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タイのエコロジー思想家、スラック・シラワック氏インタビュー(2011/7/28)
聞き手:枝廣淳子
http://www.ishes.org/interview/itv03_01.html
●何かが根本的に間違っている
枝廣:お時間を頂き、ありがとうございます。私は長年、環境問題の分野に取り組んできました。その中で、こうした問題に根本的に取り組むためには、幸せ、環境、経済、社会について、大局的な見地から考え、互いにつながっている構造を知らなければならないことがわかりました。
スラックさんはずいぶん長い間、この分野でご活躍されていますが、ここ最近の世界について、どうお考えですか? 一人あたりのGDPに関しては、世界はますます裕福になってきていますが、同時に、多くの人々が切実な状況に陥っています。
スラック:そうですね。現状では、国際企業がすべてを牛耳っています。米国のような超大国でさえ、国際企業によって動かされています。国際企業は、自分たちが民主主義者で、人々に貢献していると主張しますが、残念ながら、彼らは人々のことは気にかけていません。
人々を、モノを買う人たちだと見なし、非常に影響力の強い広告によって操ります。そのため、人々は消費主義という新しい宗教を信仰するようになりました。自然資源の破壊も気にしません。私たちの現在の世界は、こうした大きな苦境下にあると思います。
枝廣:そうですね。私たちはどうやってこのような仕組みを作ったのでしょうか?多国籍企業がもたらした被害は確かに甚大ですが、誰に責任を問うべきなのでょう?
スラック:仏教徒として話すと、すべては心次第で善にも悪にもなるのです。現代の人々は間違った考えをしていて、「権力がすべて」「お金がすべて」「所有することがすべて」だと思っています。
枝廣:本当にそうですね。
スラック:その心は深く根ざしていて、西洋文明のルーツまで戻ります。現代の哲学は、「我思う、故に我あり」(“Cogito ergo sum”)という言葉を残した、フランスの哲学者のルネ・デカルトに始まりました。私たちは「思考」に縛られているのでしょう。
枝廣:そうですね。
スラック:思考は、益と害をもたらします。“Cogito”は「考えること」を意味します。他者と競争して、他者を追い越すため、個人主義、エゴイズムのために考えるのです。私にとっては、考えることの方が危険です。私たちはとても利己的になりました。だから私たちの世界は苦境下にあるのです。
今はデカルト派の時代で、裏付けや科学的な根拠は不可欠とされています。しかし世界には、裏付けや論理や物質主義を超えたもの、スピリチュアルで、超自然的なことも存在します。東洋には、西洋とは異なる文明やライフスタイルがありましたが、西洋に対して開国せざるを得ませんでした。そして開国後、私たちは盲目に西洋と同じ道をたどりました。
日本は特に、西洋と競合したがっています。日本が戦争でロシアに勝ったとき、西洋諸国すべてを打ち負かせると感じました。それ故に、第二次世界大戦が勃発したのです。そして今、あの戦争で敗れたにも関わらず、広島と長崎で日本は何も学びませんでした。だから、福島での原発事故が起きたのです。私たちは学ぶべき時期にきているのではないでしょうか。何かが根本的に間違っていたのです。日本は、ルーツに帰るべき時なのでしょう。
枝廣:ええ。
●叡智は森にある。学ぶべき「木が育つための4つの要素」
スラック:今年はちょうど、ラビーンドラナート・タゴールの生誕150周年ですが、タゴールは、インドやアジアと、西洋との違いは、西洋は都市に集中していることだと述べています。「文明(civilization)」という言葉の由来は、ラテン語の「cives」です。しかし、東洋では、特にインドの習わしによれば、森を文明の源だと考えています。
仏教では、ブッダが都市を離れ、森へ行き、6年間放浪した後、森にある菩提樹の下で悟りを開いてブッダになったと伝えています。
ですから、叡智は森にあります。森には多様性、つまり調和があります。森から学び、自然から学べば、私たちはきちんと成長するはずです。自然を搾取せず、自然を愛し、自然に従うのです。ブッダは毒蛇とも話すことができました。木々からも学ぶことができます。私たちは自然から学ぶ時期にあるのだと思います。
ブッダは、木がなければ生きられないと言いましたが、木が育つためには4つの要素が必要です。
まず一つ目として、よい種が欠かせません。
