幸せ経済社会研究所のサイトに、インタビューコーナーがあります。
http://ishes.org/
そこに「半農半X研究所」代表の塩見 直紀さんが登場して下さっています。
http://ishes.org/interview/itv04_01.html
http://ishes.org/interview/itv04_02.html
http://ishes.org/interview/itv04_03.html
http://ishes.org/interview/itv04_04.html
塩見さんのお話をとても興味深く聞かせていただきました。ぜひ読んでいただけたらと思います〜。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「半農半X研究所」代表の塩見 直紀さん
●最初、「半農半X」は自分を救うためのコンセプトだった。
枝廣:今日はお時間をいただきありがとうございます。最初に、塩見さんが半農半Xにどうやってたどり着かれたのか、そのあたりを教えていただけますか。
塩見:ひとつは、やはり里山というような所で生まれ育ったことに影響を受けていると思います。わが家は兼業農家で、父は教員でしたが、母と祖母とお茶を作っていたし、お米も出荷をしていました。当時はまだ家族で、お弁当を持って田植えとか稲刈りをやっていました。僕らは、月の光で稲を稲木に掛けたり、一家で山に植林に行くとか、そんな時代の最後の世代です。まだ軽トラもあまりなくて。
その後、大学卒業後にたまたま入ったのが株式会社フェリシモという、80年代の後半から環境問題に取り組んでいた会社で、その会社との出会いが大きかったです。それでレスター・ブラウンさんの本を読んだり、講演会を聞きに行ったり。
そうして、いろいろな本を読みあさっていく中に農業の本を読まざるを得なくなりました。当時から自給率は低くて、農業の高齢化も顕著でしたが、今で言う「当事者」というキーワードだと思いますが、そこで自分もやらないと議論がしにくいなというのがあって、そこで「自分も種をまこう、鍬を持とう」という流れです。自分がやるのか、自分はやらないけれども「農家がんばれ」「中国の人がんばれ」というのか、は全然違いますよね。
もう1つ大きかったのは、その会社が、同期入社に芸大出が多かったことでした。商品開発を自社オリジナルで作るので、発想とかアイデアが豊かな人材と出会って、僕だけ普通の人間だったような感じがして、そこで初めて遅い自分探しが始まった。自分探しのことを僕は今「天職問題」と名づけていますが、環境問題とこの天職問題が20代の2つの大きなテーマでした。
それがちょうど90年代です。地球サミットが92年にあって、93年には平成の米騒動が、また95年に30歳になる年には、阪神大震災や地下鉄サリンがありました。そういう20代の後半を過ごして、それがすごく良かったと思います。
それから1999年、2000年、2001年と時代の変わり目に、田舎に移住した人も結構いて、「何か自分もアクションを起こして変わらなきゃ」というのがすごくありました。
そして、いろんな本を読んでいく中で、たまたま星川淳さんの「半農半著」という言葉に出会って、「これだ」と思いました。
ただ、自分は星川淳さんのように著述業をしたいとか、翻訳ができるとかというわけでもなく、法律もパソコンも得意ではない中で、自分の「半農半著」の「著」に当たるものは何かなと考えても「何もない」というのがわかるんですね。
最初は、自分の「それ」は何かというので、「it」を入れていたのですが、「半農半it」に、ある時「X」を当てはめたら、うまく四字熟語になって、「これだ」ということになりました。そして、その言葉が生まれたことによって、「こういう生き方、コンセプトを伝えたらいいんじゃないか」というミッションを得ました。
最初のころは、それを周りの人に伝えないといけないという思いもなく、自分を救うためのコンセプトでもあったので、その言葉で自分が救われたという感じでした。その後、変な意味での追い風が吹いてきて、新聞や雑誌が取り上げてくださるようになったり、「本を出さないか」という話になって。急にできたものではなく、迷いながら生まれてきたコンセプトなので、その分ある種、寿命が長いのかなとも思います。
東京に講演に来るまでにも10年かかっています。特に東京で講演しなきゃとか、出版しなきゃとは思わなかったけれども、周りが「ぜひ」とかいう形で呼んでくださるようになって、今では年間たくさん呼んでいただいています。それだけ時代が厳しくなっている可能性は十分あるかなと思います。
●東京でもニューヨークでも「半農半X」はできる。大切なのは農のハードルを低くすること。
