岩波書店の『世界』(2023年12月号)に、「脱成長」論考を掲載してもらいました。許可を得て、2回に分けて内容をお伝えします。
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グリーン成長・脱成長・ポスト成長 ―何が異なり、どこへ向かうのか(前編)
○「経済成長」再考の動き
気候変動の分野ではお馴染みの「IPCC」(気候変動に関する政府間パネル)は、各国政府の気候変動に関する政策に対し、科学的な基礎を与えるという重要な役割を果たしている。かたや「生物多様性版のIPCC」とも呼ばれる「IPBES」(生物多様性と生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム)は、生物多様性と生態系サービスに関する動向を科学的に評価し、科学と政策のつながりを強化する政府間組織だ。
このIPCCとIPBESは、ともに科学者の集まりだが、その最新の報告書において、科学的な知見の提供から一歩踏み込んで、経済のあり方を見直すべきだという主張をしている。
具体的には、IPCC報告書では「経済成長をどう想定するかは、排出量のシナリオにとって最も重要な決定要因である」として「いくつかの研究では、GDPのゼロ成長・低成長またはポスト成長アプローチのみが、2℃未満の気候安定化の達成を可能にすることを見出している」と述べている。
IPBES報告書では、「現在のグローバルな開発経路に代わるものを求める声は多い。社会的・政治的優先順位の変化を伴う「脱成長」が求められている。自然や人間に対する自然の貢献を劣化させることなく、質の高い生活を実現するための経済の代替モデル(グリーン成長や脱成長など)がある」としている。
さらに、2018年には238名の科学者が、「GDP成長を放棄し、人間の幸福と生態系の安定に重点を置くこと」を欧州委員会に要求し、2019年には150か国以上の1万1000名を超える科学者が、「GDP成長と富の追求から、生態系の維持と幸福の向上にシフトすること」を各国政府に求める論文を発表した。これまでになかった展開である。
「経済成長」とは、ある期間に財の生産とサービスの提供が増加することであり、通常、国内総生産(GDP)で測定される。GDPは一定期間に経済が生み出すすべての財とサービスの付加価値だ。確かに、経済成長のおかげで貧困が緩和され、生活の質も向上してきた。
資本主義が登場したのは18世紀末の産業革命の頃からで、それから経済成長が世界レベルで本格化したという。世界のGDPが本格的に上昇し始めたのはそのあとである。それ以降、経済活動が生み出す財とサービスが人々の暮らしを豊かにしてきた。
しかし、財やサービスを生み出すための経済活動は、もれなく環境負荷を伴う。必ず地球から取り出した原材料やエネルギーを使い、不要になった廃棄物やCO2を地球に戻すからだ。どんなに高効率の生産であっても、原材料・エネルギーや廃棄物がゼロということはない。
地球の大きさは変わらない。つまり有限の地球の上で、経済だけがいつまでも成長・拡大し続けようとすることが、資源の枯渇や気候変動、プラスチック汚染、生物多様性の危機などを招いているのではないか。激化し続ける気候変動の悪影響などを突きつけられ、「経済は成長し続けることができるのか?」「経済成長が続くことは望ましいのだろうか?」という議論が盛んになってきているのだ。
○歴史を振り返る
1972年、マサチューセッツ工科大学(MIT)の科学者グループが『成長の限界』を発表した。人口増加、農業生産、再生不可能な資源の使用、工業生産高、環境汚染発生のモデリングに基づく警告で、現在の人口と経済成長レベルは、技術の進歩を考慮したとしても、2100年頃には地球の環境収容力を超えると結論づけたのだ。著者のドネラ・メドウズらは「しかし、早期に対策を講じれば、生態系と経済の安定は可能である」として、人口と経済の成長の再考を迫った。
もっとも、「経済は成長を続けるべきだ」という考えが最初からあったわけではない。経済学のパイオニアであるジョン・スチュアート・ミルは、経済は成長期の後に人口や資本ストックが一定であることを特徴とする「定常的な状態」に達するだろう、そして「定常経済は必要なだけではなく、望ましい」と考えていた。
20世紀の最も影響力のある経済学者であるジョン・;メイナード・ケインズも、「社会が手段(経済成長と個々の利益の追求)ではなく、目的(幸福やウェルビーイングなど)に注力できる日はそう遠くない」と書いている。
ところがいつの間にか、GDPで測られる経済成長が望ましいとされるようになり、経済成長が続かないことは脅威であり、何としても回避しなくてはならないと見なされるようになったのである。