二つ目に、種が育つためには、土壌や砂地に適応しなければなりません。嵐や雨や日光にさらされながら、粘り強く頑張ることで、木は育ちます。そして、木は大きくなると、受け取るよりもむしろ、鳥、ハチ、動物に、寛大に与えるようになります。葉を落とし、日陰を作り、実を与えます。
三つ目は、自分自身に正直でなければならないということです。しかし、最近の私たちは、偽善的で不誠実です。ですから、私たちは、誠実で、よい種を持ち、環境に適応する能力を持たなければなりません。しかし、真実を語らずに適応しすぎると、真実を見失ってしまいます。それでは過ちを犯すことになります。
最後に、忍耐が必要です。人間が、本当に成長すれば、木々のように寛大になるでしょう。動物たちや、ほかの人間たちに与えるようになるでしょう。しかし今は、与えようとせず、取ろうとするばかりです。根本的に間違っています。だから、私たちはタゴール、そして彼が学んだというブッダから学ぶべきなのです。
日本は、かつて仏教国でした。しかし、今の日本で仏教は儀式的なものに過ぎません。そろそろ、私たちは、仏教の真髄を学び直す必要があります。ブッダとは「覚醒」を意味しますが、仏教の真髄とは、いかにして覚醒するかということです。貪欲、憎悪、妄想からの覚醒です。一旦、無私無欲になれば、私たちが互いにつながっていることに気がつきます。あなたと私はつながっています。兄であり、妹なのです。一緒にいることで完結するのです。
●私たちは、そろそろ西洋文明から離れて良い時かもしれない。
枝廣:私たちは、間違った考えを持ち続けていて、正しい考えとは、自然から学び、自然と共存するということでしょうか?
スラック:それは次の段階でしょうね。最初の段階として、私たちは、己を知るべきです。実は誰も自分のことを知りません。
私たちは、いかにして普通になるか、自然になるかについて学ぶべきです。普通であり、自然であることは、自分たちをより非暴力的にすることにつながります。
ですから、仏教では、ブッダが、修行のための五戒を定めました。「不殺生戒(ふせっしょうかい)―生き物を殺してはいけない」「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)―他人のものを盗んではいけない」「不邪淫戒(ふじゃいんかい)―性的な非行」「不妄語戒(ふもうごかい)―嘘をついてはいけない」そして「不飲酒戒(ふおんじゅかい)―麻薬や飲酒をせず、安らぎを感じる」です。
最後の「不飲酒戒」では、麻薬や酒だけでなく、苦悩をもたらすものを摂取しないということで、イデオロギーでも、仏教を含む宗教でも、安らぎを感じなければそれに当てはまります。「仏教が最も優れていて、唯一の道である」という考えも、まったく間違っていると思います。安らぎを感じ、より非暴力的になることを学びさえすればいいのです。
枝廣:先ほど、西洋の近代文明が、間違った考えを始めたとお話されました。西洋の近代文明が始まる前、西洋の人々は正しい考えを持っていたのでしょうか?
スラック:ええ、西洋には、実に多くの文化や文明がありますが、主流になれなかったものはすべて消滅しました。キリスト教では、愛、誠実さ、非暴力が教えられます。キリスト自身、民衆のために命を失い、アッシジの聖フランチェスコのように、裕福な家を捨てて、清貧な生き方を選んだ人もいます。
しかし西洋の主流は「私たちが真実を知っている」、つまり教会が真実を知っているということです。そして今では教会がなくなり、神も死んでしまいました。教会の代わりになったのが科学者で、まるで神学者のように振舞っています。
枝廣:(笑)
スラック:「私たち科学者がすべての答えを知っています。西洋医療だけが正しくて、そのほかのものは間違っています」という考え方ですね。ただ喜ばしいことに、現在、西洋では、若者たちも主流の西洋文明に異議を申し立てています。
枝廣:とても興味深いですね。
スラック:私たちは西洋に従い過ぎるときがあります。そろそろ離れてもいい頃です。何か代替となるものが必要でしょう。正しい考えへと速やかに戻らなければなりません。利己的ではなく、寛大になり、貪欲を寛大に変え、増悪を慈愛に変え、妄想を叡智と理解に変えるのです。
●「自分に価値が無い」と恐れる若者を助ける方法
枝廣:西洋の世界では、同じパターンが繰り返されています。その一つが「恐れ」です。科学者や宗教や民主主義などにおいて、恐れこそが鍵を握っています。そうしたパターンを生み出す原動力とは何でしょうか? あるいは、これらの同じパターンの構造や原因は何でしょうか?
