ことが暮らしや社会・経済にとっては重要だと考えています。
ちなみに、日本の化石エネルギーの輸入代金は、1998年には約5兆円でしたが、2008年には約23兆円になっています。そのほとんどは値上がりによるものです。資源エネ庁が予測する将来の化石燃料の値段で計算すると、23兆円どころではなく、40兆円、60兆円と輸入代金は膨れ上がっていきます。
「化石燃料の枯渇・コストアップ」が入り口の問題としたら、「温暖化の危機」は「出口の問題」です。
化石燃料を燃やすことで出るCO2が温暖化を進めてしまうことが、世界の大部分の科学者が同意するところであり、温暖化の影響が各地で顕在化するにつれ、「温室効果ガスを出さない・少なくてすむエネルギー」へのニーズは増大していきます。
この2つの時代背景から、「枯渇しない」「温室効果ガスを出さない」エネルギーへ、という大きな潮流が生まれ、世界的に加速してきました。
エネルギー源は、大きく3つに分けることができます。
1)石油、石炭、天然ガスといった化石エネルギー
2)水力、太陽光、太陽熱、風力、地熱といった自然エネルギー
3)原子力発電
今回の震災を引き金とする東京電力原発事故は、エネルギーをめぐる時代の大きな潮流に、「本当に安全・安心なエネルギー」という、もう1つの流れを顕在化することになりました。でも、基本的な大きな流れは変わっていません。今回の事故はその流れを加速することになるでしょう。
・いつまでも化石エネルギーに頼り続けることはできない (でないとお財布が空っぽになってしまう)・温暖化につながるエネルギーは減らし、なくしていく必要がある・本当の意味で安全・安心なエネルギーがほしい
という時代の条件を踏まえて、日本のこれからのエネルギーの構造を考え、創っていくことになります。
エネルギーの中でも、電力は使いやすいことなどから、私たちの暮らしや経済・社会を支える基盤エネルギーとなっています。
30年前に比べると、今の日本では約2倍の電力を使うようになっています。
これからの日本は「どのくらいの電力」を使うのがよいのでしょうか?これまでのように「使いたいだけ」使って、どんどん電力消費量を増やし続けるのでしょうか? それとも……?
そして、これからの日本は「どうやって電力を作っていく」のがよいのでしょうか?
2008年度の日本の電源構成は、以下です。1)化石燃料による火力発電:65%2)自然エネルギーによる発電:9%(うち8%は水力発電)3)原子力発電:26%
日本政府は、今回の事故を受けて、2030年までに少なくとも14基の原発の新増設を目標に掲げた「エネルギー基本計画」を見直す方針を出し、「原発重視から太陽光などクリーンエネルギー重視へと転換する」という考えに言及しています。
今回の原発事故を受けて、「今後のエネルギーをどうするか」の舵をいちはやく切ったのが、中国です。
中国政府は、国民の原発への不安を背景に原発建設の承認を凍結すると同時に、「2015年末をめどに太陽光発電の発電能力を10年末の10倍の1千万キロワットに増やす」方向を発表しました。(日本などに比べてもともと高かった)従来の目標値を2倍に上方修正したのです。
一方、日本の経団連の出した「震災復興緊急提言」には、対策の1つとして、「再生可能エネルギーの全量買取制度、地球温暖化対策税の導入先送り」が挙げられています。
震災で被災するなど、多くの企業や産業が「それどころではない」状況にあることは事実です。目下必要な支援をどんどん差し伸べ、そのための法的・制度的な枠組みを作っていくことは必要です。
しかし、同時に、その取り組みは、大きなエネルギーの潮流に逆行しようとするのではなく、いち早くその潮流の先頭に日本を立たせてくれるものでなくてはならないと思うのです。
エネルギー・電力消費量が伸び続ける限り、どんなエネルギー源・電源を持ってきても(たとえそれが原子力発電だろうと自然エネルギーだろうと)必要なだけ供給し続けることは不可能です。消費量自体を減らしていく必要があります。
