幸せ経済社会研究所のプロジェクト「経済成長についての7つの問い」のインタビュー、ゾクゾクとアップされています。
http://ishes.org/project/responsible_econ/enquete/
その中から、水ジャーナリストの橋本淳司さんへのインタビューをご紹介したいと思います。水ジャーナリストならではの視点や考え方、途上国支援についての鋭い指摘など、ぜひ読んでみてください。
~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~
http://ishes.org/project/responsible_econ/enquete/enq058_hashimoto.html
橋本 淳司(はしもと じゅんじ)水ジャーナリスト
Q. 経済成長とはどういうことですか、何が成長することですか
人間に置き換えてみると、幼少期、青年期、壮年期、老年期とか、いろいろなステージがありますが、「成長」というのがぴったりするステージと、そうではないステージがあると思いました。
この問いは、「成長」というより「量の増加」だと思います。「成長」というと、子どもが大人になっていく、ヒナが親ドリになる、若木が成木になるなど、よいイメージがありますが、実質的には量の増加について言っていると思いました。
何が増加しているのかと言うと、1つは生産量、それに伴う消費量ですけれども、このプロセスの前段階にある資源の使用量と、後の段階にある廃棄物の量がワンセットになって増加していくでしょう。だから、「成長」とはイメージが違うのではないか。
子どもがたくさん食べて、心身ともに大きくなって、自立していくのは、非常に好ましいことだけれども、それを壮年期、老年期になってもやるだろうか?
もしやると脂肪が付いてしまったり、健康が崩れてしまうという状態が、経済成長という光の部分の裏に、実態としてあるのかなということをイメージしました。
50歳の人が中高生のような暮らしをしても駄目なはずなのに、それをすることがいいことのように思っている。
生産量と消費量と廃棄量と資源利用量が増えるという話をしましたが、水の観点から言うと、生産には水が必要なので、水使用量もどんどん増えていきます。水をくみ上げたために、環境に対するダメージも多くなってくる。水を使うということは、それだけ汚染された水を出すということでもある。水という視点から見ると、そういうふうに見えます。
Q. 経済成長は望ましいものですか、それはなぜですか
「望ましいものか」と、次の「必要なものか」は、1つにして考えたのですが、初期の段階では必要かなと思います。
アフリカのマリ共和国で井戸ができて生活がどう変わるかの取材をしたことがありました。それまで井戸がなくて遠くまで水汲みに行っていた集落に、手押しポンプを入れたのです。その結果、飲料水や生活用水が得られただけではなくて、集落の人たちが農園をつくったんですね。農園をつくることによって、自分たちが野菜を食べることができて、ヘルシーになったし、余った分を売ることもできた。ある程度、お金を得ることがきて、子どもたちも学校に行けるようになった。
こういうレベルの経済成長は必要だと思います。貧困から脱するとか、女性としての権利とか、教育を受ける権利とか、権利が保障されるレベルというのはあると思います。そういうものを確立していくときに、ある程度の経済規模が必要になるので、その段階では必要だと思います。
ただ、もう1つ必要とされている理由は、これは「必要ではない必要」ですけれども、先進国が経済成長を続けるために、無理やり自分たちのやり方の経済成長を途上国に持ち込むケースがあります。
たとえば、その地域には本当は必要ではない水道インフラを設置するとかです。過大なインフラ投資をされたために、その町は成長を義務づけられてしまう。このインフラ投資分を払っていくために、どうしても自分たちは経済成長しなければいけないんだ、となる。恐ろしい基本OSを入れられてしまったようなところがあって、そういうところで経済活動が上がっていったりします。
あとは、水インフラができたけれども下水道インフラをつくらなかったために、たとえば、中東諸国では、生活排水が砂漠に埋められているんですね。そういうおかしなものを入れられてしまったために、環境への負荷も大きくなるというケースもあって、見に行ってすごく悲しい気持ちになりました。
マリのケースだと、ある程度、権利を獲得したり、安全な暮らしができるというレベルまでは必要だと思います。でも、経済成長って哲学のようなものだと思うので、後から哲学を入れ替えるのはすごく難しい。
だから最初に、「どこまでいったらもういいんじゃないか」という哲学があったほうが平和だなと思います。最初に、マリの人たちに、「どんどん良くなろうね」という言い方をして、手押しポンプを造って、野菜を作って、もっと大きなものへ、お金持ちになってよかった、もっともっと、というふうになっていくと、多分変えられないと思います。