スラック:恐れを作り出すことができれば、人々をコントロールすることができます。キリスト教の教会は、人々に罪責複合(後ろめたさ)を植え付けました。「生まれながらに罪深い存在である」ということです。教会はあなたを救うことも殺すこともできます。
まったく馬鹿げていますが、人々はそれにとらわれてしまいました。そして今は、科学者が教会に取って替わっています。身体や心を患っているときは、医者や精神科医に診てもらわなければなりません。彼らは何でも知っていると思われていますが、それは真実ではありません。
枝廣:この繰り返されるパターンでは、最初に誰かが恐れを作り出し、その恐れが依存を生み出しています。ですから、教会に依存したり、医療などに依存したりしなければなりません。そして、例えば、消費主義社会では、他人と比べるために恐れが作り出されます。これが消費を促すわけですね?
スラック:まったくその通りです。
枝廣:人々は恐れが原因の消費中毒にかかっています。では、どのようにして、こうした局面から抜け出すことができるのでしょうか? スラックさんは、誰もが「よい種」を持っているとおっしゃいましたが、日本やほかの国を見ると、自分のことを信じている人はほとんどいません。多くの人たちが、「自分に価値がない」と感じています。どうやってこれを変えることができるでしょうか?
スラック:意識を取り戻さなければ、変化は起こりません。私たちの意識は、教育システムや主流の文化やマスメディアによって調整されてきました。だから、今の人々はコンピューターやテレビなどに夢中なのです。日本のような社会の若者は特に、絶望的になり、仕事が見つからないかもしれないと不安になり、脆弱な状態になることを恐れて、多くの人たちが自殺をします。
彼らを助けるには、外国へ送り、別の場所の若者と自分たちを比べさせればよいのです。外国へ行って、自分たちよりもはるかに恵まれていない人たちと会い、彼らから学ぶことで、変化が起きると思います。
同じように、森や川へ行って、木や川、鳥やハチから学ぶのです。それによって、私たちの知見はより広く、より深くなります。私たち自身は物質世界を超えた、超越的な存在になります。実に素晴らしいですね。日本の神道には元来これが備わっていますし、仏教にもあります。
私たちは、人々が苦しんでいることを学ぶことで、友達になれるのではないでしょうか。日本での福島第一原発事故でさえ、危機は変化のチャンスでもあることを人々に教えています。しかし、従来どおりのやり方を望むならば、何も改善されません。
枝廣:ええ。
スラック:日本は、叡智を持っているはずです。チェルノブイリを起こしたロシアやボパール事故のあったインドとは違うことをしたらいいのです。そうなれば素晴らしいですね。
●「男性」と「女性」は平等で、互いに補うべき存在
枝廣:いわゆる東洋と西洋の違いの一つは、相互のつながりの感じ方だと思います。日本人や東洋人にとって、自然の一部であるという感覚は当然のことです。私たちは宇宙の一部なのです。ですから、独立しているわけではありません。
スラック:その通りですね。
枝廣:私たちは互いに依存しています。つながり合っているのです。しかし西洋文明では、そうした考え方をしません。「スチュワードシップ(管理)」という、「人間はほかの生きものや地球の世話をするように神に任命された」という考え方はあります。ですから、神が一番上にいて、次に人間、ほかの生きものというように階層があるのです。
しかし、日本人にとって、そうした階層的な状況は馴染みがなく、人間はほかの生きものや木々と平等です。しかし私たちは、こうしたつながりの感覚を失ってしまいました。
スラック:その通りですね。西洋でも聖フランチェスコのような、神秘主義者で、ほかと関わりを持つ人たちはいますが、それは主流ではないと思います。私たちのそもそもの教えや文化は、互いにつながっていましたが、歪められてしまったのです。日本の仏教でさえも、とても階層的です。
枝廣:(笑)
スラック:階層的というよりは、男性優越主義ですね。それは変えなければならないと思います。男性と女性は平等で、お互いに補い合わなければなりません。男性の方が優れている場合、女性の方が優れている場合があります。
率直に言うと、女性の方が優れているとしたら、男性よりもかなり優れているでしょうね。なぜなら女性には、陰陽があるからです。女性は慈悲と知識を持っています。知識は真実を示すことがあります。慈悲は常に素晴らしいことです。男性でも、女性の慈悲から学び、女性のようになれるでしょう。実に素晴らしいですね。女性を称賛し、女性から学ばなければなりません。
●正しい「呼吸法」が内なる平和をもたらす。
枝廣:私がスラックさんの本(『しあわせの開発学 エンゲージド・ブディズム入門』)を読んだときに、瞑想のための呼吸についてとても興味を覚えました。相互のつながりの感覚を取り戻して修復し、自然や周囲に自分たちを開放するためには、これが一つの方法だと思いますか?
