今月はじめ、別府に地熱温泉の取材に行った折、前から行ってみたかった「別府
北高架商店街」にうかがい、ブック&レコードショップ「ReNTReC.」のオーナー、
日名子英明さんに取材をさせていただきました。
商店街は小さいけど、個性的なお店が並んでいて、魅力的でした。子どもたちの
声が響いていたのも印象的。お店のガラス越しに、日名子さんににっこり会釈し
て挨拶していく人たちも。暖かな生き生きした通りに感じられました。
シャッター通りからにぎわいのスペースへ、どうやって転換できたのでしょうか。
うかがったお話を原稿にしてみたので、良かったら読んでみて下さい。
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シャッター通りから、にぎわいのスペースへ
日本全国で商店街の衰退が問題となっているなか、全13店舗中9店舗が空き店舗という「シャッター通り」だったのに、2年半で空き店舗はゼロになり、にぎわいを取り戻しつつある小さな商店街が注目を集めています。
大分県のJR別府駅近くの高架下にある「北高架商店街」は、築47年の古い小さな商店街でした。駅の近くとはいえ、ひっそりと高架下に連なるお店に足を運ぶ人はそれほど多くなく、店舗の4分の3が空き店舗という、典型的なシャッター通りでした。
変化のきっかけは、2011年4月に商店街入り口にオープンしたカフェが、店内に作家の芸術作品を展示したり、夜などは別の人に店を貸してカフェバーにするなどして、人の集まる場づくりを始めたこと。そして、地元出身の日名子英明さんが同年8月にブック&レコードショップ「ReNTReC.」を開店したことでした。
新しい店主たちは、管理会社の協力を得て、地元の画家に頼んで、商店街の壁や柱に絵を描いてもらい、それまでのさびれたイメージを明るく変えました。また、毎週土曜日に商店街の通路でフリーマーケット「Slowly Market」をスタート。これまで足を運ばなかった客も引きつけるようになりました。さらに商店街を気に入り、自分の店舗を開店する出店者も出てきました。空き店舗を地元の芸術イベントの会場にしたところ、訪れた人がその空き店舗で雑貨店を開店することになるなど、シャッター通りのシャッターが次々と開いていったのです。
日名子さんにお話をうかがいました。
「別府は、昔はにぎやかな町だったんですよ。飲み屋や歓楽街が軒を連ね、多くの人が国内旅行で訪れ、人々があふれているような町でした。しかし、その後シャッター街が増え、浴衣姿で歩く人がいなくなり、スナックも次々とつぶれていきました。1989年~91年にバブルが崩壊すると、観光業は閑古鳥となり、外に働きに行く人も増えました。
自分自身は別府を出るチャンスもなく、あきらめの心境でイベントをやっていました。しかし、イベントはあくまでも瞬間的なものです。ある出来事から、イベントではなく、「場」を持たないといけないと思うようになりました。子どもも年配の人も集まれるサロン的な場をつくりたいと思ったとき、「レコード屋をやろう」と思ったのです。
当時はシェアスペースが盛んになっていたので、別府タワーの4階のシェアスペースで店を開きました。でも、そのスペースは2011年4月に閉鎖されてしまいました。別の場所を探していたとき、知り合いの木部さんがこの商店街でカフェをオープンし、のぞきにいった時、「ここでやったらどうか」と言われたんです。「ないでしょう、ここは」って返事しましたよ。だって、13店舗のうち4店舗しか開いておらず、いまの僕の店舗の場所も荷物置場になっていて、とても使えそうな場所ではなかったですから。
でも結局、2011年6月にレコード店をオープンしました。そして、カフェのオーナーたちと相談して、「この場所を何とかしたい」と、トイレを白く塗ることから始めたんです。それがかわいいと評判になりました。
2012年に、別府プロジェクトで現代アーティストフェスティバルが行われることになったとき、「1回限りのイベントはもう結構」と思っていたので、毎週人々が集まれる場をつくろうと、slowly marketというフリーマーケットを始めました。そのような中で、ここで店を持ちたいという人が出てくるようになったんです。
この高架下はJR九州の管轄ですが、管理会社である「別府ステーション・センター」の中村社長が、新しい動きを面白がってくれて、協力してくれています。敷金・礼金をできるだけ抑えて、その分、運転資金に回し、お店を魅力ある、持続可能な形にしたいという提案にも協力してくれました。そういった中で、洋服屋さんや酒屋さんが店をオープンしました。
僕は、「商店こそ経済の起爆剤になる」と考えています。そこでしか買えない、そこでしか提供できないものを提供していくこと。それはartisanの世界であり、そういった店があちこちにあれば、町の回遊が生まれます。
商店街も、「誰でも店をやってくれればいい」というのではなく、「どのような思いで、何をやりたいのか」、みんなで対話をしたり、吟味をしたりすることが大事ではないかと思っています。