だから、支援する最初の段階で、ある程度、「ここまででいいんじゃない」ということを入れる。
アフリカのソマリア共和国での話です。1980年代、ソマリアのある村は、裕福ではなかったけれども、きちんと医療も受けられたし、教育も受けられていました。が、でも水インフラを入れて、間違った成長の仕方をしたためか、現在は貧富の格差だけが広がっています。
今は、保険制度もないから医者に行けないとか、前のほうがよかったじゃないかと言っている。確かにお金持ちは増えたけれども、教育とか医療とか、最低限のものが抜け落ちている。本当は、それを確立するための経済成長だったはずなのに、実際に経済成長したら、大事な目的ができていない。それを観て、最初に、「どこまで行くのがゴールなのか」をきちんと考えておいたほうがいいだろうなと思いました。
どこまで必要なのかという部分では、安全な水が確保できる、衛生的な暮らしができる、人権が保障されるということ。経済のほうが優先されるような水の支援は良くないと思います。 Q. 経済成長を続けることは可能ですか、それはなぜですか
不可能です。水は、地球の中では一定の量ですし、その一定の量の中でいつまでも成長していくのは無理。
なぜかと言うと、生産に必要な水の量が、地球に存在している水の量を上回ってしまっているからです。マギル大学ブレース・センターで水資源マネジメント研究に従事する研究者たちは、2025年の世界の食料需要予測に基づき、食料生産を増やすためには、さらに2000km3の灌漑用水が必要になると試算しています。2000km3という量は、ナイル川の平均流量の約24倍です。
また、現在の水使用パターンを前程とすると、2050年の世界の予想人口が必要とする水の量は、年間3800km3と計算されます。これは地球上で取水可能とされている淡水の量に匹敵します。机上の計算ではそういうことを言いますが、現実的にそんなことが起きたら、地球上に住めない地域が多くなっている。そういう状況では無理でしょうね。
あと、最近は汚染の問題がすごく多くなっています。自然の浄化能力を超えて水が汚染されていたり。日本の湖、沼、内湾、内海などが酸欠状態になっているって知っていますか? 日本の多くの閉鎖性水域で「貧酸素水塊」が発生しています。「貧酸素水塊」とは、簡単に言えば、水が酸欠状態になることです。
弊害はいろいろありますが、もっとも顕著なのは水生生物への影響です。たとえば、東京湾では、毎年春から秋にかけて「貧酸素水塊」が発生し、魚介類の生息に大きなダメージを与えます。低い層にとどまっていた「貧酸素水塊」が潮流などの影響で、水面近くに上ってくるときに青潮が発生し、魚介類が死滅することもあります。
つまり「貧酸素水塊」が増える=いきもののいない「死の海」が増える、ということです。「貧酸素水塊」の原因のほとんどは、窒素やリンを含んだ生活雑排水が流入し、水が富栄養化することです。水底に沈殿したプランクトンの死骸が分解する過程で酸素を大量に使うために、水のなかの酸素が欠乏してしまうのです。
そこで「海水淡水化」というのが出てくる。「海水淡水化をやれば、水資源は無尽蔵につくれるから、経済成長もできるんじゃないか」とね。ただ、そこにはエネルギーの問題があります。確かに水だけで見ると、そういう結論が出ますが、水とエネルギーはとても密接な関係にある。海水淡水化で1日に100万トンの水をつくると、400万kWhの電力を使うんです。日本企業はこのメガプラントを発展途上国で建設しているんです。
たとえば、このメガプラントが入ってきたインドの町では、値段の高い水を使わざるを得ない状況になっています。そのために、その水は、経済活動にだけ使われています。実際にインドのスラムなどに行くと、「水がない」というようなケースが出てきています。
高コストの水だから、ペイするためには経済活動のためだけにつかわれてしまうのです。
実際に、海水を真水に変えるときに使われるエネルギーに使う石油・石炭も、もう枯渇に向かっているので、非常に厳しいと思います。そこで海水淡水化プラントと原子力発電をセットで輸出しようというアイデアが出てきています。エネルギーをつくるには水が必要であり、水がつくるにもエネルギーが必要です。そのため、私たちの社会はエネルギーと水を大量消費せざるをえない連鎖のなかにあります。
Q. 経済成長を続けることに伴う犠牲はありますか、それは何ですか、なぜ生じるのですか
自然環境へのダメージがすごく大きいです。世界的に見ると、地下水が枯渇に向かっています。それから、閉鎖水域にある水が汚染され、ヘドロがたまっていくことによって、湖や湿地の面積が狭くなっています。森林資源もどんどん少なくなっている。貧酸素水塊みたいなものも出てきている。そういう犠牲があります。
最近は日本でも、ゲリラ豪雨や洪水の被害が発生しています。そうすると、「強靭化」という名の下に、新しく堤防を造りましょうとかいう動きもあります。それって本当にいいことなのか。わざわざ病を処方して治すためにお金を使う、というのがすごく多いなと思います。
