自民党政権になってから、エネルギーや原発に関する"国民的対話"もどこへ行ってしまったことやら......という感じですが、国のレベルにしても、柏崎市でお手伝いしているように地域のレベルにしても、対話や合意形成の勉強や実践をかさねていかなくてはならない、と思っています。
その点で、かねてからぜひ詳しく知りたいと思っていたのが、新潟県巻町の住民投票の顛末でした。巻町は現在では新潟市の一部となっていますが、)全国で初めて住民投票で「原発建設NO」を選択した町です。
「自分の町の将来を、自分達の意思で決めた、そういう町がありました」ーーご縁があって、JFSのボランティアスタッフで旧巻町出身の方が原稿を書いてくれましたので、ご紹介します。
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新潟の小さな町の選択「自分達で選んだ町の将来」 」
「自分達の町の将来を自分達で決める」。1996年8月4日、日本で最初の「住民投票」が執行された。しかもテーマは、それまで27年にも及んだ原子力発電所建設をめぐる議論を、賛成か反対か住民の総意を直接問うというものだ。
結果は投票率88.29%、投票総数 20,503票、原発計画反対が12,478票(61.22%)、賛成が7,904票(38.78%)。そしてその後のさまざまな経過を経て2003年12月に東北電力が「計画断念」の声明を出して、30年以上に渡る長いストーリーが幕を引いた。
なだらかなカーブを描いた長い海岸線を持つ新潟県のちょうど真ん中辺り、佐渡島の対岸にあたる場所に位置するのが新潟県西蒲原郡巻町、人口は約3万人(いずれも1996年当時)。平成の大合併により2005年10月10日に新潟市に編入合併し、現在は新潟市西蒲区となっている。
海水浴に地引網と短いながらも新潟の夏を存分に楽しめる4つの海水浴場、近隣の小中学生の遠足の定番で大人にとっては山菜取りを楽しめる植生豊か角田山(かくだやま、481m)、そして角田山のなだらかな丘陵地から広がる米どころ新潟平野、それがこの町の自慢だ。
この巻町(まきまち)に原発計画が持ち上がったのが1969年6月。町民達は地元の新聞である「新潟日報」のスクープでそれを知らされることになる。
予定地は角田山の南西に位置する小さな集落の角海浜。角田山から直接海に落ち込むという地形のこの地域は耕作が可能な平坦な土地が少ないため漁業が生業の中心。交通の便が悪く、商業地からも遠いこの集落では過疎化がすすんでいたのだ。
用地の取得に難航した巻原発の計画は、原発推進派の住民、反対派の住民、それぞれの思いが平行線のまま、10年20年と時を経て数多くの住民団体が結成された。
原発反対派は、巻原発をつくらせない会、巻に原発はいらない・声の会、巻原発反対共有地主会、若い母親世代が中心で立ち上げた青い海と緑を守る会etc.と。一方の推進派の団体は、"どんなに海が青くても、どんなに緑が多くとも、本当にそれだけで生きて行けると思いますか?"とビラを配る。
長きに渡る議論の中、"巻の普通の住民達"は一方的な推進・反対の意見を主張するだけでなく、原発にまつわるさまざまな勉強を重ねてきた。しかし決着にはなかなか結びつかなかった。
転機が訪れたのは、1994年10月。自営業者らが中心となって推進でも反対でもない「巻原発・住民投票を実行する会」(以下、実行する会)を結成した。おりしも、その3ヵ月後の1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起こる。ニュース映像で見る高速道路が崩れ落ちた姿に、日本中の誰もが予想外の天災が起こりえることを認識する。
実行する会がこれまでの活動団体と違ったのは、あくまでも「中立」を貫くということ。自営業者のカンパで運営したこの活動では、プレハブ事務所を建設し、常駐職員を置き、マスコミ発表を行い、町民説明会を開催した。
「実行する会」の趣意書には「巻原発が建設されるか否かは、巻町にとってまた巻町民にとって将来、決定的に重大な事柄であります。このような重大な事柄に関しては、民主主義の原点に立ち返り、主権者である住民の意思を確認すべく、住民投票を行う必要があります。」として町に住民投票の実施を求め、町が実施しない場合は町民自主管理の住民投票を行うことを宣言した。
この「実行する会」の結成から劇的に事態が動き出す。1995年2月には「実行する会」の自主管理による住民投票の実施、投票率は有権者の45.4%。反対が9854票で、原発賛成の474票を大きく上回る。
しかし、町議会はあくまでも住民の意識調査として、この結果を受け止めない。同年4月の町議選で「住民投票条例制定」を公約した12人(過半数)が当選、同年12月にリコール署名1231人を集め原発推進派の町長を辞職に追い込む。そして「実行する会」のメンバーから新町長が当選し、冒頭の1996年8月4日の住民投票に到る。
住民投票実施の直後には、「民主主義の学校」と言われマスコミや学者が注目し取材に来た。町有地の売却訴訟に、選挙、リコール、直接請求など、主権者としてやれることは全部やった上で得られた「自分達で選んだ町の将来」。そして、巻町は普通の町に戻った。
住民投票から15年を経て起こった東日本大震災。この天災を契機に再び、"青い海と緑の町、まきまち"の「自分達で選んだ町の将来」が注目されている。
参考資料: 消えた町 巻町最後の十年 山下 祐司
http://journalism.jp/works2006/2007/02/post_8.html
リレーメッセージ「第10回 笹口孝明(元新潟県巻町 町長)前編」
http://kokumintohyo.com/archives/6178
リレーメッセージ「第11回 笹口孝明(元新潟県巻町 町長)後編」
http://kokumintohyo.com/archives/6206
劇映画「渡されたバトン ~さよなら原発~」パンフレットより「巻原発・住民投票」について 元巻町長 笹口孝明
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推進でも反対でもない、中立の立場の「実行する会」が、「原発建設は、巻町にとってまた巻町民にとって将来、決定的に重大な事柄だから、民主主義の原点に立ち返り、主権者である住民の意思を確認する必要がある」と働きかけたこと、それに対して多くの住民が88%を超える投票率で意思を表明したことが鍵だったのですね。
「自分の町の将来を、自分達の意思で決めた、そういう町がありました」ーー巻町だけでなく、またテーマは原発の有無に限らず、どこの町も「自分の町の将来は自分たちの意思で決める」ようになっていくこと。
そこにしか、日本再生の鍵はないと思うし、それができるようになるために、何が必要なのか、現在のところ対話力などのトレーニングや実践を進めていますが、さらに何を支援していけばよいのか、考えていきたいと思っています。
この旧・巻町の住民投票が映画になっています。
映画
「渡されたバトン ~さよなら原発~」
(上記ウェブサイトからご紹介)
> 全国で初めて住民投票で「原発建設NO!」を選択した新潟県巻町(現新潟市)
> が舞台です。投票率88.3%。推進派も反対派もみんなで投票した住民投票が
> なぜ実現できたのか。
>
> 史実に基づき、巻町民の住民投票に至るまでの紆余曲折、波乱に満ちた様々なド
> ラマを、ある家族の視点を中心に描いていきます。
各地での上映予定もあります。よかったらぜひご覧下さい。