私自身の背景を少しお話します。今日のテーマである「資源・エネルギー制約の時代」ということに関して言うと、『成長の限界』という本が1972年に出ました。ローマクラブの委託で、デニス・メドウズ、ドネラ・メドウズたちが研究した結果をまとめたものです。
私はこのメドウズさんたちのグループにずっと入って活動していて、『成長の限界』から30年たってどうなっているかという本、2005年に日本では出ましたが、『成長の限界』の第3番目の本の翻訳もさせてもらっています。
『成長の限界』を読むと、「このまま行くと、資源・エネルギーの点でこういうふうに制約が出てきて、これまで通りの成長は続かない」ということが、もう30年以上前に明らかになっていたことがわかります。しかし、人々はそれを聞き入れずというか、これまで通りの成長を続けてきました。それが、この30年だった
と思います。
先ほどからピークオイルの話が出ていますが、やはり石油の生産量がピークに達して、そこから減っていく。そのピークオイルのタイミングが、いま欧米では非常に大きな議論になっています。ピークオイルは2012年から14年の間に来るだろうというのが、多くの論調になっています。
石油がだめだったら天然ガスがあるじゃないかというのがあるんですが、ピークガスというのがありまして、これもそんなに遠くない時代に来ます。
このあいだ商社の方と話をしていたのですが、天然ガスというのは大体、80%は長期の契約で買うそうです。残り20%がスポット契約です。主に長期で買いますから、2015年に日本がどれぐらい買えるかを足し合わせると、2015年に日本が必要な量の3分の2もいっていないそうです。ですから、本当に「資源・エネルギーの制約」が出てきます。お金を出しても買えない時代になりつつあると思います。
モノやエネルギーがない時代ということで、今日はスライドを用意していないので出せませんが、人間が使ってきた化石燃料の量をグラフにすると、非常に急激に増えて、急激に減っていく。スパイクのような形になると思っています。
私たちはちょうどそこにいるので、この石油に支えられた文明を普通に感じていますが、もっと長期的な時間軸で描くと、この状況は本当に短期的な、極めて特異な事態なのだと思います。
こうしたときに、「何を、いつを基準に置くのか」ということを、私たちは考えていく必要があると思っています。
いまの資源・エネルギー制約の時代の話になると、食糧も含めてですが、これまでの考え方の持ち主は、「いまはそうだけれど、そのうち戻ります」ということを必ず言われます。でも、そうではなくなってきているんだと思うんですね。やはりステージが変わったというふうに、私たちは認識しないといけない。
これまで、80年代だって世界の経済は成長していたけれど、それはほとんど先進国で成長していたし、せいぜい年率3、4%。それもサービス産業が大きくなっていましたから、それほど経済成長が資源・エネルギーにかける負荷が大きくなかった。
ところがそのあと、「BRICS」といわれるように、中国を中心とした新興国が大きく経済を成長させています。まだインフラを整えている段階ですから、構造的に、資源・エネルギーの供給が需要に追いつかない状況が出てきている。
そうなったときに、大きな問題として「共有地の悲劇」が出てきます。みんなが使える石油、みんなが使える土地、CO2の吸収源も、森林もそうです。それをみんなが、われ先にと争って使うような状況になりつつある。
先ほど内藤さんが、秋田のハタハタの話をされていました。駿河湾のサクラエビなど、持続可能な資源管理をしている所はあるのですが、それはかなりローカルな範囲なのですね。そこだけの資源だからそれができる。それが世界全体になってしまうと、やはり共有地の悲劇があちこちで加速しているのだと思います。
そうしたときに日本は、食糧の自給率はカロリーベースで40%、エネルギーの自給率は4%しかないということで、たとえば、食糧が外から一切入ってこなくなると、いまのカロリーの40%しか摂れなくなるということになります。これは5歳児の1日分のカロリーにも満たない数字だそうです。ですから、私たちはいま、輸入を前提として生きているけれど、本当にそうでいいのか。
というのも、世界的に食糧はひっ迫しているので、いまほかの国の土地に手を出し始める国がたくさん増えているそうなのです。輸入するだけではなくて、直接、貧しい国の土地を買ってしまって、そこで自分たちの食糧を作らせる。そういう動きになってきたときに、私たちがいまのように輸入が続けられるんだろうか。
「ずっと続くだろうと頼っていたものがなくなる」という意味で言うと、先ほどのキューバはまさにそうだったと思います。そして、いまの日本もおそらく同じだと思っています。石油やさまざまな輸入に支えられている、この「ずっと続くだろう」とみんなが願っているものが、キューバとはタイミングやスピードは違うにしても、いま起こっているんだと思います。
もしかしたらキューバのほうが、急激に起こっただけに、皆さんの危機意識、対応も早かったのかもしれません。もしかしたら日本は、そういう意味で言うと「ゆでガエル」――少しずつ温度を上げていくと、何となく大丈夫な気がして、いつの間にか大変なことになるという、ゆでガエルの状況にあるのかもしれない。そんなことを思いながら聞いていました。
私がここで、ぜひ3人の方と議論したいなと思うことは、主に3つあります。1つは、「時間」をどう考えるのかということです。もう1つは「進歩」をどう考えるのかということです。3番目に「幸せ」をどう考えるのか。このあたりをぜひ議論していきたいと思います。
さっき緩速濾過の水の話がありましたね。江戸時代の、石川先生のご本でいろいろ勉強した時に、「ロウソクの流れ買い」という話がありました。当時、ロウソクは非常に貴重だったので、燃やしたあとの流れた雫を集める商人がいた。それをまた溶かしてロウソクにして売っていたわけですよね。それはすごく時間も手間もかかるわけです。それは商売になったからやっていたんだと思いますが、いまのスピードというのでは、たとえば緩速濾過なんか待っていられない。それよりも急速濾過にしたほうがいいとなってしまう。
この「時間」を考えると言ったときに、何をベースに考えるか? これは経済の話ですが、金本位制の時代というのは、金というのが1つのアンカーであり、ベースであり、常にそれとの対比でいろんなものを考えていた。でも、その金本位制がなくなった時に、非常に変動する時代に入ったわけですよね。
そういう意味で言うと、先ほど、石川先生や内藤さんのお話でもあったように、江戸時代もしくはかつての私たち人間の暮らしは、「植物が生長するスピード」が一つの、本位制のようなベース、アンカーになっていた。それは、わめいても叫んでも絶対に増やすことはできない。待つしかないわけですね。その中で生きていた。
それが一つのペースというか、スピードの原点になっていたような気がします。それが外れて、別に植物の生長を待たなくても、石油を掘ってくればいくらでもエネルギーが使えるという時代になった時にたがが外れたというか、そんな気がしました。
こういった「時間」のあたりでいろいろ話を聞いていこうと思います。「進歩」とも関係するのですが、石川先生にお聞きしたいと思います。江戸時代の経済成長率というのは、どんなものだったのでしょうか?
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こちらの公開セミナーをベースに本が出版されました。
パネルの続きは「江戸・キューバに学ぶ"真"の持続型社会 」でどうぞ
https://www.amazon.co.jp/dp/4526063215?tag=junkoedahiro-22