行政の補助事業も、「最初の3年間、助成金を付ける」というのが通常のやり方で、実際には、助成金が切れると店舗をやめてしまうことが多いのですが、例えば「2年間は自力でやらせ、2年お店がもてば、3年目に月15万ずつ補助を出す。そうすれば、その資金を、店を拡張したり、より魅力的なものを仕入れたりすることに使うことができる。そして次の1年、また自力でやらせ、次の1年補助を与える」というようなやり方ができないでしょうか。そうすることで、その場所で10年、20年、30年と商売を続け、地域から、「その店がないと困る」と言われる存在になっていけるのではないでしょうか。
この商店街には、ラーメン屋さんの「十五万石」さんみたいに、何十年もやっているお店もあります。古くからあるお店と後から入ってきた新しいお店の関係が難しいといわれることもありますが、ここのコミュニティは最高です。僕が「ここに来て本当に良かった」と思えるのは、十五万石さんのお店の前にいるというのも大きいんです。他の商店街の方に伝えたいのは、「受け入れる」ということ、そして、共存することの大切さです。
とにかく十五万石さんのご主人と奥さんには、本当に助けられました。僕ら、勝手にいろいろなイベントをやったり、人がくるたびにドンチャン騒いでも、一緒になって楽しんでくれるんです。餃子を差し入れてくれたり、ラーメン差し入れてくれたり。
そして、彼らの生活を見た時、何の気なしに見ていることが、実はすごく重要なのだということを勉強させられました。彼らを見ていると、「時間」がわかるんです。
同じ時間に店を開けて、同じ時間に休憩を取って、同じ時間にお皿の回収に行って、同じ時間に店を閉める。毎日揺らがないんですね。まったく揺らがないのです。お父さんは、何の文句も言わず、雨の日も風の日も、かんかん照りであろうが、冬の寒い中だろうが、毎日、出前があればすぐ持っていく。
つまり、商売ってこういうことかということを、ここで教わった。「店を持つ」ということは、インターネットで通販をすることじゃないんですね。この近辺の人たちが毎日来て、僕らのお店の売り上げに協力していただく。そのためにこちらは、近所の人が欲しいものを提供するということなんです。
実は、これに気づいたのは2、3カ月前だったんです。ほんとに遅かったなと思いながら。
それまでは、「僕の店はレコード屋だから、わかる人だけわかればいい」というところが、自分の中にもあったと思います。これはいかん、と思いました。この店で、近所のおじいちゃん、おばあちゃんが買うものはあるかなと思ったら、一切ないんです。
観光客の人たちが来ればいいと、初めはたかをくくっていたんですけど、そんな人たちはいつ来るかわからない。ましてやインターネットで、と言ったって、いつ発注がかかるかわからない。それよりもパーマネントに欲しいものがあるということが大事だと。
もちろん、この商売でそれを見つけるのはすごく難しいかもしれませんが、それを見つけることができれば、お店としてはきちんと成り立つ。
この界隈にどれだけの人が住んでいるかというと、別府には11万人ぐらいの人がいます。その11万にのうちの、たとえば「年収がこのくらいの人」とか、「こういうものが欲しい人」という人数が1,000人いたら、その1,000人が1カ月のうちに買いに来てくれたら、商売は成り立つわけですね。1,000人が1,000円ずつ使ってくれれば、100万円ですから。僕1人でやっているような、またはスタッフが2、3人ぐらいの規模だったら、100万円を毎月上げることができれば、無理をしなければ事業として成り立ちます。
「ここにどういう仕事を生み出していくか?」と考えた時、わくわくし始めたんです。お金になる仕事をどう生んでいくか。この町内の人たちが欲しいと思う仕事をどう生み出していくか。
それまでは、「モノを売る」というのは待ちの営業だとばかり思っていたんですけど、そうじゃない攻め方があるなと思いました。レコード屋だからって、レコードだけを売るんじゃない。「レコードを聴く」ということも売れないか。
たとえば、「家にいっぱいレコードがあるけど聴けないんだよね」と言う人たちに、「週に1回ぐらいレコード鑑賞会をしませんか。その代わり、お茶の1杯も飲んでいってね」と言って、それでお金を落としてもらうやり方があるかもしれない。商売ですから、そこはしっかりお金を落としていただく方法を考えていけばいいわけです。
お互いに、「お金を落としても損していない」と思っていただける関係をつくることができるなと思って、今、少しずつ、そこへ切り替えていこうとしています。
そうして、次のステップ、地域経済の影響という点では、各店舗がもう少し頑張って、利益を上げて、ちゃんと商いをしていますというところを見せていかないといけないと思っています。乗っているクルマが派手になるとか、そういうレベルではなくて、ちゃんと雇用を生み出せるようになった時に、地域経済にも影響を与えることができるんじゃないかなと考えています。
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成功要因や今後の展開の鍵としてメモにアンダーラインを引いたのは
・イベントではなく、「場」づくりをしていること。
・元からあるお店や管理会社の社長さんが、新しい人たちの取り組みを面白がり
ながら応援していること。
・地元の人に必要とされるお店になれば、日本全国や不特定多数を相手にするの
ではない、小さくても成功できる新しいモデルができそうなこと。
などでした。
また別府にうかがうことがあったら寄ってみたいなあ、今度はスローリーマーケッ
トをやっているときに行ってみたいな、と思いました。