新年明けましておめでとうございます。
メールニュースも21年目に入りました。昨年は61本お届けしました。今年もゆるゆるとつづけていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします!
さて、毎年年末に、一緒に仕事をしているスタッフと1日オフィスを離れた場所でリトリートをして、その1年を振り返り、次の1年を考える時間をとっています。昨年末は、2010年代の終わりということで、10年間を振り返り、次の10年を考える時間もとりました。今年最初のこのメールニュースでは、10年を考えての新年の抱負、私がいま考えていることをお伝えします。
「次の10年」を考えたとき、「人口減少」「少子化」「高齢化」などのキーワードが多く出てきます。
地域にかかわっている立場からさらに追加すると、「地方の財政が危ない」という危機感があります。人口減少や国自体の赤字から、国からの地方交付金も減ってきますし、税収も減ってくるでしょう。すでにその傾向はしばらく前から始まっているのですが、それを見ないように見ないように、これまで通りを続けようとしている自治体が多いように思います。
パイが拡大する時代は、「もっとこちらに寄こせ」という衝突は常にあるものの、基本的には「みんなそれぞれ増えるよね」で収めることができます。しかし、パイが拡大しない、縮小していく時代には、「どう分配するのか?」という難問に向き合わざるを得なくなります。
拡大はもちろん、現状維持ですら難しくなってきますから、「減らす」「やめる」ことが必要になってきます。これは、だれかに痛みを強いることになります。政治家も行政もいちばんやりたくない議論です。だから、これまで先送りされてきました。
しかし、次の10年を考えると、もう先送りできない状況がやってくる自治体が増えてくるでしょう。そのときの「縮小や分配の議論」ができるように、行政も住民も、今から覚悟をし、対話や合意形成の力をつけておかないと、奪い合いの競争や戦いという展開になってしまうかもしれません。
まちづくりのお手伝いをしている地域で、少しずつ「縮小や分配の議論」に向けた"準備体操"を始めています。間に合うかわかりません。でも、どうやってその難しい議論を進めていったらよいのか、考え、試し、学びつつ、少しでもカタチにしていけたらと思っています。
もう1つ、少子化について。先日報道があったように、出生数が予測より2年早く90万を割り、減り方も思ったより多くて86万という数字となりました。こういった趨勢が続くと、どこかのタイミングで、「少子化パニック」みたいなことが始まるかもしれません。「このままだと日本がなくなる!」という危機感を政治家が持ち始めると、いろいろな対策やら議論やらがどっと始まるかもしれないと思っています。
基本的には、子どもが望まれて生まれてくる社会、子どもや親が安心して暮らせる社会をつくらない限り、どんなにお金を付けても子どもは増えないのではないか、と思っています。保育園を建てようとすると反対運動が起こるような国で、生みたいと思ってくれる人は少ないのではないでしょうか。
ですから、少子化パニックみたいな動きが出てきた時に、「いくら払ったら子どもを生んでくれるんだ」といった話ではなくて、「そもそもどういう社会だったらみんなが安心して暮らせるか」という議論につながってほしい。子どもが安心して走り回れるような町だったら、高齢者だって体が不自由な人だって、安心して暮らせるのではないか。そういう議論につなげられるような準備をしていきたいと思っています。
次に、高齢化について。日本は「高齢化社会」(高齢化率7%超)でも、「高齢社会」(同14%超)でもなく、すでに「超高齢社会」(同21%超)という分類に入るのですが、かつて、私の先生でもある環境オピニオンリーダーのレスター・ブラウンとそういう話をした時のことを思い出します。
レスターはこう言いました。「高齢化の一番の問題は、介護される人が増えるとか、年金を払わないといけない額が増えるとか、そういうことではなくて、社会の意思決定が柔軟性を欠き、スピードが遅くなることだ」と。確かにそうだなあと思いました。
多くの企業、自治体、国のリーダー層も、70代、80代の人たちが健在で頑張っておられる。本人たちは、日一日と老いているので、自分の視野や判断力は変わらないと思っている。時代の変化の激しさについていけなくなっていても、本人にはわからないことが多い。
しかし、そういう人たちが実権を握っている社会は、すごく動きが遅くなり、大事なことを決めようと思っても決められない。とくに、新しいことを始めたり、変化を起こしたりすることがしにくくなります。昔の成功体験からなかなか出られないうえに、時間軸が短いからです。超高齢社会の中で、そういった人たちが、どれぐらい社会の実権を握っているかを気をつけてみている必要があります。そして、じょうずに次世代に実権をゆだねていく「アート(技)」が必要になってきます。
