今回は「とても重要なのだが、イメージがつかみにくい」キーワード、carrying capacityです。
carryは「~を運ぶ」というごく日常的な単語で、「~を支える」という意味もあります。capacityは「能力、力」ですから、あわせて「支える力」になります。大まかに言うと、「地球や地域はどのくらいの人間活動を支え、その影響を受け入れることができるのか」という意味です。
日本語の定訳は一つに決まっているわけではなく、使われる文脈や研究者によって、「扶養能力」「環境容量」「収容力」「環境収容力」「人口扶養能力」「人口容量」など、さまざまな訳語があります。
代表的な定義は「一定面積の生態系に無理なく永続的に負わせることのできる、人間の経済活動による負荷の上限」。供給源としては、持続可能な漁獲量(再生する魚の量)、持続可能な森林の伐採量(再生する森林の量)などで表されます。
吸収源を見る場合には、地球の温暖化ガス吸収量、オゾン層破壊物質の除去量、酸性化物質や富栄養化物質などの環境汚染物質排出の臨界量などで表されます。
環境汚染物質の場合なら、地球がその環境を損なうことなく受け入れられる汚染物質の量を示し、自然の持つ浄化能力の限界量などから考えます。環境収容力は環境基準などの根拠ともなります。
地球なり、ある地域なりで支えられる人間の数を考えるときには、「人口扶養能力」「人口容量」と訳されます。「地球は100億人もの人口を支えることはできない」と言うのは、人口が地球の人口扶養能力を超えるという意味なのです。
また、同じ人の数でも、地球全体ではなく、ある公園や地域などで受け入れられる最大の利用者や施設という意味でも使われます。近年、エコツーリズムの議論でもよく登場しています。
例えば、「NACS-Jエコツーリズムガイドライン」では、「科学的な調査に基づく収容力の設定とその順守が必要である。管理当局は保護地域の自然環境調査デ-タに基づいて、収容力を定め、自ら施設の整備などにあたってこれを守るとともに、管理当局以外のものが行う全ての行為を審査して、これを厳正に守らせることが望まれる」としています。
環境収容力に対するこの基本的な考え方や姿勢は、エコツーリズムに限らず、すべての収容力に対して当てはまります。
実際にある生態系の環境収容力を定量化することは難しいのですが、その目安としてわかりやすい指標が、2006年6月号の本コラムでも紹介したecological footprintです。これは世界が必要とする食糧や木材、魚などの供給源と、人間活動から排出されるCO2の吸収源の両方から計算しますが、その分析によると、私たち人間の産業・経済活動は、既に地球の環境収容力を大きく超えてしまっています。