エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

2009年11月11日

低炭素社会と原子力

 

低炭素社会は手段である

今日,日本のみならず世界中で「低炭素社会」へシフトの必要性が叫ばれています。しかし,低炭素社会は実は手段にすぎません。「低炭素社会」は確かに重要ですが,今の日本では,あたかもそれが目的であるかのように―手段が目的化してしまうことはどこでも起こり得るわけですが―なっているのではないかと思っています。
低炭素社会が手段だとすると,目的は何でしょう?
それは「持続可能な社会」です。持続可能な社会にするために,低炭素社会をつくらないといけない。つまり,社会のCO2を減らさないといけない,ということです。
では,低炭素社会をつくる上位の目的である「持続可能な社会」とはどのような社会なのでしょうか?

持続可能な社会に必要な2 つの要素

必要な要素が2つある。私はそう考えています。1つは「地球の限界の範囲内で営まれる社会」ということです。地球には限界があります。さまざまな資源など地球が提供できるものにも,二酸化炭素や廃棄物など地球が受け入れられるものにも,限界があります。その地球の限界の範囲内で営まれる社会でないと,持続可能ではありません。
2つめの要素は,その中で「本当の幸せをつくり出す社会」だということです。単なるGDP や経済の拡大・成長を求めるのではなく,本当の幸せは何か,幸せにつながっている経済やGDP と,そうではない経済やGDPを区別して,経済成長至上主義ではなく,本当の幸せをつくり出すことを社会や経済の目的とすることです。この2つの要素があってはじめて,持続可能な社会になるのだと考えています。
そう考えると,「低炭素社会」だけを考えていては落ちてしまうさまざまな視点があることがわかります。たとえ低炭素社会に資するものであっても,温暖化以外の危険や危機につながるものであったとしたら,持続可能な社会のためにはならないということもあるのです。

地球の限界を超えてしまっている私たち

ここでは,持続可能な社会に必要な最初の要素を取り上げたいと思います。私たちの社会は,「地球の限界の範囲内で営まれる社会」でしょうか? 残念ながら,いまの私たちは,地球の範囲を超えてしまっています。「世界の人間活動を支えるために,地球は何個必要か」を示すエコロジカル・フットプリントという指標があります。その最新の数字を見ると1.4となっています。つまり地球は1個しかないのに,いまの人間活動を支えるために,地球は1.4個必要になっているのです。
地球は1個しかないわけですから,1.4というのは不可能です。これがいま短期的に可能になっているのは,私たちが過去の遺産を食いつぶし,未来世代から前借りをしているからです。持続可能ではありません。
現時点ですでに地球の限界を超えていますから,遠からず限界の範囲内に戻らざるをえません。そのとき,限界を超えた地球からの強制的な是正の力(深刻化する温暖化や食糧不足,生態系の崩壊など)によってではなく,私たち人間が意識的に持続可能な社会に切り替えていくことによって,限界の範囲内に戻ることを願っています。
温暖化や低炭素社会についていえば,現在,私たち人間は化石燃料を燃焼することで,1年間に72億トン(炭素換算)のCO2を排出しています。それに対して,地球が吸収できる量は,森林が9億トン,海洋が22億トンと合わせて31億トンです。地球が吸収できる31億トンという限界をはるかに超えて排出してしまっているため,大気中にCO2がたまって温暖化が進んでいるのです。

低炭素社会の作り方

このような状況で,社会の排出するCO2を減らし,低炭素社会を作っていく必要があるわけですが,その作り方には3つのアプローチがあると考えています。
1つめのアプローチは,「状況は変えず,技術によって高炭素○○を低炭素○○に置き換える」というものです。
エネルギーでいえば,現在のエネルギー需要の増大はそのままにして,エネルギー燃料を入れ替えることで低炭素化を図ろうというアプローチです。燃料転換ですね。たとえば,石油や石炭よりは天然ガスがいい。化石燃料よりも再生可能エネルギーや原子力がいい。石炭ならクリーンコールがいい。需要の増大はそのままにして,主に技術によって燃料転換を図り,低炭素化を図ろうというものです。
2つめのアプローチは,ライフスタイルなどを変えることで,需要を少し減らしつつ,やはり技術による解決を待つというものです。
エネルギーでいえば,「こまめに電気を消しましょう」という呼びかけなどで,日常生活での行動を変えることで,消費量を減らす努力をする。それでもまだまだエネルギーは必要ですから,やはり主に技術的な解決策を求めて,エネルギー転換を図っていくことになります。
3つめのアプローチは,より根本的にそのものを考え直すというものです。つまり,地域のあり方や一人ひとりのあり方,エネルギーのつくり方や,エネルギーの作り手そのものまでを考え直し,変えていくというやり方です。