特に、洪水防止のために堤防を造っていくとか、土砂崩れしないように山をコンクリートで固めるなどの仕事は、確かにそれによって経済は動いている。それも大規模に動くけど、誰が得しているんだろう?と。
むしろ、自然界から得られていたものを、どんどん得られなくしていく。で、八方ふさがりの状況に入っている。これが犠牲でしょうか。
Q. 日本がこれまで経済成長を続ける中で失ったものがあるとしたら何でしょうか
日本文化だと思います。たとえば、地方特有の文化みたいなものはなくなっていった。みんな均質なものを使ったり買うようになったり、同じ音楽を聴いたりということで、だんだんなくなっていった。
水を守る手法も、地方独特のものがあったんです。たとえば四つに区切られた洗い場のうち、いちばん上では食べものを洗い、次の場所では食器を洗うなど、用途によって水を利用する場所を変えているのです。しかし水道が敷設され、「大量に水を使っていい」となると、そういうものが消えていく。
あとは、川を使うことがなくなった。日本の文化は河川流域沿いにあったんじゃないかと思うんです。水運が川だったから、川沿いに似たような文化が伝播しやすかったんですね。
でも、高度経済成長期に行われた「列島改造」とは、川による町と町の結びつきを断ち、地方の町を道路や鉄道で東京と直結することでした。それまで、ヒト、モノ、カネ、文化の流れは川とともにありました。そして一つの川の流れで結ばれた流域が生活圏でした。流域を基盤とした生活圏は、独自の方法で自立し、ユニークな文化を生みました。しかし、高速道路網、新幹線網が整備され、地方の町が東京と直接つながるようになると、川の道はしだいに消え、川の流れで結ばれていた小さな町同士のつながりは薄くなりました。
ヒトとカネは町から東京へ流れ、モノと文化は東京から町へと流れました。若者は東京へ行き、地方には年寄りが残されました。街並や商店街は消え、幹線道路沿いにショッピングセンター、ファストフードチェーンができたのです。道路と鉄道は開発時には地方の水を奪い、完成後は地位の活力を東京へ吸い取るストローの役割を果たしたのです。
あとは、和食がなくなったんじゃないかと思っています。今、「和食」と言われているものは、本当に日本で生産されているものなのか? 海外から来たものを、均質に大量に作って、それを和食という名前の下に売っている。本当の和食というのは、もともと地方にあって、それぞれの独特の文化の中で作られていたものです。これも、大きく言うと、日本文化が消えたということですね。
あとは、「おすそ分け」とか、「使い回し」というのが消えた。これは、社会のあり方とも関係しているかもしれませんが。昔は、たとえばイモを10個もらったら、うちでは2個しか食べられないから、残りの8個は近所でシェアする。
僕が子どものころはそれがあったんですけど、今は、社会のつながりみたいなものがなくなってきているから、そういうのをしなくなったというのも1つの理由。おすそ分けという日本文化が、経済成長して、大量に買ってきて使って、余ったら捨ててしまえばいいという中で消えていったなと思います。
あと、「お下がり」もそうですね。おすそ分け、お下がり。そういうものはなくなってしまいましたね。
Q. 「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」の関係はどうなっていると考えますか
経済成長を続けていったときに、たとえば自然界から得られていた便益、自然がもたらすメリットみたいなものが減っていったり、福利厚生という部分がどんどん圧縮されていく。成長はしたけれども分配はうまくいっていないので、格差がどんどん出てくる。
経済的には成長して、1つの国のGDPはどんどん高くなっていっても、貧困層は増えるということが、インドの都市部などでも起きています。デリーも、この前行ったら、10年前とは見違えるようにビル群ができていて、すごく発展しているんですけれども、ビルとビルの間にスラムがたくさんできていました。
そういうふうに見ると、都市全体としては成長していて、お金も都市にはあるんだけれども、その分配がうまく行われていない。どんどん経済成長させようとすると、福利厚生というか、権利とかの部分が圧縮されてしまうという傾向が、いくつかの国から見えます。そうすると、持続的な幸せというのは得られないと思います。
ただ、「幸せ」というのは価値観を表現している言葉でもあるので、どんどん新しいモノを買って捨てることに幸せを感じている人も多いじゃないですか。そうなってくると、一概に、経済成長と持続的な幸せはリンクしないかと言うとそうではなく、そういう幸せの哲学を持っている人にとっては、実際にはリンクしているケースがあるんじゃないかと思いました。
だから、幸せという言葉は、使い方がすごく難しいなと思います。それから、「経済成長してくると、非常に難しい部分があるから、変えなきゃいけないね」というときに、その哲学的なものをどう入れ替えていくかというのがすごく難しいなと思います。
