私は環境ジャーナリストとして仕事をしていますが、アル・ゴア氏の『不都合な真実』の翻訳を担当したり、環境省の温暖化対策の委員会に入ったり、企業が環境を大事にする経営にシフトするサポートをしたりしています。また、ジャパン・フォー・サステナビリティ(Japan For Sustainability:JFS)というNGOを立ち上げ、日本における環境問題への取り組みなどを世界に発信しています。今日は「どのような社会/暮らしを私たちは求めていくのか」という視点から、エネルギーの問題についてお話ししたいと思います。
私は、原発はすぐには無理かもしれないけれど、中長期的にはなくして、ほかのエネルギー源でまかなったほうがいいと思っています。基本的にエネルギーはあくまでツール/手段だと思っています。ですからエネルギーをどうするか、原発をどうするかという前に、どういうエネルギーをどれぐらい使うのかを考える必要があります。これまでのように使うエネルギーがどんどん増えていけば、自然エネルギーでも原発でも間に合わなくなります。ですから私たちはどういう社会にしていきたいのか、どういう暮らしにしていきたいのか、そこをまず考えなくてはなりません。アベノミクスでは、3パーセントの経済成長を目指すといって、経済が拡大することを第1の目標としています。そうすると必要なエネルギーもどんどん増えていきます。
環境省の温暖化対策委員会に入っていたとき、未来について大きく2種類のシナリオを描いていました。1つは「ドラえもんの未来」と名付けたもので、科学技術を駆使して、未来型のわくわくするような日本。もう1つは「メイとサツキの未来」と名づけたもので、トトロの世界。つまり昭和30年代の雰囲気で、自然との距離が近く、周りの人とのやりとりを大事にするような未来です。この2つの未来では必要なエネルギーが全く違いますし、人々の暮らし方も違ってくるのです。
私はブータン政府に招聘されて2回ブータンに行ったことがあります。国土は九州ぐらいの面積で、人口約68万人の小さな、敬虔な仏教徒の国です。昔の日本のような風景が広がり、自然に恵まれた素敵なところです。"Meeting of the International Expert Working Group for the New Development Paradigm"という会議に参加しました。ブータンは世界の発展のパラダイムを変えていかなくてはならないと熱心に提唱しています。世界中から政治学者や経済学者、心理学者など、さまざまな分野の学者を集めて60人ほどの国際ワーキンググループをつくり、新しい発展とは何か、新しい幸せとは何かを研究し、話し合っています。
なぜブータンでこういう動きが起こっているのでしょう。ブータンは私たちのようにGDP(Gross Domestic Product国内総生産)とかGNP(Gross National Product国民総生産)ではなく、GNH(Gross National Happiness国民総幸福)を目指すと言っています。50年前の1970年代に遡りますが、現国王の父、第4代国王が20歳ぐらいのとき、これからどのようにブータンの国をつくっていこうかと考えて、世界各国の様子を調べました。ブータン国王の結論は、「世界の国々、特に先進国はGDPやGNPを伸ばす開発をしている。その結果、国土はぼろぼろ、人の心はすさみ、文化は継承されていない。だからブータンはGDPやGNPを伸ばす政策はとらない」というものだったそうです。周囲の人はそれを聞いて驚き、「それではブータンは何を目指すのですか」と聞きました。国王は、「どんなにGDPが増えても、どんなに物が売れても、国民が幸せになっていなければ国の開発として失敗でしょう」ということで、GNH、国民総幸福を伸ばすとおっしゃったのです。これまではGDPが増えればお給料が増え、お給料が増えれば幸せになると信じて、GDPが増えるようにしてきた。けれども実際に国民が幸福になっていないじゃないか。だからブータンは幸せそのものを測って、国民の幸せを増していくことをやっていきたいということなのです。
ブータンのGNHは、王立ブータン研究所が研究をして600を超える質問項目で測っています。質問項目はいくつかのグループに分かれていて、例えば「文化の多様性」というグループでは、「あなたは自分の地域で昔と同じように方言を話すことができますか」という項目が入っています。どこの地方の人でも自分の言葉で話せると幸せですよね。「時間の使い方」という面白いカテゴリーもあり、仕事ばかりしているとポイントが下がります。