枝廣:食糧自給率が低いし、何とかしないといけないと、みんな思っている中で、自分をシステムの外側に置いて、「政府がんばれ」とか「農家がんばれ」というのもあるし、もしくは端っこの所で消費者として「応援します」という運動もありますよね。そういうものではなくて、そこに入っていって中から変えるということをされたわけですよね。
塩見:はい。半農半Xというのは東京でもできると考えていまして、ニューヨークでもベルリンでもできます。中には、「半農半Xは地方でなければできないというように、限定したらどうか」という提案をする人もいるのですが、そうすると、今までさんざん、僕たちが悩まされてきた、都市と地方の対立という対立構造になってしまいます。
それよりも、ベランダでもいいし、屋上でもいいし、大好きな場所で、やれる所からやる。1日30分、40分でも土とか植物に触れるという、かなり緩く、敷居を低くすることで、誰でもできる。まだまだ農のハードルが高い場合もあるし、感じていらっしゃる方もあるかと思いますが、いかにハードルを低くするかが大事だと思います。深める人はどんどん深めたらいいし、それを伝える人があってもいいし、多様な役割をみんな担っていけばいいなと思っています。
枝廣:思い切って自分で種をまこう、鍬を持とうと思われた時、それはそんなに大きな変化ではなかったんですか? たとえば「自分1人やったって、日本の自給率がすぐに変わるわけではないし、何ができるんだろう」という思いもあると思います。やはり、農業を小さい時に体で体験されていたことが大きかったのでしょうか。
塩見:そうですね。
枝廣:そこの一線を超えるのが結構大変な場合が多いと思います。
塩見:まず考えたのは、食卓の自給率を0.001でも上げていくことが重要です。自分の時代に0.1上げて、次の世代が0.2にして、という発想ですね。自分の世代ですべて、本当は解決しないといけないくらいの危機的な状況であり、無力感もあると思いますが、次の世代にバトンタッチをするような「経世代型」のスタイルでいいと思います。
あとは、第一歩を踏み出せない人が大半だと思うんですけれども、「初めの一歩力」みたいなのが重要なので、何でもいいと思います。市民農園を借りてみるとか、長く会っていないおじいさんをお盆に訪ねていってちょっと手伝うとか、友だちの所に行くとか。リトルアクション(小さなアクション)を重ねていくことが重要かなと思います。
●「半農半X」は昔からあった!
枝廣:半農半Xは、これまで日本でも何度もあったようなユートピア的な農村づくりでもないし、田舎暮らしをしようというのでもないですよね。たとえば「兼業農家とどう違うんですか?」と聞かれたら、どうお答えになりますか?
塩見:兼業農家の方で、たとえばボランティアが好きな方とか、自治会活動を頑張っているとか、それに賭けているようなお年寄りや、兼業農家で意見を持っているなら、僕の目から見れば半農半X。でも、その方が兼業農家という言葉が好きならそれでいいし、すべて半農半Xでくくろうとは思いません。
中には、専業農家で16町とか広い面積をやりながら、まちづくりをバリバリやっている人もいます。前に東北で出会った方は、大きな農業をしながらNPOをつくって、フリースクール的なことをされていて、それを専業だけでとらえていいのか、とも思います。でも、専業農家というプライドがあるならそれもいい。いろいろあっていいと思います。昔は農をしながら大工さんがあっただろうし、武士も暇な時は鍬を握っていましたよね。
枝廣:百姓という言葉が、もともとそうですからね。
塩見:はい。僕が好きな事例では、奈良の宮大工の西岡常一さんの本で読んだのですが、先祖の言い伝えとして、「宮大工は、暇なとき普通の大工仕事をするな。そのときは畑仕事をしろ」というのがあって、畑・田んぼを持っておられたそうです。土とか植物に触ることで木の心がわかるし、その仕事をする中で、次の仕事の段取りが見える。
現在は結構スケジュールを入れがちな時代ですけれども、何かそこで一歩スローダウンしていって、未来を考える時間があってもいいだろうし。それはすごく教訓的な話だなと思って。西岡さんの本を読んでいましても、「半農半工」という言葉があります。
それから、『夜明け前』などを書いた小説家の島崎藤村も、大正15年に書いた『嵐』という小説で「半農半画家」という言葉を使っています。主人公のお父さんが、画家を目指して芸術学校に行っている子どもたちに、「半農半画家でいいんじゃないか」というせりふを、ポロッと言うんです。
そう考えると、日本人は、島崎藤村の時代も、いろんな言い方をしていた可能性があるなと思います。
枝廣:面白いですね。
●「農の時間」、「Xの時間」