これは、3つの水の管理手法とすごくリンクする部分があるなと思っているんです。
ある集落に水を入れたい、村長さんが水を欲しいと考えたときに、どういうふうに水をマネジメントするか? その方法が3つあります。
1つは、「今は人口が100人で、来年は200人になる。ひとりあたり1日に200リットル水が必要だから、今年は×100倍で、来年はもっと必要になる。だから、水をもっと地下からくまなきゃいけないし、水インフラも整えなきゃいけない」という、供給に注目した水のマネジメントです。これが今、先進国が途上国に入れたい水マネジメントの仕方です。
これは、水に限りがあるということが頭に入っていない方法だし、もう1つ、水を大量に使うと、下水も大量に発生するということは、どうやら忘れられているらしい。
そこで、2つめの「需要マネジメント」というやり方があります。「節水しましょう。1日200リットルは使い過ぎだから、180リットルにしましょう」という考え方です。
でも、村の人口が100人、200人、400人と増えていく中で、1人の使用量が200リットルから180リットルに下がったところで、微々たるものです。それによって地下水が枯渇してしまったり、下水が増え続けていったりすることをマネジメントするのは難しい。
第3の方法としては、ハーマン・デイリーさんが言った「キャップ(上限)経済」にすごく似ている考え方ですが、「自然界から得られる分だけの水を使いましょう」ということを最初に決める。
たとえば、「この集落であれば、年間降水量は1,000ミリです。森やほかの生物を維持していくために、500ミリ分の雨は、そちらに回さなければいけない。そうすると、集落で使える分は500ミリですね。その500ミリを使って、何とか自分たちが暮らしていきましょう」という考え方をするのが、「生態共生マネジメント」という方法です。
経済を成長型の経済から定常型にしていくという考え方と、この3つのマネジメント手法は似ているなと思って、考えていたんです。
日本では今、地下水の法律が作られようとしています。単に量に注目したり、くみ過ぎなどに注目した法案が作られていますけれども、実際に考えなくちゃいけないのは、それだけではありません。
浅い所の地下水は、ちょっとの雨で回復します。そういうものは持続的に使っていける可能性のある地下水です。でも、企業がいきなり300メートルぐらいボーリングして水を使い始めると、そういうものは、1回使ってしまったり、汚染してしまったりすると、回復するのが難しい。そういうところにすぐにリーチしてしまうのは、すごく危険です。企業の利益は上がっていくけれども、すごく危険なので、できれば浅い所にある地下水を涵養とかしながら、持続的に使っていくことが望ましい。
それは汚染についても同じで、地下に浸透する過程で、土壌の能力によって汚染物質が分解されるケースもかなりあります。ただ、それを超えた汚染をしてしまうと回復しない。まして、深度の深い所に行ってしまうと回復しないので、そういう所はやめなきゃいけない。
Q. 水マネジメントの3つで言うと、現状は1番目と2番目の......
間にある感じですよね。
Q. 節水すればしないよりましだけど、本当の問題解決にはならないという......
そうです。ましてや、日本が途上国に支援しようとしているのは1番目のやり方です。それは、入れたら最後、本当にそこの生活を根底から変えてしまうものだし、現に、アジアでそういった支援が入った地域では、水が工場用水としてのみ使われるケースが多くなってきています。生産のための水を提供するという、非常に罪深いことをやっている。
でも実際には、「水支援」というきれいごとでしかPRされていなくて、「アジアの水不足を解消する」という言い方をしていますが。実際には、そういう支援が入っていくと非常に厳しいし、まして海水淡水化プラントなんていうものが造られたら、エネルギーと水の負の連鎖に入ってしまう。
結局は、日本の経済成長を支えてもらうために、植民地化しているのと同じだなと思います。
Q. ハーマン・デイリーさんの「定常経済」の考えは、絶対的な有限性が見えたほうがわかりやすいのですが、そういう意味では、地球上にある水は決まっているし、ある程度の絶対値もわかりやすいと思います。かつては、そこに降る雨で暮らしていたわけですよね。定常経済のあり方だったわけですね。
はい。農業を始める時に灌漑用水を引っ張ってくる、というところから少しずつ変わっていきました。雨だけの農業から、川の水を使った農業に変わるんです。その後、産業革命が起こった時に、汚れた川でも浄化すれば何とかなる、低い所にある水でも、エネルギーを使えば高い所に持ってこられる、という第2の変革が起きました。
第3番目の変革が、海の水でも真水にできるというものです。これは、水における変革ですけど、それが経済成長にもたらしている影響はすごく多いし、それによって経済成長できた部分も多いと思います。