ブータンでは憲法にGNHが入っています。幸せというのは主観的なもので、国が「これが幸せだ」と定義することはできない。けれども一人ひとりが幸せを追求する場合に、そのための条件や環境を整えることが国の役割だという考え方です。それを実現するために、ブータンは基本的に医療費も教育費も無料です。何かしようと思ったときには学ぶ必要があります。お金がある人は学べるけれど、ない人は学べないということだと、人によって幸福追求が違ってしまうので、誰でも学べるようにしようということです。ブータンでは外国人も医療費が無料です。日本を含め諸外国の援助に頼っている発展途上国なので、経済的に自立してこのような施策がとれるようになると本当にいいなと思います。しかしこういう事例を作っているということで、ブータンは今、世界から注目されています。
ブータンについては、「アジアの小さい国が面白いことをやっているけれど、それは小さいからできるんだよね」と言われていました。けれども世界がブータンにようやく追い付いてきました。2009年、当時のフランスのサルコジ大統領が、「統計学者や経済学者がGDPなどの数字で言っていることと国民が実感として感じているものが離れてきている」と言ったのです。フランスの場合はそれがあまり離れてしまうと革命が起きる可能性があります(笑)。そこで国民が本当は何を測ってほしいと思っているのか、何を測るべきか、一度考え直そうということになり、ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ(Joseph E. Stiglitz)などを中心に委員会を組織して、何を測るべきかを議論しました。その時やはり、GDPでは十分に幸福を測ることができない、幸福という主観的指標も導入すべきだという結論になりました。
同じころイギリスも政府の委員会が「成長なき繁栄」レポートを出しました。これまでイギリスは右肩上がりの経済成長を基本として国の繁栄や国民の幸せを考えてきた。しかし地球が限界に達している今、右肩上がりはもうあり得ない。このような時代でもイギリスが繁栄し、英国民が幸せになるにはどうしたらいいか、ということについてのレポートです。日本でも民主党政権のとき内閣府に「幸福度に関する研究会」ができ、幸福度を測る研究が行われ、試案まで出しました。
このような世界の状況を、私は「幸せの政治・経済化」と言っています。今、こうしたことが世界中で起こっているのは、これまでの形での経済成長を続けるわけにはいかないことが明らかだからです。
経済成長を続けてきた私たちの軌跡を見ていくと、工業生産高、穀物・大豆生産量、金属・鋼鉄消費量、どれもすさまじい勢いで右肩上がりです。現在の人間の活動を支えるために地球が何個必要かを計算したエコロジカル・フットプリントという指標があります。人間が環境をどのくらいの大きさの足跡で踏みつけているのか、という意味ですが、これが今1.5です。つまり私たちの人間活動を支えるのに地球1個では足りない。1.5個必要だということです。しかもこの数字は先進国も途上国も全部合わせた平均ですから、世界中の人が日本人並みの生活をすれば1.5でも足りず2個か3個必要になる。アメリカ人並みの生活をすると5個ぐらい必要になります。1個しかない地球の上で地球1個以上のことを私たちができているのは、私たちの世代が過去の遺産を食いつぶし、未来から前借りをしているからです。
温暖化について見てみます。温暖化というのは大気中の二酸化炭素が溜まって起きます。
地球には大気中から二酸化炭素を吸収する自然の力があります。2007年の数字ですが、毎年、森林が9億トン、海が22億トンの炭素を吸収している。つまり年に31億トンの炭素なら地球は吸収できる。私たちは電気を使ったり、車に乗って化石燃料を燃やして二酸化炭素を排出していますが、その炭素の量が合わせて31億トン以下でしたら全部地球が吸収します。しかし実際には72億トン、つまり地球の吸収量の倍以上出している。これは2007年の数字ですから今はもっと増えています。地球が吸収できない二酸化炭素が大気中にどんどん溜まって温暖化を進めているのです。
IPCC(気候変動に関する政府間パネルIntergovernmental Panel on Climate Change)という、温暖化に関して世界の科学者が集まっているグループがあります。今までどおり私たちが二酸化炭素を出していくと地球の温度がどうなるか、IPCCが1950年から2100年まで150年間のシミュレーションを出しました。温度の変化を色の変化で表し、赤くなると3~4度、黄色になると7~8度、白くなると10~12度温度が上がるということです。このシミュレーションでいくと、今のままでは真っ赤になってしまう。「灼熱地獄」と呼んでいる研究者もいます。これでは地球ももたないし、私たち人間も大変になります。ハリケーンや台風の強度が増している、地滑りが起こる、北極海の氷が溶けている。災害という形でこれからも続くでしょう。