スラック:はい。呼吸はとても大切なのに、私たちは気にしていません。
私たちは不必要なものを捨てて、必要なものを見定めなくてはならないと思います。必要なものがわかると、私たちの人生において、最も大切なものがわかってきます。人々は気がついていませんが、最も大切な要素は、「呼吸」なのです。呼吸など大切ではないと思うならば、5分間息を止めてみてください。死んでしまいますよ。
枝廣:(笑)
スラック:正しい呼吸法は、とても簡単です。朝起きたら、急がずに2〜3分間、息を吸って吐きます。その日に感謝しましょう。雨が降っていたら、きれいで、しっとりとしていますね。お日様の光もきれいです。いまこの瞬間が最良のときです。
不安を抱えながら、汚染まみれの中で呼吸するのではなく、安らぎを感じながら、慌てずにゆっくりと呼吸するのです。穏やかに息を吸い、安らぎを感じながら息を吐き出します。
ブッダは安らぎを感じるためにあなたの手助けをしてくれたのです。忍耐は素晴らしいことです。まず、物事を前向きに見ることができます。
第二に、穏やかになることを学びましょう。内に平和をもたらすのです。さもなければ、とても暴力的になります。だから、呼吸をしましょう。深い呼吸をすることで、穏やかになることができます。
次の段階では、意識を再インストールする方法を学ばなければなりません。ほかの人たちとつながっていることに気づくためです。貧しい人々とつながらなければなりません。彼らの苦しみは私たちの苦しみです。私たちのライフスタイルが彼らの苦しみを生み出しています。貧しい人と交わり、友達である彼らから学ぶのです。そうして私たちは変化するのだと思います。
仏教では、私たちは誰にでも仏性があると言われています。クエーカー教徒たちは、私たち誰もが、内に神性があると信じています。実に素晴らしいですね。つまり、私たちには何か特別ところがあるということです。
だからといって傲慢になるべきではありません。特別であるということは、親切になるべきということを意味します。謙虚でなければなりません。ほかの人たちに奉仕をして、ほかの人たちが幸せになるように手助けをしたいと思うほど、私たちは幸せになるはずです。あなたが幸せになりたいと願うならば、不幸な人たちのお世話をしましょう。財産が多ければ多いほど、人は不幸になります。
そして、すべてのもののつながりを感じてみましょう。私の母国タイでは、敬意を込めて、川を「母なる水」、地球を「母なる地球」、コメを「母なるコメ」と呼びます。毎年、地球の水というお祭りも開催しますが、現在ではこうしたお祭りの企画は観光のためだけになってしまいました。お金がすべてで、何でも売り物になります。ですから、私たちは、例えば呼吸といった、大切なものや相互のつながりに立ち戻らなければならないと思います。
●「非暴力」という新しいパラダイム
枝廣:そうですね。深い呼吸と互いにつながっている感覚を取り戻すことは、個人として取り掛かることができます。しかし、グローバリゼーションのために消費主義を促す社会の構造を変えるためには、お金を中心とした、成長を目指す社会や経済からどのように抜け出すことができるでしょうか?
