(前号からのつづきです)
長沢が「柏崎は、柏崎でしかできないものを作るべきじゃないか」と言い始めて、みんなでそういう方向で考え始めました。地元の通信系に強い大学の先生にも声を掛けて、一緒に考えてもらうようになりました。
まず、みんなで「実際に、防災無線が家にあるけれども、地震があったときに、あれを持ち出して聞いたか?」と話し合いました。「いや、聞いてない」という話になって、「だったら、何がいいか、そこから考えられるのが僕らの強みだ」と、柏崎にふさわしい防災無線のあり方を考えていったのです。
3~4方式ぐらいアイデアを出して、メリット・デメリットを挙げていった中で、「地震の時に、防災無線は持ち出せなかったけれども、必要な情報は全てラジオからだったよね。」という話になりました。大学の先生からも、「ラジオなら多分いけます」と言われて、じゃあ、やるしかないとラジオ計画が立ち上がったのが7月でした。地域発防災ラジオプロジェクト「柏崎 いのち つなぐ ラジオ」です。
――単なる一社のOEMではなく、事業者が連携して事業を進めるという形は、もともと長沢さんが抱いていたイメージなのですか?
ずっとそういうものが必要だと思っていました。もともと長沢テックの仕事自体が、自社でやれるものは、素材の段階から完成品までの間のごく一部の工程だけなのです。ですから、それだけでお客さんの所に営業に行っても、お客さんにとっては、数ある協力会社の中の1つにすぎません。
何とか変えていきたいと、リーマンショックの頃、うちのお客さんに対して、自社だけでなく市内の会社十何社に声を掛けて、「市内だけでこれだけのことがまとめられますよ」ということを見せられる展示会を主催したりしていました。
柏崎のことを「要素技術の町」と言った先生がいます。柏崎にはメーカーがなくて、みんな下請け会社なんです。自分たちで何か製品を作るという経験がなくて、誰かの製品を図面通りに作ることには長けている人たちが多い。そういう柏崎市というものづくりの集積をPRして売りにしていたのですが、今回それが活きたかなという感じです。
――竹内さんも同じように感じていた?
ええ。僕の会社は電気屋なので、いろいろな工場に出入りします。柏崎ではそれぞれの業者が独立して頑張って利益を出しているいるけれど、横のつながりやネットワークを活かしたビジネスはあまりないんだなと思っていました。
昔、「共同受注」というのを、行政主体でいろいろやろうとして、あまりうまくいかなかったことを聞いたことがあります。その時代の、僕らの上の世代の人たちは、「われわれは共同受注できないんだ」と公言してしまう人が多かった。でも、世代が代わって、そうではないだろうとと、僕らは考えました。柏崎の製造業の総合力は相当なものだ、要素がそろっている、ということがわかってきましたので。
――それはそうでしょうけど、でも、これまで下請けしかしてこなかった事業者が、行政の求める安全・安定性のある防災無線を作るには高いハードルがあるのでしょう?
はい。信頼の裏打ちのある形にしなくてはならない、監修のできるメーカーにお手伝いをいただかなければならないと考えました。
当初、大手電機メーカーに働き掛けたら、「フン」という感じでした。「何の経験もない電気屋風情が、何か協力できないかと言ってきた」というわけです。大手3社を回りましたが、1社目がそんな感じで、2社目も「面白い話ではある。ただ、ちゃんとできる証拠がないと動けない。僕らのできるところはここまでです」と示されたレベルは僕らに必要なレベルではなかった。
最後の1社が、柏崎市内に工場のある東芝さんです。新潟市の支社に飛び込むと、東芝の社内カンパニーであるコミュニティソリューションの方が話を聞いてくれました。「これは、ものづくりの中で生きてきたわれわれとしてはメチャクチャいい話だ」と言ってくれました。「竹内さん、これは、ものづくりに携わる者として応援します。会社のほうは説得できると思います」と。
話をしたのは2015年12月だったのですが、「2016年3月までに、できるという証拠を行政に示せ」と言われていたので、あと3、4カ月でそこまで行けるかという待ったなしの状況だったのですが、「じゃあ、僕ができることまでやってあげます。どこに行けば何が聞けるかも全部教えますから、頑張りましょう。正月開けころまでに、取りあえず必要な資料を全部準備します。」と言っていただいて。
柏崎にある新潟工科大学との連携で法的な課題を詰め、東芝さんと技術的な課題を進めていくことで、今年の1月にエビデンスを示すことができ、3月までに、通産省からのお墨付きをいただくに至りました。
――すごいですね! 行政側はどういう反応でしたか?