ただ、それの負の部分は、あまり真剣に考えられていない。水は、「供給できればこんなにハッピーなことはないぞ」というのが一般的な考え方なので。
Q. 「技術の力で何とかなる」という声をよく聞きます。水の量は決まっていて、汚染されると使えなくなるわけですが、汚染除去の専門家と話をしていたら、「浄化できない水の汚染はない」と聞きました。
ないんです。
Q. それは知らなかったので、びっくりしました。今、福島原発から海に流れている......
トリウム。
Q. あれだけは水とあまりにも近いので除去できないけど、それ以外は、金に糸目をつけなければ、技術的に除去できると。
はい。
Q. そうすると、「どんなに汚しても、浄化すればまた使える」というのは、技術的には可能だけど、エネルギーなど、ほかのところに制約があります、ということですか?
はい。海水淡水化の例で言うと、たとえば、100万トンの水を1日につくるプラントができましたと。これはすごいエネルギーを使っているという話をしましたが、もう1つ、濃縮された海水の問題があります。海水淡水化プラントは100の海水から50の真水をつくります。同時に50 の濃縮された海水をつくります。100万トンの水をつくるということは、濃縮海水が100万トンできるということなのです。
これは産業廃棄物です。今はこれを海に投棄している状況です。この技術をつくっている東レなどの論文を読むと、「微々たる量なので影響ない」と言っていますが、これから海水淡水化をメインフレームとして考えていて、100万トンの水をつくるのに100万トンの廃棄物が出るようなシステムを進行させるというのは、ちょっとクレイジーだなと思います。
Q. メインフレームとしてというのがウソなのか、影響がないというのがウソなのか......
そうですね。だから、汚染物質に関しても、汚染物質は取り除けるけれども、それをどこに持っていくかということまでは考えられていない。
Q. このままいくと、どうなっていくでしょうね。「21世紀は水の世紀だ」とよく言われますよね。日本ではまだピンと来ていない人が多いけど、世界的には、いろいろな意味で水の問題がある。少しでもいい方向に変えるためにはどうしたらよいのでしょうね......
水を得ることが人権であると保障すること、生態と共生するという哲学のもとで水マネジメントを考えること。水を浄化する仕組みなど、いろいろな方法や技術 があるんです。その技術の中でも、小規模だけれども、水をきれいにできるという技術もあります。でも、「大量に水をつくらなければいけない」という前提が あって、「これだけ生産します。だからこれだけ水が必要で、海水淡水化プラントが6基必要ですね」みたいな試算が出てくるんです。
でも、なぜ最初のこの前提があるのかな? と。それは、そこの地域に本当に望まれているのか。
たとえばインドにも、自立型の小規模の濾過方法や下水処理の方法があって、そういう選択もできるんですね。そういうものを維持して使っていく。その生態共生 というような哲学の中で使える技術、水を使わない技術みたいなものもあるので、そういうものを主体的に選択していくという方法が望ましいかなと思います。
●インタビューを終えて
水ジャーナリストの橋本さんにはいつもいろいろなことを教えていただいていますが、今回のインタビューも本当に勉強になりました。
たとえば......
「先進国が経済成長を続けるために、無理やり自分たちのやり方の経済成長を途上国に持ち込むケースがあります」
「最初に、『どこまでいったらもういいんじゃないか』という哲学があったほうが平和だなと思います」
「生産に必要な水の量が、地球に存在している水の量を上回ってしまっています」
「海水淡水化で1日に100万トンの水をつくると、400万kWhの電力を使う。日本企業はこのメガプラントを発展途上国で建設しています」
「海水淡水化プラントと原子力発電をセットで輸出しようというアイデアが出てきている。私たちの社会はエネルギーと水を大量消費せざるをえない連鎖のなかにあります」
そして、水を守る手法も、地方独特のものがあったし、日本の文化は河川流域沿いにあったのに、経済成長を続ける中で、そういった日本文化を失ったのではないかという指摘も。水を守る手法も地方独特のものがあった、というのはこれまで思いが及ばなかったので、なるほど!と思いました。
最後にわかりやすく示してくれた「3種類の水のマネジメント方法」も考えさせられます。