スラック:二つの方法があります。意識を取り戻す方法を学び、何が大切かわかれば、例えば自動車は有益だけど、有害でもあることがわかります。お金や思想は有益だけど有害でもあります。
それを心に留めた上で、あなたには手助けをしてくれる「よき友」も必要です。あなたよりも経験が多く、例えば仏教経済学について学び、社会の構造について勉強しており、暴力を有害なものだと考えている人たちです。私たちは、そうしたよき友から学びます。よき友は、あなたが聞きたくないことを教えてくれますし、意識の声にもなってくれます。
社会の構造を変えたければ、それを理解しなければなりません。圧制的なシステムは望みませんが、抑圧者を憎むべきではありません。憎むと暴力的な手段を取りたくなります。それは構造を変えるための答えではありません。
ダライ・ラマは非常によい例です。チベットは50年間、中国に占領されています。6,000以上の寺院が焼き払われ、多くの僧侶が殺され、多くの尼僧が拷問され強姦されました。しかし、ダライ・ラマが求めたのは、中国人を愛するということです。中国人も同じ人間で、仏性を持っています。だから、中国人と対話し、私たちは一緒に変わるべきなのです。
なんて素晴らしいやり方なのだろうと思います。徹底していますよね。ダライ・ラマは、私たち一人一人が自分の中で平和を築くことができなければ、世界平和は実現しないと言いました。これは最も難しいことですが、それしか方法はないそうです。
昔のやり方では、革命はすべて暴力的でした。しかし暴力が平和をもたらすことは決してありませんでした。ですから私たちは、非暴力という新しいパラダイムを始めなくてはならないのです。
枝廣:ええ、非暴力ですね。例えば、日本政府が福島での原発事故や地震の被災地での対応を誤っているのを見ると、日本政府や官僚や大企業に対して嫌悪感を覚えるのもまったく当然です。しかし、スラックさんは、こうした人たちも愛さなければならないと言います。同時に私たちは自分たち自身を変えることができます。自ら変わろうとする人の数が増えれば、私たちは社会や経済を変えることができるかもしれません。
スラック:はい。5年前に、私は、ビルマからの天然ガスのパイプラインを妨害したことで逮捕されました。米国とフランスの大手国際企業が、ビルマとタイの政府と協力して、ビルマの森を破壊してパイプラインを設置し、ビルマ政府に反抗した多くの少数民族を殺しました。そしてタイへやってきて原生林を破壊しました。私は彼らを止めるために行き、逮捕されました。
私は彼らを嫌いませんでした。そして結局、私を逮捕した大臣は私に謝罪しました。私が逮捕されるように仕向けたタイの企業も、今では間違いを犯したと気がついています。彼らとは、最後にはよい友達になりました。よき友を持つことは、人生において素晴らしいことです。考え方もやり方も違うかもしれません。でもこうして物事を変えていくのだと思います。
枝廣:しかし、自分を逮捕した人たちとどうしたら友達になれるのでしょうか?違いを乗り越えたから、それともビジョンを共有できたからですか?
スラック:ここでまさしく、正しい呼吸が必要になると思います。
枝廣:なるほど。
スラック:あなたも呼吸をしますが、彼も呼吸します。木も呼吸します。木を切りたくありません。すべての木が死んでしまったら、私たちは生き残ることができません。チベット人から多くのことを学びました。
この杖は、数年前にワシントンDCでデモに参加したときに米国人女性からもらったものです。そのとき一緒に歩いた僧侶は、18年間、中国政府の拷問を受けたそうです。彼は私より20歳年上だったのですが、はるかに若く見えました。ですから、私は彼に「どうやって若さを保ったのですか?」と尋ねました。彼は「拷問されたとき、深い呼吸をしていました」と答えたのです。また、彼を拷問している人を許すように祈ったそうです。ようやく彼は釈放され、彼らは友達になりました。
憎悪はあなたの助けになりません。腹が立ち、暴力的になります。暴力を減らし、慈愛を育むのです。まず、自分自身に、友達に、両親に、そして、見知らぬ人たちに、あなたと対立する人たちに慈愛を広げます。そうした考え方です。
●変化の兆しに希望がある
枝廣:本当ですね。さて、これが最後の質問になります。スラックさんは、西洋の世界でも、希望が見えるとお話されました。どのような部分で希望を感じますか? 実際によりよい世界へ変えるために、こうした希望を後押しするには、どうしたらよいでしょうか?