そして、「地震国である日本では原発は持続可能な解決策ではない」と言ってきたように、本当の安全安心を考えれば、電力消費量が減ったところ・他の電源に転換できたところから原子力発電を止めていき、いずれ(明日すぐには無理だったとしても)ゼロにしたい。
まず、需要そのものを増やさない・減らしていく前提で、暮らしや経済・社会を作り直していくこと。そして、供給側は、<化石燃料><自然エネルギー><原子力発電>のうち、<原子力発電>を急いで減らしていくとしたら、残るは<化石燃料>か<自然エネルギー>です。
できるだけ早く、全量買取制度などの制度でしっかり後押しをしながら、<自然エネルギー>を増やしていくこと。それが輸出や技術力・雇用にもつながるはずです。
とはいえ、これまで政府も産業界もあまり積極的に<自然エネルギー>を推進してこなかったこともあり、<原子力発電>にとって代わるには、少し時間が必要でしょう。その間は<化石燃料>にも頼ることになるでしょう。
それはとりもなおさず、CO2排出量の増加をもたらします。また、ピークオイルに伴う原油をはじめとする化石燃料の値上がりを考えると、燃料費のコストアップ(輸入代金の増大)は日本の経済や私たちの暮らしにも大きな影響を与えるでしょう。
(加えて、今回の原発事故を受けて、日本だけではなく、世界的にも原子力発電→化石燃料へのシフトが進むことが考えられますから、需給バランス的にもさらに値上がりが予想されます)
でも当面はしかたないでしょう。緊急事態として、節電したうえで必要な発電をするために化石燃料に頼りつつも、それは「応急処置」であることを意識して、同時に、自然エネルギーへの舵切りを速やかに進めていくこと。
原子力発電が減って、化石燃料の消費が増えると、電力のCO2原単位は増えてしまいます。柏崎の原子力発電所がとまったときも、電力のCO2原単位が大きく増えて、それが日本のCO2排出量の増大につながりました。
今回は、電力の消費量自体も被災や計画停電・節電などで減っていますので、電力のCO2原単位の悪化が、そのまま日本のCO2排出量の増大につながるものではないかもしれませんが、それでも残念ながら当面は(電力消費量が増えなくても)日本のCO2は増えてしまう可能性があります。
「だから2020年に25%削減は無理だ」というのではなく(そう言いたくて、さらには「最初から無理だったのだ」と言いたくてうずうずしている方々もいらっしゃいますが)、もう少し前向きに、たとえば「日本のCO2は今回の震災・事故で当面は増えてしまう。しかし、今回の事故を糧に、急いで本格的なエネルギー構造の転換を進めていくから、3年だけ待ってほしい。2020年に約束していた25%削減は、2023年には達成するから」と国際社会に宣言するのはどうでしょう?
世界のエネルギーをめぐる潮流を見ても、今回の震災・原発事故を受けても、私たち日本が向かっていく方向は1つしかないことは明らかだと思うのです。そして、私たちがその方向に真剣に進んでいくならば、結果的に「CO2も大きく減りましたとさ」というおまけがついてくるはず、と思うのです。
最後に、ちょっと話は変わりますが、もうひと言。震災後、企業の環境/CSR担当の方々から、「いまは社内がそれどころ(温暖化対策、生物多様性の取り組みなど)じゃない、という感じで……」と聞きました。
確かに、工場やサプライヤーが被災したり、計画停電で工場の稼働が計画通りいかなかったり、いろいろと緊急事態が発生していて大変な状況だと思います。短期的には、それどころじゃない、と足踏み状態かもしれません。
でも、忘れてはならないのは、日本企業の多くは国際市場で戦っているということです。世界の企業は「足踏み状態」にはありませんから、どんどんと着々と先に進んでいます。そういう競合相手とグローバルな土俵で戦わなくてはならない状況は変わっていないはずです。
目の前の緊急対策に取り組みつつ、体制が立て直せたところから、世界の流れから目を離さず、あまり大きな後れを取ることなく、進んでいってほしい!と心から願っています。