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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2019年11月04日

メールニュースは20才になりました!(2019.11.04)

大切なこと
 

ちょど20年前の今日、最初のメールニュースが発信されました。

Enviro-News from Junko Edahiro No.1 (1999.11.4)

第一声は、「皆さん、こんにちは。登録して下さってありがとうございます」

この第1号のメールニュースを受け取ってくださったのは18名。「環境情報のメルマガを始めるのでいかがですか~?」と知り合いや友人に呼びかけて、登録してくださった方々です。それから20年、今では8000人ほどのみなさんへ発信させていただいています。

開始当時は、まだネットやメルマガもそれほど盛んでなく、とくに環境情報のメルマガはなかったので珍しかったのだと思いますが、今では多くの組織やネットワークが様々な情報発信をしています。その中でも、多くの方々がこのメールニュースを受け取ってくださっていること、ありがたいなあ!と思います。

メールニュースの誕生日だからではないですが(^^;、今日は振替休日。その来し方をちょっと振り返ってみました。

1991年6月に渡米、2年間の米国生活を経て、1993年6月に帰国。秋から通訳学校に通い始めました。最初の仕事は1994年7月の国際エイズ会議の関連市民セミナーでの通訳でした。

駆け出し通訳者にはそれほど仕事はなかったこともあり、関心のあった環境問題の分野でお手伝いできたらと、レスター・ブラウン氏のワールドウォッチへ手紙を出し、1994年10月に来日したレスターのアテンド通訳をさせていただき、そこからレスターとの親交が始まりました。

1995年11月、最初の翻訳書『人生に必要な荷物 いらない荷物』出版。通訳と翻訳の二足のわらじ生活がつづきました。

1999年5月、通訳者として出会った富山青年会議所の新田さんに「環境に取り組んでいるなら、通訳だけでなく、自分でも考えを話したら?」と誘っていただき、富山JC例会でパネルディスカションに参加させてもらいました。あがってしまってじょうずに話せなかったことを覚えています。これが私の講演デビューです。

パネルディスカッションの翌日、富山JCのメンバーから「これからも継続して情報がほしい」とのリクエストをいただき、いろいろ考え、登録や配信のしくみを整えてもらって、その秋、1999年11月4日に、メールニュースを始めました。

「情報のお裾分け」のつもりで始めたメールニュースでしたが、情報や新しい考え方を寄せてくださる方々や、「環境問題に詳しいみたいだから」と別の挑戦につないでくださる方々が出てきて、さまざまな活動につながっていきました。

2000年10月には、信濃毎日新聞で子ども向けの「元気な地球に」連載を始め、11月には最初の著作『エコ・ネットワーキング!』が出版され、同月レスター・ブラウンを招いての第1回エコネットワーキングの会も開催、12月には環境英語の勉強会も始めました。

2001年4月、カタログハウスの「通販生活」で「回収ルートを辿る旅」の連載が始まり、同年12月には『朝2時起きで、なんでもできる!』が出版されました。

2002年8月には、日本から世界への情報発信をしたいと、仲間やボランティアさんたちとJapan for Sustainabilityを立ち上げ、9月にはデニス・メドウズ氏らの立ち上げた国際的なサステナビリティ研究者・実践家のバラトングループの合宿に始めて参加させてもらいました。

2003年5月、イーズの前身である有限会社えだひろばを設立、6月には仲間と第1回の「100万人のキャンドルナイト」を呼びかけ。2005年4月には、システム思考を日本で普及していくために、同志とともに有限会社チェンジ・エージェントを設立し、この頃から、海外での講演や研修も始まりました。また、川崎市や神奈川県で環境関連の委員会の委員も務めるようになりました。

2008年、当時の福田総理の元での地球温暖化懇談会メンバーに選ばれ、政府の委員会にも参加するようになりました。2011年1月に、幸せ経済社会研究所を設立。

2011年3月の東北大震災、東京電力原発事故後は、「みんなのエネルギー・環境会議(MEEC)」を仲間とともに各地で開催したり、総合エネルギー調査会基本問題委員会の委員に選ばれるなど、エネルギー関連の仕事も増えていきました。2017年には「エネルギー情勢懇談会」、2018年からは安倍首相の立ち上げられた「パリ協定長期戦略懇談会」の委員のほか、環境省のプラスチック資源戦略小委員会の委員も務めました。

2014年9月、東京都市大に着任し、次世代に伝えていく仕事も始めるかたわら、2015年に 海士町で町のビジョンづくりのお手伝いをさせていただいたプロジェクトを皮切りに、北海道下川町、熊本県南小国町など、いろいろな地域でのまちづくりのお手伝いも増えていきました。

2018年8月には、新しく立ち上がった大学院大学・至善館で「システム思考と持続可能性への挑戦」を教えるようになり、社会起業・地域起業のゼミも担当しています。


こうした活動すべての土台にあるのが、このメールニュースです。学んだこと、考えたことをメールニュースで発信すること、読者のみなさんから教えていただくことが次の活動へとつながっているからです。

20年前の自分が今の自分の活動を到底予測し得なかったように、20年後にどこで何をしているか、今の自分にはまったくわかりません。活動の場や形態は変わっていくと思いますが、「持続可能で幸せな社会を創る一助となりたい」ということは20年前も今も変わっていませんし、20年後も変わらないと思っています。そして、メールニュースが自分の活動の土台であり続けることも変わらないのだろうと思います。

これまでメールニュースを読んでくださってきたすべての方々、意見やコメントを寄せてくださるすべての方々、そして、さまざまな活動をともに進めてきたみなさん、ご自分の活動を惜しみなく共有くださる方々、新しいチャレンジや機会につないでくださる方々など、これまでとこれからの活動を支えてくださるすべての方々に、心から感謝しています。

これからも勉強しながら、活動しながら、考えながら、メールニュースを発信していきたいと思っています。20年後に向けて!(^^; これからもどうぞよろしくお願いします!

心からの感謝を込めて。

枝廣淳子

 

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