そんな風潮に、米国の政治家ロバート・F・ケネディは1968年に、「ダウ・ジョーンズ工業株平均や国民総生産(GNP)は、環境保全効果や家族の健康、教育の質などを考えに入れていない。......一言でいえば、GNPが測っているものには、人生を価値あるものにしているものはひとつも入っていない」と述べたが、その考え方が新鮮な驚きを持って迎えられたことからも、世界が「経済成長至上主義」に陥っていたことがわかる。
『成長の限界』の発表後、石油危機が終わり、1980年代と1990年代には新自由主義が拡大した。成長促進ムードの中、ロナルド・レーガン米大統領は、富裕層への減税が経済を刺激し、やがてすべての人に恩恵をしたたらせるという経済学のトリクルダウン理論を取り入れた。
他方、「経済成長よりも充足や幸せを」という主張や取り組みも、社会の周縁部に出てきた。ブータンが「GNP(Gross National Products)よりGNH(Gross National Happiness)を」と、国民総生産に代わる「国民総幸福」というコンセプトを打ち出して、幸福度指標の測定を始めたり、世界各地でエコビレッジやトランジションタウンの取り組みが広がり、「ダウンシフターズ」(下りていく生き方)や「ミニマリスト」に注目が集まるようになった。
近年、政治の主流の舞台でも、政策として、また政策の基盤となるパラダイムとして、「成長」の見直しが広がりつつある。その背景には、気候変動の悪影響の顕在化に加えて、新型コロナウイルスのパンデミックや、ロシアーウクライナ情勢などの地政学的な状況もある。
のちに見ていくように、特に欧州連合(EU)での議論が盛んになっており、これからの時代のグローバルなサバイバル戦略として「経済成長の位置づけとあり方」が取り上げられることも増えてきている。こういった動きは日本にはほとんど伝わっていないのではないだろうか。
日本では、斉藤幸平氏の『人新世の「資本論」』が大ベストセラーになった影響もあり、「脱成長」=マルクス主義というイメージを抱いている人もいるかもしれない。経済成長をめぐる議論は、マルクス主義のみにしばられず、世界での動向や展開を見る必要があると考える。
世界での経済成長をめぐる議論は、「グリーン成長」「脱成長」「ポスト成長」を軸に展開している。1つずつ見ていこう。
○「グリーン成長」は可能か?
「グリーン成長」という言葉は聞いたことがあるのではないだろうか。従来の経済成長が成長のみを重視し、結果的に環境破壊やエネルギーの過剰消費、CO2大量排出などを伴ったのに対し、グリーン成長は、自然資源と生態系を適正に保全・活用し、持続可能な成長をめざすというものだ、つまり、環境を守りながら経済を成長させよう、という考えである。
EUや英国はグリーン成長の国家戦略を策定しており、米国でもさまざまなグリーン成長への取り組みが進められている。
日本政府も「グリーン成長」に力を入れており、2020年に菅政権が日本の目標として掲げた「2050年カーボンニュートラル」を達成するための「グリーン成長戦略」が2021年6月に策定された。経産省は「温暖化への対応を、経済成長の制約やコストとする時代は終わり、国際的にも、成長の機会と捉える時代に突入したのである。(中略)「経済と環境の好循環」を作っていく産業政策が、グリーン成長戦略である」と説明している。
歴史的にいえば、「グリーン成長」という概念が中心的なテーマとして浮上したのは、2012年の「リオ+20持続可能な開発会議」である。「グリーン経済」と「持続的な経済成長」を同時に求めた成果文書「われわれの望む世界」が出され、それ以来、グリーン成長は、深刻化する気候変動と生態系の破壊に対する有力な対応策と位置付けられるようになった。グリーン成長論では、GDPで測定される継続的な経済拡大は、地球の生態系と両立する、あるいは両立させることができると考えている。
グリーン成長の定義を見てみよう。
OECD、国連環境計画(UNEP)、世界銀行のそれぞれが、リオ+20会議の前後に、グリーン成長に関する主要な報告書を発表している。それぞれの定義を比べてみると、世界銀行の定義は最も弱く、成長による環境への影響を「最小化」することを目指す、というもので、環境への影響自体の削減は求めていない。OECDは、資源と生態系サービスを「維持」しようとする点ではやや強いが、ここにも影響を減らすという要求はない。UNEPは、環境影響と生態系の損失の大幅な削減を求めている点で、最も強い定義といえよう。
定義はそれぞれだが、グリーン成長を達成するためのメカニズムについての意見は一致している。技術革新によって環境負荷を減らし、より資源効率の高い経済への転換を図るというものだ。そして、政府は適切な規制とインセンティブによってこのプロセスを加速すべきだとしている。では、「技術革新によって環境負荷を減らす」と言うとき、どこまで減らせばよいのだろうか?