二酸化炭素の排出量が増え続けているのは、私たちがどんどん経済成長をしようとしているからです。たくさんの物を作り、たくさんのエネルギーを使い、たくさんのCO2を出しているからです。このまま続くことはあり得ません。
昔に比べてGDPは増えましたが、私たちは本当に幸せになっているでしょうか。人々が幸せになるために所得を上げるべきだ、所得を上げるためにはGDPが増えないといけないという論理で、「GDP、GDP」と言ってきた。しかしそれが幸せにつながっていないではないか、という問い直しが今起こっています。世界でも日本でもGDPではないものを測ろう、本当の幸せを測ろうという動きがあります。GDPは物やサービスが売れると、それが何であってもカウントされます。環境破壊が起これば起こるほど、交通事故が起これば起こるほど、家庭内暴力が起これば起こるほど、GDPが増えます。そういったものが増えても嬉しくありません。そこで幸せを測る指標では、GDPから幸せにつながっていないGDPを引きます。
逆にGDPに入っていないけれど幸せを創りだしているものもあります。例えば「さつき会」のボランティアは幸せを創りだしています。そこに必要な紙を買うとGDPになりますけれど、皆さんの貴重な汗や時間はGDPになりません。GDPを大切に思う人からすると、これは無駄な活動とされます。けれども幸せを創りだしているのだから無駄ではありません。こういったものの経済価値を換算して足し合わせ、幸せの指標を計算する取り組みがあります。
1人当たりのGDPと1人当たりの幸せの指標とを見てみますと、GDPと幸せは一緒に増えていきますが、あるポイントを超えると、GDPは増えても幸せは増えなくなります。貧しいときはおなかいっぱい食べられたら幸せです。現在の発展途上国や日本でも戦後の貧しい時代にはGDPが増えれば幸せになる。けれどもおなかいっぱい食べられる私たちがいま、4食も5食も食べられたからといって、これ以上幸せにはなるわけではありません。
1人当たりの年間の所得が1万ドルから1万5000ドルを超えると幸せとのつながりが薄くなってくると言われています。年収150万円から200万円ぐらいまでは絶対に必要だと思うのですが、日本はそれを既に超えている。日本の調査でも1人あたりのGDPは増えているけれど、「生活に満足している」「幸せだ」と言っている人は減っています。
新しい潮流が生まれています。日本でも特に若い人たちが、「経済成長、経済成長ってみんな言うけれども、そんなに必要なの?もういいよ」と言うようになってきています。かつては幸せというものは詩人や哲学者が扱うものでしたが、今、経済学者や政治家が扱っています。経済学者は、以前は幸せなど測れないと言っていましたが、統計学が進んだことや、人々の関心が向いていることから、『幸福度をはかる経済学』『人間が幸福になる経済とは何か』など、たくさんの本や論文が出ています。
日本では人口が減っていくという現実があります。国土交通省では、この100年間で急激に増えた人口が、次の100年で同じように急激に減るという予測をしています。人口が伸びていく時代には、当然GDPも増えるでしょう。けれども人が減っていく、特に生産年齢の働き盛りの労働人口が減っていくのに、永久にGDPを増やし続けようというのは無理ではないでしょうか。
「縮小社会」とか「定常型経済」という言葉があります。定常型経済というのは、活発な経済活動は行われているけど、規模として大きくならない経済のことです。スチュワート・ミルなどが言い、経済学者が理想としてきました。私は日本がこの定常型経済を実行して世界に提案できればいいと考えています。
「人間の成長」「子どもの成長」というように、「成長」という言葉にはいいイメージがあるので、「経済成長もいいもの」と捉える人が多いです。けれども実際は単に経済の規模が大きくなるだけのことですから、「経済成長」と言わずに、「経済拡大」とか「経済膨張」と呼んだらどうかと考えています。大事なのは経済の規模が大きくなり続けることではなく、リーマンショックなどのような大変動がなく、経済が安定して持続することだと思います。
(その2へつづくー)