この時代を読み解く上での大事な「レンズ」を提供してくれる、社会学者ウルリッヒ・ベックの最後の本が、岩波書店から刊行されました!
『変態する世界』
ウルリッヒ・ベック (著), 枝廣 淳子 (翻訳), 中小路 佳代子 (翻訳)
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訳者あとがき
英国のEU離脱の決定や米国の大統領選の結果をはじめ、現在、世界では「想定外」の出来事が相次いで起きています。
「いったい、世界はどうなってしまったのだろうか」「今後、どうなっていくのだろうか」――そんな不安を抱いている方も多いのではないでしょうか。そんな時代の不安を先読みしていたかのように、本書『変態する世界(原題 TheMetamorphosis of the World)』は、新たな"世界の見方"を提示してくれる書です。
本書は、二〇一五年一月一日に七〇歳で亡くなったドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックが最後に遺した書籍です。未完のまま筆の置かれた原稿が、ベックの妻のエリーザベト・ベック=ゲルンスハイムらの努力によって世に送り出され、こうして私たちが読むことのできる書籍となりました。
「変態」とは、たとえば、蝶々の幼虫が蛹(さなぎ)から成虫へと姿を変えることを指します。蝶々の幼虫と成虫では、その姿は全く異なります。ベックが本書を通して伝えたかったことは、私たちが暮らす世界のあり方が、今、まさに「変態」しているということです。
ベックは、世界のあり方は、「国家」を中心とする見方・あり方から、「世界」を中心とする見方・あり方へと変態しつつあることを、さまざまな例を通して語ります。
たとえば、不平等の問題を考え、語るとき、私たちはどのような「枠組み」を(無意識のうちに)用いているのでしょうか? 日本国内の貧困率の上昇や、発展途上国と先進国との間の経済格差を問題にすることが多いのではないでしょうか。こうした見方はいずれも「国家」を前提としています。このような国家中心の捉え方を、ベックは「方法論的ナショナリズム」と表現します。
しかし、現在では国家を前提としない不平等の問題が生じています。気候変動による海面上昇や異常気象によって、海抜が低い土地は、ニューヨークのような先進国の大都市であろうと、バングラデシュのような発展途上国であろうと、同じように「リスクの大きい地域」に分類されます。これは今までの国家を中心とした見方では見えない不平等問題です。このように、国家に代わり、世界的なものの見方を基準として世界を捉えることを、ベックは「方法論的コスモポリタニズム」と呼びます。
考えてみれば、現在の私たちにとって当然であり、それ以外考えられない「国民国家」も、歴史的にはそう古いものではありません。一六四八年のウェストファリア条約から形成されるようになった近代のシステムなのです。「国土」内の全ての「国民」を統合することで成り立つ「国家」というシステムは、世界のグローバル化の進展と共に、多国籍企業の位置づけをはじめとして、各所にほころびが生じています。
そして、ベックの言う「コスモポリタン化したものの見方」をもたらすのは、まさにそうした近代化の"副次的効果"なのです。近代化・産業化の動力であった化石燃料によって気候変動がもたらされることや、「子どもが欲しい」という家族の夢を実現する生殖医療の発展によって、代理母など様々な倫理的な問題が生じることなどは、近代化の副次的効果の例です。いわば、近代化の「歪み」が、変態をもたらしているのです。
この世界の見方の変態は、人々の行為にも大きな影響をもたらします。ベックは「代理母」を例に、この影響を説明しています。現在では、先進国に暮らす、子どもを産むことができない女性は、発展途上国に代理母を求めることができます。代理母に対する規制が厳しい国々では、この取引は、法律の網の目をかいくぐって行なわれることになります。
このとき、先進国の子どもが欲しい女性も、代理母になる発展途上国の女性も、国の法律という国家的な枠組みではなく、コスモポリタン化した世界に開かれている「行為の空間」を利用しています。コスモポリタン化した世界では、国家的な枠組みに従っていたのではうまくいかないことが多いため、人々はこのコスモポリタン化した世界の「行為の空間」を用いることになります。
