最初にちょっとコマーシャル?です。
明日TEDxTOKYO 2011 に登壇する予定です。本家の米国で開催されるTEDはとても有名なイベントですが、その東京版です。
http://www.tedxtokyo.com/ja/
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TEDxTokyo(テデックス トーキョー)は、2011年5月21日(土) 、今年で3回目となる「TEDxTokyo 2011」を、「 Enter the Unknown ~未知への扉~」のテーマの下、東京・お台場の日本科学未来館にて開催いたします。
去る3月11日に発生した東日本大震災および原子力発電所の事故を受け、当初予定していた 内容を変更し、日本の復興と再生に現実的に貢献できる創意に富んだ提案と、被災者の方々を応援するプレゼンテーションを揃えました。
本年はイベントの規模や質においても大きな向上を図っており、多様な講演者と参加者が一体となり、アイディアや発想を共有し、未来のあり方について想像する場を目指しております。当日は、総勢30名の講
演者が、それぞれ6〜12分間の持ち時間の中で、日本だけでなく世界の多くの人々に驚きと、インスピレーション、そしてパワーを与える講演を行います。
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「ウェブサイト (http://www.tedxtokyo.com) にて、会場の様子を日本語と英語によるライブストリーミングし、さらに質問をTwitterで受け付け、ステージ裏の別ストリームにて配信する予定です」とのこと。
プログラムはこちら。
http://www.tedxtokyo.com/ja/tedxtokyo-2011-enter-the-unknown/program/
私は、8分の持ち時間で「日本に静かに広がりつつあるライフスタイル革命」(くらしの脱所有化、幸せの脱物質化、人生の脱貨幣化の「3脱」と呼んでいます)についてお話しする予定です。
プログラムを見ていただくとわかるように、本当に多様な分野で活躍中のさまざまな方々が登壇されるようで、パフォーマンスもあり、楽しそうです。もしご興味があれば、ライブ中継をどうぞ!(会場は招待客のみとのこと)
http://www.tedxtokyo.com
さて、今回、被災地のあちこちを見たり、人々に話を聞いたりする中で、さまざまなことを考えさせられました。少しずつでも国内に、そして世界にも伝えていきたいと思っています。以下は、世界へのニュースレターの原稿として書いたものです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
いろいろ考えさせられたことの1つが「自然との共生」です。日本は地震国です。地震に伴う大津波も、過去にも何度も経験しています。また、年によっては1年に10もの台風が上陸する台風国でもあります。モンスーン気候帯に属し、急峻な山林が国土の70%近くを占めるなど、大雨による洪水や土砂崩れなどの自然災害の起こりやすい国です。
石巻には、頑丈な護岸堤防がありました。市も人々も安全だと信じていました。しかし、今回の津波はその堤防をやすやすと超え、市内をめちゃくちゃに破壊し、大きな被害を出したのです。地震や津波という自然の脅威の前に、人間や人間がつくったものがいかにもろいかということを痛感しました。
私たちはよく「自然との共生」という言葉を使います。企業のCSRレポートなどにもよく登場しますし、町づくりの議論には必ず出てくる言葉です。でも、これまで私たちが使ってきた「自然との共生」とは、とても薄っぺらくて、甘いものだったのじゃないか?と思いました。まるで「箱庭」か何かのように、自分たちに襲いかかってくることのない、自分たちが愛でる対象としての自然を近くに配することを「自然との共生」と言ってきたのではないか、と。
石巻をはじめ、ほとんどの町づくりは、「津波が来ても大丈夫という、頑丈な堤防を造る」という、人間の工学で自然の脅威を抑え込むという発想が基盤になっています。しかし今回の津波は、人間の工学の想定以上の強さだったので、うまくいきませんでした。では次にはどうしたらよいのでしょうか? もっと強くもっと高い堤防を造ればよいのでしょうか? 釜石市でも、堤防を乗り越えて津波が押し寄せ、大きな被害を出しました。以前にこの地を襲ったチリ地震津波を教訓にして建てた巨大な堤防だったのですが。
