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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2013年02月02日

ブータン便り その2 国王・王妃・大臣とお話をさせていただいて考えたこと・感じたこと (2013.02.02)

新しいあり方へ
 

ータンの首都ティンプーで開催中の「第1回 New Development Paradigm 国際専門家ワーキンググループ会合」は、今日が最終日の4日目となります。

世界各国の専門家50~60人がメンバーとしてブータン国王の任命を受けて参加しています。今回の会合にもブータン国外から40人ほどが参加しています。

昨日の午後は国王主催のお茶会に招待されました。4年半前にはじめてブータンに来たとき、ちょうど国王の戴冠式の2週間後で、国中がお祝いムードだったことを思い出します。第4回GNH国際会議に参加したのですが、そのときにも海外ゲストは国王主催のランチに招かれ、一人ずつ挨拶してくださって、素敵なお人柄に魅了されたのでした。その後、ご結婚され、日本にもおいでになりました。

昨日のお茶会には王妃も来て下さって、お二人は最初に参加者の一人一人と挨拶をして下さって、そのあと、6~8人ずつテーブルを囲む形での立食お茶会。国王と王妃はそれぞれのテーブルを回りながら、参加者とざっくばらんにお話をしてくれました。単なる"表敬"という感じではなく、それぞれの参加者とのお話を楽しまれていて、1時間半ぐらい一緒に過ごすことができました。

国王はたまたま私のいたテーブルに最初にいらして、6人ほどの参加者と話をして下さったのですが、誰に対しても本当に真摯に、温かさとユーモアをもって接して下さる様子に感銘を受けました。外見も本当に素敵ですが、存在からにじみ出るお人柄がすばらしいなあと。

テーブルに日本からの参加者がいるということで、日本にいらしたときの話もして下さいました。順番に一人一人の目を見ながら、温かく私たちを笑わせながら話されます。

ある参加者から「ブータンにもテレビやネットが入ってきて変わってきているようですが、どう思われますか?」と聞かれたとき、このような話をして下さいました。

「ええ、自分が生まれたころには、ブータンにはテレビもネットもありませんでした。自分の姪っ子は2歳ですが、この子たちの世代は生まれたときからネットやiPadがあります。自分の父たちの時代には電気もありませんでした。そう思うと、自分たちの80~90年代生まれが、古い時代と新しい時代をつなぐ世代だと思います。

いろいろなものが入ってきます。しかし、それを受け入れるかどうか、選ぶかどうかは、その人次第です。たとえば、水が汚れていたら、飲む前にフィルターにかけるでしょう?

だからこそブータン人にとってGNHが大事なのです。必要なのです。

そして、ブータンも世界の中に存在するわけですから、世界から孤立して自分たちだけでGNHと言っているわけにはいきません。GNHを世界とともに進めていくことが大事だと思っています。

毎週のように、首相やブータン研究所所長から、GNHについての進捗報告を受けています。昨日の会議もちょっと混乱したそうですね?(笑) でも最終的にはうまく進んでいくことと信じています」

ブータンのGNHについては「閉ざされた牧歌的な秘境の国が、グローバル化のもたらす消費文化の攻撃に耐え、それでも幸せな国であり続けられるのか?」という文脈で見られることがよくあります。首都ティンプーではディスコで踊り狂っている若者がいる、犯罪も増えているそうだ、と"変わってしまったブータン"の証拠を掲げて、やっぱりブータンもダメなのね、と言われる方もよくいます。

ブータンはこれまで、空港の建設やテレビの導入、インターネットの導入などのタイミングを自分たちで設定してきました。グローバル化にあれよあれよというまにもっていかれてしまった、という状況ではなく、国王や政府がタイミングを定めながら、意識的に段階的に、世界に開かれた国にしてきました。

グローバル化に伴う消費文化の侵攻は避けるべくもないことは承知の上で、だからといって国を閉じて外界から孤立し続けることが進むべき道ではなく、だからこそ、ブータン人の中に「何を採り入れ、何は採り入れないか、何を選ぶか、何を選ばないか」というしっかりした基準・心の拠り所となるものを作っておきたい。その1つを「GNH」という形で示されたのだと思いました。

と同時に、ブータンだけでいつまでも持ちこたえるのは大変だから、世界を席巻している消費文化をはじめとする大事なものを壊してしまっているさまざまなマイナスの力を弱めていきたい、よい方向に変えていきたい。GNHに代表される「本当に大切なこと」を大切にしていけるように、世界も変わっていってほしい。だから、国連の場を通じて世界各国にも働きかけていきたい、という今回のプロジェクトを立ち上げ、首相自らが委員長となって推進されているのでしょう。(ちなみに、首相は最初の挨拶だけではなく、ずっと会議に参加され、参加者の意見に耳を傾け、必要な場合にはご自分でも発言されています。そのようすからも、力を入れていらっしゃることが伝わります)

自分にできることは小さいけれど、でもこのプロジェクトが少しでもよい形で進むように、できるだけ頑張りたい!と強く思ったのでした。

のちに、王妃ともお話しできました。震災後に被災地においでになったときのお話や、お茶目なお話もして下さって、本当に美しくて優雅で温かくてお茶目で素敵な方だなあ!と思いました。