枝廣:たとえば自給率を上げなければと農業から入ったとしたら、半農、農業にかかわるところだけでいいと思うんですけど、Xも大事なわけですよね。そのあたりを少しお話いただけますか。
塩見:農の時間とXの時間はすごくリンクしているように感じています。たとえば僕の場合、草刈りのときによくひらめくので、ポケットの中に紙と鉛筆を入れておいて、メモしています。空にはヒバリとかセミが鳴いて、カエルがいて、ヘビがいて、風が吹いて、という中で、こんなプロジェクトはどうかとか、こんなエッセイのネタがあるんじゃないかとか、すごくひらめきやすいのです。
特に重要だと思うのは、農をすることによって、人間中心主義というものを超えられる。人間のおごりや自然のコントロールといったことに対し、自然の中に内包されるとか、寄り添う、従う、学ぶ、といったものを農から学べるということです。
その一方で、僕が農から学べるものには、クリエイティビティというものもあります。村人を見ていても、美意識が高くて、たとえば、「草ぼうぼうなのが何か美しくない」ということもあるし、土壁の塗り方や、あぜのぬい方が、すごく美しくて。
それから感受性。レイチェル・カーソンのいう「センス・オブ・ワンダー」といったものも、農から即、学べる。
今年、すごくかわいそうなことをしたのは、草刈りをしながらカエルを20匹以上殺しているんです。でも、カエルを殺したことに対して何も思わなくなったらおしまいだろうし、宮沢賢治とか金子みすゞさんならどうしただろうかとか、そんなことを思っています。それが、自分のXにもプラスの影響を与えていて、すごく善循環をしているような気がします。
社会起業家が今、千葉に移住されたりしていますけれども、すごくいい傾向で、社会起業家としてさらにいい方向に行ってもらえるんじゃないかなと思います。私の理想は、半農半社会起業家が増えたらいいなと思っています。
●半農半Xは、自然に従い、与えられた天賦の才を発揮すること。
枝廣:「このままでは」と思っている人はたくさんいるけれど、今の時代で、農業だけではなくてXを見つけることの意義について、どういうふうに思っていらっしゃいますか?
塩見:環境問題で「もったいない」という言葉が言われるようになりましたが、この国にあと3つの「もったいない」があって、「天与の才の未発揮」。「地域資源の未活用」、それから「人が出会っていない(多様な組み合わせの未コラボレーション)」というもったいなさです。まだまだ活かされていない、もったいない方がたくさんいらっしゃると思うし、新しい出会いによって、コラボレーションもまだまだたくさんできる。
Xを見つけるのは難しいと思いますが、Xがわからない方に対して言うのは、「自分のXにこだわらないで、周囲の方のXをプロデュースするというXがある」ということです。自分のXにこだわらずに、家族とか、ほかの方のXを応援することで自分のXが満たされるということもありますよね。Xイコール自分のものと思いがちですけれども、誰かを応援するというXは美しい形ではないかなと思います。
枝廣:半農半Xというコンセプトが生まれて、それで救われている人はたくさんいると思います。私はまだ特技が何かわからない、何がXかわからないけど、でも半農半Xは自分のものにできるという。そういう方のなかには、半農から入って半Xを広げられる方と、「自分がこの社会で、やりたいことをやっていきたい。だけどそれだけだと十分にお金がもらえないから、食べるものは作っていこう」という、半Xから入って半農に行かれる人といると思いますが、そのあたりはどうですか?
塩見:両方ありますね。半農半Xの良さというのは、農をちょっと生活の中に加えるだけでも、鉢を1つベランダに置くだけでも、何か豊かになるし、やさしくなるものだと思います。Xは両面あって、Xにシフトされる方、農に少しチャレンジされる方、極端な方は会社を辞めるとか。
去年、台湾に行ったのですが、台湾で、自分の本を読んで「大学の先生を辞めました。それで、地域のコミュニティセンターの館長になりました」という人もいて、そんなこともあるんだなとびっくりしました。台湾版の本の副題が「順從自然、實踐天賦」――自然に従順で、与えられた天賦の才能を実践する。すごく明確なスタンスの2方向の4文字、合計8文字で表現されています。
それくらいシンプルに人生の方向がわかれば、こんがらがったのがときほぐされるような気がします。物事はもっとシンプルで、僕らが勝手に複雑化しているようなところもあるかなと思います。
●高まる危機意識と「転機」
枝廣:先ほど、「世の中が半農半Xを認める、もしくは求めるようになってきた。厳しい時代になってきた」とおっしゃっていましたが、何がどう厳しくなって、半農半Xを受け入れる、もしくは求める世の中になってきたと思われますか?