メンタルモデルに気づき,ゆるめること

このときに大事なことは,それぞれが持っている「メンタルモデル」に気づき,問い直すことです。メンタルモデルとは,私たちがいろいろなものについて「こういうもんだ」と思い込んでいるものです。「自分はこういう人間だ」「うちの会社はこういう会社だ」「原子力とはこういうものだ」「エネルギーとはこういうものだ」「社会とはこういうものだ」「住民とはこういうものだ」それぞれ私たちは,意識,無意識の中に思い込みを持っています。
たとえば,「電力は電力会社がどこかでまとめて効率よく作り,各家庭に運んでくれるものだ」というメンタルモデルを持っている人は多いことでしょう(これまでそうだったわけですから)。でも,そうでなくてもよいかもしれない,それぞれの地域がそこにある資源を使って作ったっていい,発電効率よりも大事なものがあってもよい,と硬直化したメンタルモデルをゆるめることができます。
そういう意味でいうと,太陽光発電は「それぞれの家庭や会社で発電できるんだ」という例証として,エネルギーに対する社会のメンタルモデルを変える大きな起爆剤になっていると考えています。

低炭素社会とはパラダイムシフト

いまは低炭素社会というと,技術革新ばかりが注目されていますが,その真髄はパラダイムシフトなのだと思っています。もしかしたら,そのパラダイムシフトを認めたくなくて,技術的な解決策に走っているのかもしれません。
ひとつのパラダイムシフトは,「資源やエネルギーを使いたいだけ使うのではなくて,地球の限界の範囲内で折り合いをつけて使っていく」というものでしょう。そして,「どこかでまとめてつくって,送電線で配るのではなくて,それぞれの地域や人が必要な量だけ自分たちでつくる分散型へ」というシフトです。そういった時代にいま移行していると思うのです。
そう思うと,低炭素社会のエネルギーとは,それぞれの地域の特性を活かした,地産地消型のエネルギーになっていきます。温泉がある地域には地熱があるでしょうし,森林がある地域はバイオマスがあるでしょう。太陽光,太陽熱,風力,小水力など,それぞれの地域がその地域にあるエネルギー資源を使っていくようになります。
このようなパラダイムシフトの枠組みから見るとき,原子力というのは,「中央で大きくつくって配ります」という旧来型のメンタルモデルのそのままだなあとよく思います。
原子力関係の方はよく「自然エネルギーがいい」という発言を聞くと,「太陽光発電で100万キロワット発電しようと思ったら,山手線内全部に敷き詰めないといけないんですよ。そんなことができますか」とムキになっておっしゃるんですね。自然エネルギーはそれぞれ必要なところで必要なだけ作れるのが特徴なのであって,それでもやはり「まとめてつくれるかどうか」で見てしまうんだなあ,と思うのです。

これからの時代

これまでは,大量生産・大量消費の時代でした。そこではエネルギーをたくさん使って,CO2をたくさん出します。温暖化の問題が出てきて,「これではまずい」と,
いま移行を進めていますが,大量生産,大量消費は変えずに,大量リサイクルを追加し,省エネ・再生可能エネルギーなど技術によってCO2を減らそうとしているのが現状です。これは終点ではなく「途中」にすぎません。これからは,本当の幸せのための「足るを知る生産・足るを知る消費」の時代です。エネルギーの必要量そのものが減っていきますから,低炭素化技術とあわせて,CO2を劇的に減らしていくことができます。
このようなシフトを考えたときに,原子力発電は,核廃棄物や地震国日本での操業,社会とのコミュニケーションなどの問題に対応したうえで,産業用に特化したエネルギー源になっていく可能性があるのではないかと考えています。家庭用は,それぞれの地域でそれぞれの人々が手綱を握ってつくっていく。しかし,産業用の大量の電力需要を減らし,電源を大きく切り替えていくには時間がかかるでしょう。その間の低炭素型の中継ぎとして,原子力の役割があるのかもしれません。

(2009年5月20日記)

 

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