草郷:おふたりのプレゼンテーションについて、ドルジさんの感想なり、ご意見をお聞きしたいと思います。
ダショー・キンレイ・ドルジ:おふたりのプレゼンテーションは、たいへん参考になりました。ブータンにおいても、さまざまな変化があります。たとえば、農業においては、かつては有機農法がありました。しかし、農業の発展に伴い、農薬が使われて大量生産が行われるようになりました。他の分野においても、ブータンでは多くの変化が起きつつあります。それはGNHの目標からは遠いというのが現状です。しかし、私たちがこの世界で生きている最終日的は何なのかを問うことが重要です。
GNHという考え方は、ブータンのような小さな国では機能するけれども、もっと広い世界では無理なのではないかと言う人がいます。たとえば、アメリカのような国は世界中に大きな影響を与えています。ブータンもメディアを含めて大きな影響を受けています。したがって、重要なことは、多くの人が意識を共有化すること、価値観を共有化していくことです。ブータンの経験は小さな経験かもしれないけれど、それをより広い経験に結びつけていかなければならないと思います。
草郷:GNHに関しては、「頭の中ではよく理解できる。しかし、現実問題としては遠い話のように思える」という意見がよくあります。今、私たちが住んでいる社会からGNH的な社会に向かおうとするとき、私たちに何ができるかを、一言ずつ、お伺いしたいと思います。
枝廣:今年、ブータン政府が立ち上げた国際専門家委員会のワーキング・グループの一員としてブータンを訪問したとき、国王夫妻とお話をする機会がありました。私が「ブータンにも西洋の商品やCMが入ってくるようになりましたね」という話をしたとき、国王は「だからこそGNHが大事なのです」という話をしてくれました。
つまり、ブータンだけが世界から孤立して、消費文化やCMから無縁でいることはできない。そういうものがブータンに入らないようにするのではなく、入ってきてもブータンの人々に何が大事かという指標や物差しがあれば、それに負けることはない。だからブータンの人々にはGNHが必要なのだということを、自分は、一生懸命、伝えているのだということでした。
ですから、今の日本に必要なのは、私たちの幸福を何で測るかの指標を変えていくことだと思います。たとえば、アメリカのシアトルでは、市内の川をさかのぼる鮭の数を指標の1つとしていますが、そういう意識の転換を社会に広げていくことが大切だと思います。
西川:地域の人々が、自分たちにとって大切なものは何なのかということを考えるきっかけづくりが大切だと思います。先ほどの大分県の事例で、「一村一品運動」を推進した平松前知事がされたことは、それぞれの地域で活動している人々の出会いのの場を行政としてつくるということでした。行政が何かを教えるというのでなく、実際に活動している人々が学び合う場所づくりをしたということです。そういう意味では、パソコンによる、ネットワークができている現代の世界では、これまで以上の水平のネットワークをつくっていけると思います。そこからGNHのような社会を目指す人々が自分たちのやっていることをお互いに共有化することで、GNHのような価値観を広げていけると思います。
もう1つ大切なのは、GNHを強調するあまりGDPを否定しがちですが、経済を否定すると行政や企業は対話がしにくいと思います。だから、経済を否定してはいけない。重要なことは、本来、資本主経済の中では、経済を伸ばすことは手段であったはずなのですね。ところが、それが目的になってしまって、その目的に私たちが服従してしまっている。しかも、そのことに気づいていないということが問題なので、企業が生きていくうえでの手段としての経済は残す形でGNH的な考え方をしていくことが大切だと思います。
ドルジ:ブータンで私たちが何をしようとしているかといえば、GNHという目標を高いところに据えて、現実の環境や文化に関して持続可能な開発を政府が公共政策として現実化しているということです。私は情報通信省で仕事をしていますが、民主主義においては表現の自由が保証されているので、難しいことが多いのは事実です。しかし、子どもにとって有害なもの、アルコール、たばこなどの広告は許していません。メディアに対しては、GNHのコンテントを持った広告をしてほしいと言っています。
また、ICT(情報通信技術)は、単なる技術でなく、人間の問題ととらえています。ナイフはパンを切るのにも使われますが、人を傷つけることもできます。それと同じように、ICTも人間に役立つこともあれば、人間に有害になることもあります。ですから、すべてを人間や文化という観点から考えていかなければなりません。
草郷:GDPとGNHは社会システムとして全く相いれない概念なのかどうか、お伺いしたいと思います。GNHを考える場合、それはGDPに置き換えるということなのか、それともGDPからGNHに移行していくものなのか。この点については、いかがでしょうか。
ドルジ:まず強調したいのは、GDPとGNHは互いに矛盾するものではないということです。経済成長を否定することは、抵抗も大きいし、前に進めなくなります。GNHはもっと幅広い考え方です。GDPのみを中心とした開発では経済に偏りすぎるので、我々はGNHによって、より広義の開発を目指しているわけです。持続可能な開発ということがGNHの中では重要な要素です。
つまり、GNHとは人間のことなのです。人間が開発の中心にいなければならない、ということです。ですから、GNHは人々をエンカレッジ(勇気づけ。励ます)することであり、政府の役割は人々に奉仕することです。ICTもメディアも教育も、すべて住民に対する奉仕活動であると言えると思います。
枝廣:GDPは、今、国の豊かさを測る指標と考えられていますが、もともとはアメリカが大恐慌時代に、大恐慌を乗り切るために、産業部門ごとに、どこで、何が、どれぐらい製造されているかを把握するためにつくられた指標なのですね。そのGDPをつくった本人はアメリカの議会で「GDPは国の豊かさを測るものではない」と証言しています。
しかし、GDPがあまりにも巨大な物差しになってしまった。そこで、現在はGDPに欠けているところを補うために、指標自体を変えていこうというアプローチや取り組みが世界中で行われている段階だと思います。たとえば、グリーン成長とかグリーン経済という言葉がありますが、これは同じモノをつくるのなら環境にいいものをつくろう、つくるものの中味を変えていこう、いうことです。
お金やモノで心の豊かさや安定を求めるのか、もっと違うところに求めるのか。ブータンは、その価値をスピリチユアルなところに置いていますが、それを私たちがどうとらえていくかが、今後、大事になってくると思います。