スラック:主流を超えたその先を見ようとすることです。主流のマスメディアや教育にあまりとらわれないでください。ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センのような人たちは、主流の経済が世界を支配するだろうと明言しました。今、人々は仏教経済学を推進しています。仏教経済学は、資本ではなく、人や自然を大切に考えます。実に素晴らしいですね。
また、米国の今の若者はますます非暴力的になっているそうです。それは私が保証できます。米国では、16歳や20歳の若者たちが瞑想をします。欧州でもそうです。日本の若者も、米国や欧州の若者を見て、瞑想をしたらどうでしょうか?
わざわざお寺へ行く必要も、仏教徒である必要もありません。こうした呼吸が若者を変えます。その後で、貧しい人々に会いに行けばいいのです。貧しい人たちから学びます。それが答えだと思います。
枝廣:スラックさんは現状について楽観的ですか?
スラック:いいえ、私は楽観的ではありません。でも、希望を持っています。
楽観的とは、すべてが素晴らしくなることで、希望を持つということは、変化の兆しがあるということです。タイでさえも、たくさんの争いがあります。経済状況はひどく、さまざまな汚染が発生しています。人々はスラムで暮らしています。メディアもひどい有様です。
しかし、若者は霊性を高めようと努力しています。主流の大学でさえも、若者たちの支援を申し出ています。ある大学は、国民総幸福(GNH)を推進するブータン研究所と協力して、福利学部を新しく設置しました。
枝廣:そうですね。
スラック:実に素晴らしいでしょう。スイスのダボスで開かれる世界経済フォーラムでも昨年は、フランスの僧侶がGNHについて話すために招待されました。ですから経済学者たちは、主流が終焉を迎えていると分かっているのです。何か代替となるものを探しています。フランスの大統領でさえも、GNHについて研究しています。
私の本が英国で今年初めに出版されたとき、英国の高級紙のひとつ『インディペンデント』紙に書評が掲載されました。その1行目には「落ち着いて息を吸い、安らぎを感じながら息を吐きましょう。ペプシコーラを飲むのはやめて!」、2行目には、「キャメロン英首相はこの本を読むべきである」と書いてありました。いま、人々はこの本を真剣に受け止めています。だから、希望があると思うのです。
枝廣:はい、希望がありますね。
スラック:本が希望ではないかもしれませんが、21世紀に向けた貢献の一つです。
枝廣:まったくその通りですね。この本は希望の源泉ですね。お時間を頂き、ありがとうございました。スラックさんとお話できてとても楽しかったです。
スラック:ありがとうございます。
<動画メッセージ>http://ishes.org/interview/itv03_04.html
スラック:他人の幸せを気にかけることで、最終的には、私たちも幸せになります。自分の幸せだけに関心があって、他人のことは気にしないならば、決して幸せにはなれません。私たちは、より大きな権力を持ち、お金やモノを手に入れるかもしれませんが、幸せにはなりません。これを心に留めておけば、私の言うことを信じなくてもいいのです。このことについて真剣に考えれば、おそらく、消費主義という悪魔の宗教はもはや力を持たなくなるでしょう。
<プロフィール>
スラック・シワラック (Sulak Sivaraksa)
1933年生まれ。歯に布を着せぬ言論活動で知られるタイの代表的な知識人。社会批評家、学者、出版者、活動家として、1960年代末より、仏教僧侶や学生活動家たちと共に、奉仕活動を軸とする、農村の自立発展のための多数のプロジェクトに参画すると同時に、多くのNGO・社会的起業を創設してきた。タイ語と英語による書籍と論文は100点以上にのぼる。代表的な英文著作に、「Seeds ofPeace: A Buddhist Vision for Renewing Society(平和の種――社会変革のための仏教的ヴィジョン)」、「Conflict, Culture, Change: Engaged Buddhismin a Globalizing World (紛争・文化・変化――グローバル化する世界のエンゲージド・ブディズム)」など。1995年、もうひとつのノーベル賞といわれる「ライト・ライブリフッド賞」受賞。2011年、第28回庭野平和賞受賞。