塩見:20年前から、枝廣さんや僕らはオイルピークのことは考えたと思うんですけれども、それが現実化しています。資源、食料の問題に加えて、気候の変化というのも結構大きいと思います。今までは、「去年変な天気だったな」というのが、変なのが当たり前になってしまいました。それが数年、特に顕著かなと思います。
枝廣:そういう流れを見て、一般の人たちも、たとえば自分の食べ物とか、これまではお金で買えばいいと思っていたけどそうではないという、そのあたりの危機意識でしょうか。
塩見:そうですね。リーマンショックもあっただろうし、多くの人が仕事の面や、お金の面でもいろいろなことを感じたり、気づきつつあります。
5年ほど前に書いた『半農半Xの種を播く』のなかで、「やっぱり急がないといけない」という思いで「5年以内のアクションを」ということを書かせてもらいました。
というのも、農家の平均年齢が、数値以上に70代とか80代とどんどん上がっているので、5年以内にバトンタッチして、農業の技術とか知恵とかを引き継がないといけない。バトンタッチには時間がかかるかと思うし、早めのアクションが重要なので、焦らず着実に、いい形で引き継いでいけたらと思います。
3.11もあって、コミュニティの問題や農のあり方、エネルギーなど、大きく変えていく転機だと思っています。これからはエネルギーを自給していかなければいけないし、半農半Xをしながら電気を売電するような「半農半X+電」ということも言われるようになっていくでしょう。そういう意味で、これは本当にラストチャンスだし、これ以上の大きなことはないと思います。
これからの時代は、急がないといけないし、でも着実にゆっくり「悠々と急げ」という言葉のように、緩やかに変わっていければと思います。
●すべてのひとに「X」がある。ほかの人の「X」を応援しよう。
枝廣:半農半Xという言葉だけ聞くと、大地と自分の天命、ミッションとのつながりといった、大地と自分との閉じられた関係で解決しそうなイメージですが、ご本でも書かれているように、それから生まれるつながりとか、コミュニティとか、そういった要素もすごく大事だなと思います。
塩見:やはり、住んでいる場所を愛しているかというのは、これから大事になると思います。今回の震災で感じたのは、東北の方が地域を愛する感じというのは全然違うなということです。愛する場所、現在住んでいる場所が好きではない方も愛していく。そのためには、まなざしとか感性を取り戻す必要があって、意外といい町なんだなというのを取り戻さないといけないかなと思います。理想は大好きな町で大好きな仕事をすることですね。
僕は、すべての人にXがあると考えているので、東京で満員電車に乗るのはあまり好きではないけれども、この人たちみんなにXがあるかと思うと楽しくなります。
人間だけではなくて、ゴーヤにはゴーヤのミッションがあって、梅には梅の、お茶にはお茶の、ビワだったら薬の王様と言われていますので、葉っぱも種もXがある。すべてのものにXがあって、それが表現されていく。そういう時代が来たらいいなと思っています。
そういう意味では、住んでいる場所はとても重要です。自分が住んでいる所から半径3キロぐらいの、徒歩や自転車で軽く行ける所のいいところを探すと、地域を大好きになるし、それができると楽しくなる。日々感受性が高まっていって、次々にすてきなものが見つけられますし。
枝廣:「あるもの探し」ですね。
塩見:ほかの人のXを見つけたり、応援するのも大事だと思っています。レイチェル・カーソンが、「子どもの周りにセンス・オブ・ワンダーを応援できる人が1人は必要だ」と言うように、周りはXの応援団であるという意識を持てばいいと思います。
僕のワークショップのなかでも、大好きなことや得意なこと、気になるテーマ、ライフワークを3つ書いてもらうミニワークをさせてもらっています。そして、その3つのキーワードをみんなの前で語ります。なかなか想いを聞いてもらえない時代、話す場がない時代になっているので、話し合う、傾聴し合うというのは、とても重要なことではないかなと思います。