○「プラネタリー・バウンダリー」と「デカップリング」
このような議論の大前提の1つとなるのが「プラネタリー・バウンダリー」(地球の境界)という概念だ。これは、「人間活動がその限界値を超えた場合、地球環境に不可逆的な変化が急激に起きる可能性がある」という境界線だ。「気候変動」、「海洋の酸性化」、「淡水利用」、「土地システムの変化」など、9つの領域と限界値が定められている(まだ定量化できていないものもある)。
提唱者の1人であるヨハン・ロックストロームは、プラネタリー・バウンダリーとは人類による大惨事を防ぐための「崖道に付けられたガードレールのようなもの」と言う。しかし、9つの境界のうち、すでに4つはその限界値を超えてしまっていることがわかっている。
従って、「経済成長に伴う環境負荷を減らす」上での鍵は、「プラネタリー・バウンダリーの限界内に戻れるか? そしてその限界内にとどまり続けられるか?」である。いくら環境負荷を減らしたとしても、地球の限界値を超え続けていては、いつ不可逆的な変化が起こって取り返しのつかない状況になるかわからず、持続可能ではないからだ。
「技術革新によって環境負荷を減らす」という議論のもう1つの鍵は、「技術革新による環境負荷の低減」が「経済成長による環境負荷の増大」よりも十分に大きいかどうか、である。グリーン成長を主張する人々は、経済(GDP)は成長しながら、技術革新によって温室効果ガスの排出やその他の汚染は減らせるという。つまり、経済は成長しても、環境負荷は同じようには増大しないということだ。この「経済成長」を、「それに伴う環境負荷の増大」から切り離すことを「デカップリング」と呼ぶ(「カップル」は2つのものをくっつけることで、「デカップル」はそれまでくっついていた2つのものを切り離すこと)。
先ほどの3機関の報告書を見ると、世界銀行は、成長による環境への影響を「最小化」することを目指すとしているだけだ。一方、OECDは、「グリーン成長は、環境影響から成長を「デカップリング」できるほど技術が効率化された場合にのみ可能である」と明確に示している。UNEPはさらに一歩進んで、「私たちが直面する課題についての重要な概念は、デカップリングである。世界的な経済成長がプラネタリー・バウンダリーにぶつかるにつれ、経済価値の創造と天然資源の使用および環境への影響の切り離しが急務となっている」と、デカップリングを分析の中心に据えている。
ここで気をつけなくてはならないのは、デカップリングにも2種類あるということだ。経済成長に比べて環境負荷はよりゆっくりと増大するという「相対的なデカップリング」と、GDPは増えていくが、環境負荷は縮小していくという「絶対的なデカップリング」である。「GDP単位あたりの排出量の改善」と「総量の削減」と言えばわかりやすいかもしれない。
いうまでもなく、すでに限界を超えてしまった地球の上で行われる経済活動にとって必要なのは「絶対的なデカップリング」だ。いくらGDP単位あたりで改善したとしても、経済活動が成長し続ける限り、総量は増えてしまい、いずれ限界を超えてしまうからだ。
ではこれまでの世界経済の実績はどうなのだろうか?
たとえば、CO2でいえば、GDP単位あたりの排出量は技術革新のおかげで減少している。しかし、GDP自体が増えているので、CO2排出総量は増えている。研究者たちは、輸入品に関わる全資源も含めての「マテリアル・フットプリント」で測定される資源使用量とGDPの関係を観た場合、長期的に絶対的なデカップリングが維持された歴史的証拠はなく、さまざまなモデルで計算してみても、楽観的な条件下であっても、成長を続ける限りは、絶対的デカップリングは達成できないと予測している。
グリーン成長の基軸の1つであるクリーンエネルギーはどうだろう? 現在、1年間に全世界で生産されるクリーンエネルギーは2000年に比べて、80億メガワットアワー以上増えている。ロシア全土の需要をまかなえるほどの膨大な量だ。ただ、同期間に、経済成長によってエネルギー需要は480億メガワットアワー増えている。つまり、新たに生み出されているクリーンエネルギーは、新たに増える需要のごく一部しかカバーしていないのだ。どれだけ頑張ってクリーンエネルギーを増やしても、成長を続ける限り、追いつかない。だから、世界のクリーンエネルギーは増えているのに、CO2排出量は減るどころか増え続けているのだ。
ここ数十年の間、成長を続けながら同時に環境負荷も減らすことができると信じられてきたが、今では何百もの科学的研究が、実際にはデカップリングは起こっていないことを示している。
このような証拠から、科学者や生態経済学者などから「グリーン成長とは単なる希望的観測だ」という声が挙がるようになり、「グリーン成長は、単に現在の持続不可能なやり方を永続させ、より根本的な変革の必要性から注意をそらすために創り出されたものだ」という見方すら出てきた。
グリーン成長は主に技術革新に依存し、消費パターンの大幅な変更を必要としないため、成長パラダイムを維持できる。だからこそ、政治家や経済界に受け入れられてきた。しかし現在では、「経済は成長し続けなければならない」という考えを捨てるべきだという考え方が広がってきている。「ポスト成長」あるいは「脱成長」と呼ばれる動きである。
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プラネタリー・バウンダリーについて、「9つの境界のうち、すでに4つはその限界値を超えてしまっていることがわかっている」と書きましたが、原稿執筆後に、最新データの発表があり、なんと、「超えてしまったものが6つに増えてしまった」とのことです・・・。
脱炭素論考、後編もどうぞお楽しみに!