一方で、今回大きな被害を受けた岩手県宮古市でも、姉吉地区にいた住民は全員が無事でした。姉吉地区は1896年の明治三陸大津波、1933年の昭和三陸津波のとき、集落がほぼ全滅する被害を受けました。生存者はそれぞれ2人と4人だったといいます。
この地区の海岸から約500メートルの山道に、「高き住居は児孫の和楽 想え惨禍の大津浪」と始まる石碑が建っています。「津波はここまで来た」「ここより下に家を建てるな」「幾年経るもの用心あれ」と刻まれた警告を、集落の人々は守り続けてきました。集落全戸が石碑よりも内陸側に建てられていたため、今回の津波で人命にも家屋にも被害はなかったそうです。
昔から、アジアのモンスーン地帯には「氾濫原」がありました。台風など大雨が降ると、洪水が起き、川の水が氾濫します。しかし、その氾濫のおかげで上流からの栄養が土地に行きわたり、その後の農作物の収穫を支えてくれるのだから、氾濫をむりに止めるのではなく、ときどき川が氾濫するだけの余地を「氾濫原」として置き、もともとはそこには人は住まないことになっていたといいます。自然の揺らぎにあわせて人間のほうが身を引いていたのです。
人口が増加し、「お金を払えばどこに家を建てても勝手だろう」という風潮が広がるにつれ、氾濫原に家が建てられるようになり、台風や洪水の被害が大きくなったとも言われます。そういう川の近くに住みながら、高い堤防など工学に自然の脅威を抑え込むものを求めるようになります。
「生かされている」という、(英語にはしにくい)日本もしくは東洋の考え方があります。生きとし生けるものだけではなく、命のないものも含めて、あらゆるものがつながってあみだす網の目の一つの部分として自分が存在しているという意味合いです。
老荘思想は、天(宇宙)の大もとのあり方――それをこちらが操作しようとか、抵抗しようとかするのではなく――に、自分のあり方を合わせていくのがいちばんスムーズな生き方だという考え方ですが、それを代表する概念が「無為自然」です。
家をすべて流されて、避難所になっている地元のお寺で、高齢者など数十人の避難者のお世話役をしながら暮らしている女性が、「海が大好きなんです。津波が来て、家は流されましたが、仕方ないと思っています。テレビでは、海に裏切られたとか海を恨んでいるとか言いますが、自分はそんなふうには思ったことはありません。海が好きで海の近くに住んでいるのだから、仕方ない。また海のそばに住みます。今度はもうちょっと高いところに住もうと思っていますけど」と話してくれた時、この言葉を思い出したのでした。
無為自然の「自然」は「自ずと然り」という意味ですが、老荘思想では、そのためには無為が大事だと説きます。「無為」の逆は「人為」です。人が何かをしてコントロールしようとすることです。工学的な技術を持って津波を抑えようとか、洪水を抑えようとすることは人為です。
私たち人間は、自然を抑え込むべき対象としてみるべきなのでしょうか。それともそのゆらぎに自らの身を任せるのでしょうか。
今回の震災は、私たち人間と自然との関係性や距離感を再考させる大きな機会になりました。
石巻をはじめ、被災地では「地域の復興・町づくり」に向けた話し合いや取り組みが始まっています。「より高くて強い堤防を」という町づくりになるのか、今回の津波の記憶と「ここから先は自然の領域なのだから、住んではいけない」という学びを未来へ伝えていく町づくりになるのか。
1つの正解があるわけではないでしょう。しかし、これからの町づくりでは、短期的な効率だけではなく、中長期的なしなやかな強さ(復元力、レジリアンス)を高めることも重視してほしい--そう強く願っています。
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レジリアンスは、数年来の自分のテーマでした。今回いろいろ考えることがあり、先日まとめてお話しする機会もいただきました。これからの社会を考えるうえで、とても大事なことだと思っています。幸せ経済社会研究所の大きなテーマの1つとして、取り上げていきます(レジリアンスの勉強会も考えています)。メールニュースでもお伝えしていきたいと思っています
※メールニュースの引用・転載は出所を添えて、ご自由にどうぞ(枝廣淳子の環境メールニュース http://www.es-inc.jp)