初めは、反対意見がほとんどでした。「若いのが何か言っているけれども、できるわけがない」という雰囲気が大勢を占めていました。
――最初だったから、仕方ないのでしょうね。
仕方ない。しかも、市民の命を預かる重要な防災インフラですからね。そこに対して、東芝さんが付いてくれたのが大きかった。「東芝が後ろにいるだったら」という行政側の安心感も大きかったと思います。東芝さんは、任意団体のわれわれに対して、機密保持の契約まで作ってくれて。
――その方との出会いは大きいですね。
すごく大きいですね。すごいです。
――どうやって出会えたのですか? 柏崎工場の方?
それが違うんです。僕も突撃タイプなのですが、行ったら会えた、みたいな方です。
――すごいですね。宝くじに当たるよりすごいです。
成功したあかつきには、東芝さんにも「地方創生に関わることのできる大手だ」ということもアピールしてもらえたらと思っています。
鈴木さんとのかかわりの中で生まれた会ですから、鈴木さんには大きな恩を感じていて、鈴木さんとも毎回連絡を取り合っています。東京にも呼んでいただいて説明したら、「このプロジェクトはすごい。『下町ロケット』みたいだよね」なんて話になりました。
そこから関東経済産業局にもつながって、2016年1月にはプロジェクトを説明する機会を得、「地方創生のプロジェクトをいろいろ支援しているが、このように、官民一体になって、民間から出てきたプロジェクトは初めてに等しい。面白い」と評価をいただいたことも僕らの励みになっています。
2月には信越総合通信局の放送課にAKKラジオの説明のためにうかがい、「AKKラジオが法的な規制に抵触しないことを確認」していただきました。法的な面でも問題なく進めることができるとの確認のもと、安心して試作機の開発やフィールドテストに向けての開発を進めています。
同時に、市内の製造業にも声を掛けていきました。「このラジオを作るためには、何の技術が必要か?」を見ながら、それぞれ1社ずつに協力を仰いで、声を掛けて、今は30社くらい「一緒にやろう」と言ってくれています。
――すてきな取り組みですね。
ええ。最終製品まで製作して納める経験が無い私たちにとって、すべてが初めてのプロセスですが、様々な分野の専門家の協力を取り付けながらプロジェクトを進行しています。柏崎の若者が集まって、柏崎の問題意識を解決するために、柏崎の資源を結集して柏崎のために、というのは面白いコンテンツだと思います。
最近、広報部隊もできたので、中越沖地震から10年目の来年に向けて様々仕掛けながら、僕らのプレゼンスを高められないか、と考えています。
一方で、どこかが出ようとすると、妬みだとか、別の利害関係とかで足を引っ張る人たちがいます。また、私たちの活動を、私たちが利益を独占しようとしている、と誤解して批判する人たちも出てきます。なるべく広く私たちの活動に対して理解を得ていくためにも、広報は重要だと思っています。さらに言えば、そういう人たちも味方に巻き込めたらいいなと思います。
――今後のスケジュールは?
10月までに、基本設計実証機を作り直します。その間に、新潟工科大と長岡造形大が一緒になってデザインしてくれるということで、モックアップを今年中に作る予定です。あとは、市の調達のスケジュールにのっとって進めていきます。現時点で、他地域での実績のある事業者など数社から市への提案が出ていると聞いているので、負けないように進めていきます。
――これまでの思い込みにとらわれず、本当に柏崎が必要なものを新しく創り出せる可能性が理解されるといいですね。
ええ。機能も載せようと思えばいくらでも載せられます。でも、それで本当に市民が使いこなせるものになるのか、本当に必要なのはどういう機能なのか、市民との議論や公開投票などで詰めていきたいと計画しています。
――「地域の、地域のための、地域による産業」という、時代の最先端の取り組みですね。
ええ、「地元で使うものを地元で作る=地消地産」を大事にしているんです。柏崎のほかにも、こういう地域はたくさんあると思います。産業要素はたくさんあるけれども、メーカーがないとか、全部下請けに甘んじているとか。
このプロジェクトがうまくいったあかつきには、いろいろな地域に僕らのラジオも買ってほしいけれど、それだけではなく、こういう成功事例があるということ、僕らのモデルを買ってもらうというビジネスもあるのかなと思っています。
また、一つのプロジェクトが打上げ花火で終わってしまったらよくない。地域のために何かを興して、それがどんどんと発展的に世の中に出ていく、つまり、地域のためのアイデアが1つ出て、成功したら、また次が出てこないと、意味がないのだろうと思っています。
――ええ、継続的に、ということですよね。どうですか、大変なことはいっぱいあるのでしょうけど、楽しいですか?
楽しいです! ふたりでは毎日のように連絡取り合っています。お互いに、少しずつ意見が違ったりアプローチが違ったりしますが、それを調整していくのもまた面白いです。重要なのは、ボランティア団体とはではなくて、あくまでも企業として利益を出しながらやっていくことで永続性が出てくる、ということ。ここについてはふたりの考えは同じです。
――「原発の柏崎」という地域のイメージを変えていくためにも、"産業版"の地方創生のモデル事例を創っていくためにも、がんばってください! 応援しています。
(了)