日本は、世界の中でも、今や「環境後進国」(原文ママ)と、新聞が自分でそう書くぐらい、いろいろな意味で遅れてしまっていて、日本企業の対応力の遅さも指摘されています。日本が産業競争力を失って、企業の力が弱まっていくというほころびがすでにあちこちで見えていますが、次の10年に、それがもっと顕在化していくのではないか、日本のプレゼンスが下がっていくのがはっきり見て取れるのではないか、と思っています。
そのとき、1つの希望は地域にあると思っています。そう思って、地域づくりや地元経済のお手伝いに時間を割いています。
これまでよりも厳しい時代になっても、地元経済の循環を高め、外に頼らなくても自分たちでエネルギーや食べ物をまかなえれば、仕事やお金を外に頼らなくてもある程度自分たちでまわしていける。そういう地域は強いでしょう。
地元経済の循環だけではじり貧になりますが、それに加えて、ITなどを活用して、東京の省庁や商社を介さなくても、直接、自分たちのつくる素晴らしい製品やサービスを世界に届けられるようになっていれば、必要な"外貨"は海外から直接稼ぐことができる。日々の食べ物やエネルギーは自分たちでまかなえて、必要なお金は自分たちで稼げるようになっていれば、国や大企業などに頼り切ることなく、持続可能な暮らしができる。かなりの理想像でしょうけど、私はそこに希望があると思っています。
グローバルに見ても、温暖化の悪影響はますます顕在化するでしょう。海洋プラスチック汚染問題も、人間の健康への影響が明らかになってくるでしょう。また、日本でも世界でも、まだ十分に注目されていない気がしますが、今後、水問題も大きくなってくると思います。
今、レスター・ブラウンの書いた水問題の本を訳しています。世界的な状況は本当に大変であることがよくわかります。たとえば、中国では、帯水層の枯渇によって井戸が干上がり、水がなくなり、農業ができなくなってしまった地域から、2億5,000万人を移住させたとあります。日本2個分の人口です。すごい規模です。
レスターは、水不足が大きな引き金となって、いわゆる「破綻国家」と言われる、国家として機能しなくなってしまう地域が増えていくのではないかと心配しています。すでに現在、ソマリアやシリア、アフガニスタンなどは「破綻国家」ランキングに名を連ねています。そういう国が増えていくとしたら、「国家」がベースである、という私たちの慣れ親しんできた考え方自体が通用しなくなっていくかもしれません。
このように考えていくと、暗くなってしまうかもしれません。たしかに、悪くなっている面はたくさんありますが、一方で、明るくなっている面もあります。私が見ている「明るい面」をいくつか紹介しましょう。今後10年、もっと広がっていくだろう!と思っています。
1つは、「社会的なこと」(ソーシャル)に対する関心の増大です。そして、それを基準に意思決定し、行動する人々は、この10年間違いなく増えてきました。SDGs、ESG投資、RE100もそうですし、社会起業家や、社会価値創造を経営の中でも重視する企業が増えているのもそうでしょう。日本ではまだそれほどではありませんが、ヨーロッパなどでは「お肉を食べない」ライフスタイルも広がっています。
社会価値(ソーシャル)が一部の人の贅沢品ではなくなってきた、という流れです。この流れはもっと広がり、強くなっていくでしょう。その1つの象徴が「脱石炭」の動きです。石炭の火力発電は安価なので、経済的には合理的です。しかし現在、経済的な合理性があるにもかかわらず、石炭をやめようという企業や投資家が増えてきています。「経済的な利益よりも大事なものがある、守るべきことがある」という意識が、これまでのNGOや一部のエシカル層だけではなく、社会・経済の全体に行き渡りつつある。これは1つの希望です。
もう1つは、次の10年では完結しませんが、定常経済への動きです。しかも、「そうせねばならないから」ではなく、必然の帰結として、定常経済に近づいていくと思っています。
成長経済の原動力は大きく2つあります。1つは人口増加、もう1つは経済自体の拡大です。人口については、国連が「2100年には、世界の人口増加率はゼロになる」という予測を出しています。日本のような低い出生率は少しずつ高まって、途上国のように高い出生率は少しずつ低くなっていき、世界全体で人口置き換え水準である2ぐらいで収斂するという予測です。ずっと増加してきた世界人口も定常化に向かっているのかもしれません。
