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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2013年07月07日

「経済成長に頼らない社会へ」エルネオス7月号巻頭言 (2013.07.07)

新しいあり方へ
 
「情報感度を研ぎ澄ます」ビジネス情報誌・エルネオスで、かつて持続可能なビジネスに取り組む企業を紹介する連載をさせていただいていたご縁から、年に数回巻頭言を書かせてもらうことになりました。 7月号の巻頭言です。 http://www.es-inc.jp/library/writing/archives/doc/ELNEOS201307.pdf ちなみに、ほかの連載その他も含めて、執筆についてはこちらから見ていただくことができます。 http://www.es-inc.jp/library/writing/index.html 今回の原稿を紹介させていただきます。選挙戦も始まりましたが、みなさんはどのようにお考えでしょうか? ~~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~ エルネオス 2013年7月号 経済成長に頼らない社会へ  安倍政権の経済政策「アベノミクス」の3本目の矢である成長戦略の「2103年度から22年度の平均で名目GDP成長率3%程度、実質GDP成長率2%程度」という目標の背景にある「経済は拡大し続けるべきもの」という考え方にもの申させてください。 ちなみに「成長率3%」は小さく感じるかもしれませんが、24年後には経済規模は2倍になります。この時代になってもなお、「経済の拡大」だけを考えていてよいのでしょうか? 「この時代」という言葉には、少なくとも2つの意味があります。  1つは「人間活動が地球の支えられる範囲を超えてしまっている時代」ということです。  私たちの経済は、資源の供給源・廃棄物の吸収源としての地球に依存しています。「人間活動を支えるために地球が何個必要か?」を示すエコロジカル・フットプリントの現在の数値は1.5。つまり現在の人間活動を支えるためには地球が1.5個必要なのです(ちなみに日本だけだと2.4個です!)。  もちろん地球は1個しかありません。私たちは過去の遺産を食いつぶし、未来から前借りをしながら経済活動を営んでいるのです。そして、地球の大きさは変わらないのに、人間活動や経済の規模は拡大の一途です。  元世界銀行チーフエコノミストのハーマン・デイリーが「経済学者が、地球自体も同じ速度で成長できることを示してくれたら、経済が無限に成長する可能性があることを受け入れよう」と言うように、有限の地球上で無限の経済成長はありえません。  そして、もう1つの「この時代」の意味は、「日本が急激な人口減少社会に突入している時代」ということです。  国立社会保障・人口問題研究所によると、日本の生産年齢人口(15~64歳)は1995年には8622万人だったのが、2015年には7682万人、2035年には6343万人、2055年には4706万人へと半分近くになっていきます。 「GDP=労働生産性×労働者数」ですが、この労働力の急減を補うほど労働生産性を上げ続けるのは大変なことでしょう。 「労働力を外国人労働者で補えばよい」という声もありますが、「2030年に労働力を2000年代初めの水準で維持するには、合計2400万人もの外国人労働者が必要」という試算を見ると、かなり難しいことがわかります。  そういう時代だからこそ、「経済規模が拡大し続けなくても、国民が安心して幸せに暮らせる社会・経済にシフトしていく」グランドビジョンを今のうちに描き、具体的な方策を打ち出して社会を引っ張っていくことが政治リーダーの役割ではないでしょうか?  社会保障をはじめ現在の社会・経済の構造では、経済成長が止まると「困る」状況が生じます。「だから経済成長が必要だ!」がこれまでの論理でしたが、考えるべきは「必要であっても可能ではない場合、どうしたらよいのか?」です。現実に目をつぶって可能なフリをし続けるのではなく、永続的な経済成長を必要としない社会・経済の構造に変えていくことではないでしょうか?  世界では、サルコジ大統領(当時)の諮問で「GDPよりも幸せを測るべき」という報告を出したフランス政府、「成長なき繁栄をいかに創り出していくか」という報告書を出した英国政府のほか、最近ドイツ議会でも「幸せをどう測るか」をめぐる1000ページもの報告書が出されたように、「永続的な経済成長が不可能となる時代の国家のあり方や国民の幸せ」の議論が、国のレベルでも盛んです。  もともと「パイを大きくする」経済に対し、「パイの再分配をする」のが政治の役割だったはず。「大きくなれば分配を考えなくてもよいから」は、もう通用しません。世界に先駆けて人口減少社会に突入した日本だからこそ、新しいビジョンとモデルを創っていくことが求められています。 ~~~~~~~~~~~~~引用ここまで~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 大事なことは「経済持続」ではないのかなあ?と思います。経済がずっと安定的に活発に生き生きと回っていくことはとても大事だと思いますが、どんどんと規模を大きくし続けていく必要があるのでしょうか? 幸せ経済社会研究会の勉強会でもお話しすることがあるのですが、どうも「経済成長」という言葉の「成長」のイメージにごまかされがちなのですよね。「成長」といえば、子どもの成長、人間としての成長など、「善きもの」というイメージがありますから。 「GDPが大きくなっていく」という事象をさす場合、「経済成長」という言葉ではなく、「経済拡大」「経済膨張」というようにしたらどうかな?と思っています。どうでしょうね?
 

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