方法論的ナショナリズムから方法論的コスモポリタニズムへの変態を理解するには、「騙し絵」を想像するとわかりやすいかもしれません。たとえば、騙し絵では、最初は壷が描かれているように見えていた絵画が、見方を変えると二人の顔が向き合って描かれているように見えます。これと同じように、「国民国家」を基準として考えている時には、コスモポリタン化された世界は目に入りません。見方を変えてはじめて、その世界が見えるようになるのです。
この二つの世界観は並行して存在しています。よって、国家の優先を主張しようと、その背後にはコスモポリタン化した世界が存在します。また、コスモポリタン化した世界でも、国家が消滅してしまうわけでもありません。「国家が中心にあり、その周りを世界が回っている」と考える世界観から、「中心にあるのは世界であり、その周りを国家が回っている」と考える世界観へのこの変態を、ベックはコペルニクス的転回になぞらえて、「コスモポリタン的転回」と名づけています。
地動説が多くの反発を引き起こしたように、コスモポリタン的転回において、方法論的ナショナリズムの立場から激しい反発が生じるのも、当たり前のことなのかもしれません。あるいは、コスモポリタン化が進んだからこそ、(今までは当たり前だった)国家中心的なものの見方を主張する必要性を感じる人たちが出てきているのかもしれません。冒頭に述べた、世界に見られる「自国中心主義への回帰」のさまざまな例も、その証しなのかもしれません。
いずれにしても、私たちの世界観は、今、全く異なるものに変態しようとしているのです。
なお、本書の原書はベックが英語で書いたものです。専門的な内容が多く含まれ、難解な書ですが、ベックの用語の選び方をみていると、ベックが専門家だけではなく、多くの人が理解できるように工夫していることがわかります。
たとえば、social changeという語は、社会学の専門領域では「社会変動」と訳すのが一般的です。ただし、社会変動という日本語は一般にはあまり馴染みがありません。でも、この語は、「社会的な変化」という一般的な意味に理解することも可能です。このほかにも、horizon、being in the worldなど、多くの哲学・社会学の専門用語が出てきますが、本書では、専門家だけではなく、一般の方々に読んでいただけるよう、できる限り日常的な言葉で訳すように心掛けました。さらに専門的な関心がある方は、原書にも目を通していただければと思います。
なお、フランツ・カフカの『変身』の英語タイトルはThe Metamorphosisです。『変身」はベックが亡くなった年のちょうど一〇〇年前の一九一五年に出版されています。もしかすると、ベックはカフカの『変身」を意識して、本書の構想を練ったのかもしれません。
本書の翻訳は、中小路佳代子さんと新津尚子さんとのチームで進めました。こうした分野での信頼のおける屈指の翻訳者である中小路さん、専門家として社会学の理論的背景について詳しく丁寧に解説してくれた新津さんの力がなければ、こうして「読みやすくかつ専門的な書」をみなさんにお届けすることはできませんでした。また、武蔵野大学の北條英勝氏には草稿に目を通してもらい、専門用語について助言をいただきました。そして、岩波書店の編集者・島村典行さんには最初から最後まで励ましつつ並走していただき、感謝しています。
本書を通じて、「多くの人たちに、『変態する世界』という新たな"レンズ"をもって世界を見ていってほしい」というベックの思いが、一人でも多くの人に伝わることを願っています。
ベックの「変態とは、世界的なリスクの時代に重要な規範を生み出す新しい方法」であり、「責任の市民文化を誕生させる」可能性があるという言葉に希望を抱きつつ。
枝廣淳子
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「創造的破壊」という言葉がありますが、英国のEU脱退、米国でのトランプ政権の誕生、その他、世界各地で生じている動きや展開も、新しいものが創造されるまえの破壊の一種なのかもしれません。
破壊後に新しいものが生まれるのではない。「破壊」と「創造」が同時に進行していく時代に私たちは生きているのでしょう。としたら、破壊の中で何が生まれつつあるかを見抜く力を持つことが大事なのでしょう。この書は、そんな私たちへのベックからの最後のプレゼントなのだと思います。