3つのキーワードもみんな多様で重なりません。もしかしたらほんとうに世界で1人かもしかいないと思うことが結構あります。写真が好きだけだったら、上には上の人がたくさんいるけれども、でも、第二、第三のキーワードを組み合わせると、オンリーワンな存在というのがわかってきます。さらに活動舞台(市町村名や地域名など)も書くのでほんとうに唯一無二の存在だとみんな感じられます。
僕はそれを、生命多様性、生物多様性をもじって「使命多様性」と名づけているんですが、人はほんとうに多様な存在だなと思います。
●「X」で食べていくのは大変だけれど、はじめ方は、ある。
枝廣:たとえば食べ物は半農で作るとしても、現金収入は必要だから、それは半Xのほうから得る。やりたいこととか、自分が得意なことは見つかったけど、それを、お金をもらえる仕事に結びつけるのはちょっとハードルがある。そこが難しいですよね。
塩見:講演をしていますと、ある方から、「半農半Xはエリートでなくてはできないんじゃないか」という質問を受けたり、「Xが明確で、Xがある種プロフェッショナルな人はやっていけるかもしれないけれども、万人はどうかな」ということを言わたりもします。確かにXで食べていくのは大変だけれども、職業でなくても、まずはボランティアから始める、というのでもよいと思います。
もちろん理想はフルタイムですが、ちょっとの時間、何か福祉的なことをされるのもいいし、少しでも自分にとって輝ける時間があるだけでも生きがいがありますし。
枝廣:発明家の藤村さんの非電化工房に見学に行って、いろいろお話を伺う機会があったのですが、藤村さんは『月3万円ビジネス』という本を出されていて、月に3万円稼げるビジネスを10個持っていれば、十分それで食べていける、とおっしゃっています。
『月3万円ビジネス』藤村靖之著
本当はフルタイムがいいというのはこれまでの価値観だけど、ほんとにそうかどうかも、これから怪しい。それより、3万円ずつ稼げるのを10個持っていたほうがきっとこれからいい、と。自分のミッションの組み合わせが、30万円を生み出すのはすごく難しいけど、3万円だったら生み出せるかもしれないですよね。そうやって300万あれば十分だし、食べ物を自分で作れればなおよいですよね。
●半農半Xの持つ発想力
枝廣:もう1つお聞きしたいのですが、私も講演で、特に企業とか経済界の人と話をするときに、半農半Xの話をさせていただいたくと、「感覚的にはわかるけれど、みんながそういうふうに会社でどっぷり仕事をして、死ぬまで働くのをやめたり、モノを買うことをやめたりすると、日本の経済は止まってしまうんじゃないか」という質問をいただきます。そういうときに、どのようにお答えになりますか?
塩見:確かに、まだまだ縛られていらっしゃる方は多いですよね。ただ、今は農のあり方など、いろんな意味で大きく変えるラストチャンスなので、多くの人に納得してもらえるように、グランドデザインを提示していきたいと思っています。
また、僕としては、半農半Xをすることによって、専業農家の予備軍が生まれたらいいなという面もあります。田んぼで稲刈りをしたことがあるというような農作業の経験者もまだまだ少ないと思いますので、少しでもそういう予備軍を作りたい。
農業を配慮できる人口が、この国に何%いるかはとても重要で、まだ少ないので、そのためには半農半Xという形から入る必要があるし、農とXをうまく絡めることで新しい発想も出てくるので、とても重要なことだと思います。
たとえば、2011年に「半農半アート展」が東広島であって、茨城取手では「半農半芸」もありました。農と芸術家でやっていくと、新潟の「大地の芸術祭」みたいなことができるだろうし、何がうまれてくるかわからないというか、もしかしたらもう1つの経済効果が出てくるかもしれないし、すごく大きな可能性を持っています。
●半農半Xというのは、自分で自分の公式を作って完成させるもの
枝廣:今、日本の人口全体を考えたときに、半農半X的な生き方をしている人や、半農半X的なあり方や生き方を求める、もしくは積極的に応援するという人たちは、どれくらいいそうな気がしますか?