経済成長も、ここしばらくのゼロ金利、マイナス金利から考えても、成長のドライブがかかりにくくなっているように思います。また、気候変動の悪影響もこれだけ顕在化してくると、どうしても適応策や防災・事後対策にお金をかけないといけなくなります。堤防を高くするとか、強烈な台風や山火事で壊れたものを造り直すなどです。そうすると、社会のリソース(お金や人や資源)がそちらに回る分、経済を成長させるほうに回る分は減るでしょう。これだけ被害が出ているのだから、経済成長のエンジンが弱まってもしょうがないよねということを社会が受け入れざるを得なくなってくる。そういったことも相まって、経済成長が人々の頭の中でも、実際にも、ずっと続くものではなくなってくるように思います。
もちろん、経済成長を何で定義するのか、測るのかにも依りますし、ここに書いているように単純な話ではないとは承知しています。しかし、世界的にも、経済成長を問い直す動き、経済成長至上主義から脱却しようという動きは、広がっています。
このように、「ソーシャル」と「定常経済」に向けての動きは、次の10年もきっと強まっていくと思っています。
もう1つ、10年という枠を超えて、人間の意識の進化を考えたときに、これもある方向に向かって進んでいることを感じます。幸せ経済社会研究所の読書会で『歴史家が見る現代世界』(入江昭著)を読んだときに、「そうだなあ」と思ったのですが、人権意識、つまり、inclusionの範囲が広がってきた歴史があります。
かつては男性にしか参政権はなかったのが、女性も投票権を得るようになりました。障害者も同じだとパラリンピックが開催されるようになったのが1960年。近年では、LGBTにinclusionが広がっています。
入江氏の言葉を借りると、「現代世界の最も重要な現象は、どのようなハンディキャップ(障害)を持っていても、すべての人間は同じで平等なのだという意識が高まり、同情の対象としてではなく、等しく人間性を持った個人として接するようになってきたこと」。
こういった人権意識の広がりは、抑圧されたり揺り戻しがあったりしても、元に戻ることはないのだろうと思います。これも希望の1つです。(ちなみに、日本でもようやく注目されるようになってきたアニマルウェルフェアの広がりも、この inclusion意識の広がりの延長線上にあると見ることができる、と考えています)
このように、次の10年を考えた時に、自分がやっていくべきことの1つは、この10年やってきたように「新しい希望のつくり方」を提示していくことだと思っています。
地域はどんどん疲弊していくけど、地元経済を漏れバケツとして考えて、穴をふさぐ努力をすれば、その分、地元は元気になっていくよね、という「地元経済を創りなおす」考え方や取り組みもそうです。20年以上前に「バックキャスティング」という考え方を"輸入"して伝えてきたこと、「レジリエンス」という概念を日本に広く伝えようと努めてきたことも、「新しい希望のつくり方」だと自分では位置づけています。
まだあまりうまくいっていませんが、「サーキュラー・エコノミー」という考え方もそうです。日本では環境政策として位置づけられていますが、サーキュラーエコノミーというのは、原材料を地球から取り出さなくても経済活動を続けられるという「新しい希望のつくり方」の1つであり、産業政策なのだと思っています。
今後10年、とくに意識していきたいことが3つあります。1つは、先ほども書きましたが、地域での「新しい希望のつくり方」として、「減少する人口にあわせたまちづくり」の支援です。
2つめは、まちづくりにも必要なことですが、合意形成や共創のプロセスの支援です。社会的に、「多様性が大事だ」と、いろいろな考えやいろいろな立場の人たちを排除せずに、一緒にやろう、という流れになってきています。
それはとても大事なことですが、他方、多様な意見や立場の人々がどうやって話し合えばよいのか、どうやって合意に達することができるのか、という方法論があまりないまま、多様性を広げてきた結果、「多様な人はいるけど、何も進まない」という状況になっていることも多いように感じています。
私自身、柏崎市での3年間のプロジェクトをはじめ、対話や合意形成、共創プロセスを支援する取り組みをしてきた経験を活かして、もう少し方法論に昇華していけないかと考えています。(難題ですが!)
最後に、今後の10年を考えると、これまでの「海外のものを日本に紹介・導入する」というパターンが逆転するだろうと思っています。人口減少にしても高齢化にしても、今や日本が世界の課題先進国ですから、まずは自国の課題に対処して、そのやり方をほかの国に伝えたり、大事なことや注意点などを教えていかないといけない。どういう形になるかわかりませんが、世界に伝えていく、世界のお手伝いをしていく。そういう10年に変わっていく、変えていきたいと思っています。
こんなことを考えながら、今年も1つずつ取り組みを進めていきたいと思っています。本年もどうぞよろしくお願いします!