「日本を訪れて、日本が大好きになりました。またぜひ行きたいです。被災地の小学校におじゃましたとき、「また来るね」と言ったのですが、この間、そのときの子どもから「また来るねと言ってくれたけど、いつ来てくれるのですか?」と手紙をもらったんですよ。行かなくちゃね!」

このお茶会のセットアップのため、昨日のお昼の休憩時間は長めにとられていたおかげで、ブータンの情報通信大臣とじっくり1対1でお話をすることができました。文化も担当されていて、とてもご関心と造詣が深い方です。

「ぜひ日本からいろいろ学びたいと思っています」という理由として、例に挙げられたのが歌舞伎と漫画でした。

来日されたとき、歌舞伎をご覧になって、「ブータンの古き良き価値観がここに体現されている」と本当に感激されたとのこと、そのあらすじを話して下さいました。ブータンの方に歌舞伎について解説をしてもらっている日本人って......(^^;)というのは置いておいても、そのあらすじと大臣が何に涙されたかをお聞きして、私もうるうる。「帰国後に首相にも閣僚にも話をしました。ブータンでも、ああやって、残すべき大事な価値観や美しいものを残していかなくてはならない、と」

「もう1つ、日本から学びたいのは漫画なのです」。日本の漫画が入ってくるまえは、米国の漫画ばかりだったとか。「どんどん殺し合うような漫画とかね」

急に「忍者って、何で強いか知っていますか?」と尋ねられて、目を白黒させていたら、「瞑想なのです。瞑想をして、高い次元の境地に達してはじめて、水も火も超越した強さを身につけることができるのです。忍者は瞑想と修行なのです。私たちの仏教と同じです。忍者だけではなく、日本の漫画には、そういった価値観や奥の深さがあります。ええ、手塚治虫氏の漫画もたくさん読みましたよ。ブータンはそういった日本から学びたい。ブータン人にもクリエイティブな人が多いので、漫画家になるトレーニングを受けさせたいなあと思っています」

国王、王妃、大臣、みなさんにいろいろと教えられた貴重な時間でした。

「価値観」のつながりで、会議自体の話を少しだけ。「幸せ」や「発展」や「パラダイム」をどうとらえるか、というのは極めて文化的なところがあります。そういった中身だけでなく、こういった会議をどう進めるか、という方法やプロセスも、ある意味、欧米と東洋では違うところもあります。そのあたりで、同一文化内での会議とは異なる難しさを乗り越えようとしながら、進んでいるところです(外交的な物言いが移ってしまったかな? ^^;)。

ある議論で、欧米からの参加者から「このプロジェクトの目的は幸福の最大化である。幸福はこのような方程式で表すことができる。したがって最大化するためには、このようにアプローチすればよい」といった発言があり、類似の意見がいくつか続いたとき、どうも違和感があって、私も発言を求めました。

「幸福を最大化することが目的と言われると、違和感を感じるので、少し説明させてほしい。日本で行われた幸福調査で、『あなたの理想的な幸福の状態は?』という問いに対して、『70%ぐらい幸せな状態』『50%ぐらい幸せな状態』と答えた人もたくさんいた。少なくとも日本には、『100%の幸福』や『幸福の最大化』を求めているわけではない人々がいる。

一時的な幸福というより、たとえ持っているものは少なくとも、『これで十分』『足る』を知った状態も大事だと、私たちは思っている。

みなさんには自明のことかもしれないが、念のため、少なくとも、『幸福』自体と、『幸福を追求できる条件』を区別することが必要だと申し上げたい。

だれであっても、その人なりの幸福を追求できる条件を最大化する、ということならわかるし、それはこのプロジェクトの目的だと私も思う。ただ、人の幸福を最大化するという言い方になると、『政府や国連に自分の幸福を操作されたくない』と反発するたちも出てくるだろうし、気をつける必要があるのではないか」

というようなことを発言しました。

結果? スルーされました~。

スルーされるのは基本問題委員会で慣れています(^^; まあ、そうだろうな、私が言いたかったことは、なかなか欧米の多くの方にはわかりにくいだろうな、と。(それは価値観自体がわかりにくいのだろうという意味と、私の説明がわかりにくかったかもしれないという意味です)

休憩時間になったとき、ブータン側の参加者から声を掛けられました。「さきほどの発言、ありがとう。自分も本当にそう思います。幸せは最大化するようなものではなくて、『これでいい、これで満ち足りている』と思えることが大事ですよね。なかなかこういうアジア的な価値観は伝わりにくいのですが......」と。

経済成長至上主義は幸せにとってマイナスだ、という議論はこの会議でもよくされているのですが、幸福を最大化するという考え方は、一歩間違うと「幸福成長至上主義」になってしまうのではないか。最大化したとして、そこでとどまる、というよりも、どんどん成長させていかなくてはならない、というものになってしまったら、それこそ幸福は得られないのではないか。

そう思うと、経済であれ幸福であれ、「とどまっていてはいけない。どんどん成長すべき」という価値観自体が、経済や幸福の敵なのではないか。。。

そういったことがうまく伝えられなくてもどかしい思いですが、もっと自分でも勉強して、きちんと筋道を立てて考え、説明できるようにならなくては、と省みることしきりのブータン会議です。

 

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