塩見:3%くらいでしょうか。新聞とか、NHKの「ラジオ深夜便」などでもとりあげていただいて、いろいろな人たちに届きつつあるけれど、常時、半農半Xというコンセプトを取り出せる方はまだ少ないと思うので。
それは、もしかしたら食とか農を大事にしている人口と同じくらい、もしくは原発のことを考えているような人と同じくらい。大半はまだまだ、そういう方向ではないものを目指していらっしゃるかなと。
枝廣:3%くらいの感じですね。ただ、たまたまこれまで半農半Xというのを聞いたことはないけど、聞くと、「そうだよね」と言う人もすごく多いですね。
塩見:そうですね。8年前に本を出させてもらいましたが、伝えられていないだけですね。原発のこともエネルギーのことも、ありとあらゆることがまだ伝わっていなくて、10回であきらめないで11回とか、1万回とか、言い続けないといけないし、そのためには、ビジュアルとか表現方法とか変えていかないといけない。今までのやり方を変えていく必要もあると思います。
枝廣:でも、先ほどコンセプトが大事とおっしゃったようにご自分が伝える部分と、コンセプトの力で広がっていく部分と、きっとありますよね。半農半Xというコンセプトはその点、それだけで伝わる力があると思います。
塩見:ありがとうございます。僕も、半農半Xというのは自分のコンセプトではなくて、オープンソース、オープンコンセプトみたいなことを宣言しているので、今はすごくいい感じで多くの方が伝えてくださっていると思います。
枝廣:半農半Xというコンセプトが、すごく緩やかな定義というか、何でもありとおっしゃいましたが、「これはこうでないといけない」という世界でずっとやってきた人たちから見ると、その緩やかさがすごく特徴だなと思います。そのあたりは、塩見さんのご経験とか試行錯誤ですか?
塩見:いかに言い訳をなくしてもらうか、という作戦でもあります。自分もそうですが、結構、人は言い訳をしますよね。なので、「これぐらい緩やかならできませんか」というところで、あとは好きにチョイスしてもらえばいいと思っています。
半農半Xというのは、自分で自分の公式を作って完成させるものです。宮沢賢治が「未完成は完成である」というようなことを言っていますが、半農半Xも未完成で、その人が最後に作り上げるものなので、それが意外といいなと思われる方がオリジナルで作れる。
●半農半Xを世界へ
枝廣:最後の質問です。これからやっていきたいことを、ぜひ。
塩見:半農半Xを英語圏に本格的に伝えていけたらと思います。英語圏人口が17億くらいでしょうか、まずはその方たちに伝われば。インドとか、北欧とか、フランス、さらには中国語圏など、半農半Xのコンセプトを世界に向けて何とかして伝えていきたいと思います。
自分ももう46歳になったので、年相応の仕事をしていかないといけないのかなと思います。小さな農を続けながら、コツコツ汗を流しながら草を取る。それも大事にしながら、何か社会的な活動をしていきたいなと思います。
枝廣:半農半Xを世界に広めていくのは、何をその先に描いていらっしゃるんですか?
塩見:やはり持続可能な世の中と、一人ひとり輝ける社会ですね。おばあさんも、道行く人もスポットを、光を浴びていくようなことができたらいいなと思います。
枝廣:私は、日本も世界も、持続可能性の問題を解決する上での1つの大きな介入点というか、働き掛けをしないといけないのが、社会のペースを落とすということだと思っているのですが、半農半Xが世界に広がると、絶対世界のペースは落ちると思います。そういう意味でも、広がってほしいなと思います。また、世界のネットワークとか、どうやって広げていくかという話をできるといいと思います。今日はいろいろお話を伺って、とても楽しかったです。ありがとうございました。
(※最後のページで塩見さんの動画メッセージが見られます。ぜひご覧ください)
http://ishes.org/interview/itv04_04.html
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塩見さんが提唱・実践されている「半農半X」という生き方、日本だけではなく、中国をはじめ、世界にも広がりつつあります。私も海外でよく話をしますが、国にかかわらず、とても関心と共感が高いことを感じます。
余談ですが、今シーズンは大阪マラソンと東京マラソンと、2回フルマラソンを走りました。ふだんはハーフマラソンを走っています。この間、あるマラソン大会に「ハーフ」と並んで「1/8マラソン」という種目がありました。ハーフの半分の半分ですね。
半農は無理だとしても、1/8農でも、1/16農でもいいですよね。私の場合はベランダのプランター程度なので、まずは「めざせ、1/256農!?」 それでもゼロよりはマシかなと。(^^;