エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

第3回

今日、森のこと考えましたか?

 

 友だちと木の実を拾った鎮守の杜。山をおおいつくす豊かな緑。私たちはほとんどの時間、森のことを忘れて暮らしていないでしょうか。
 10年ほどまえに、木材業者さんたちのネットワークに入れてもらったことから、いろいろな森林や林業に関する現状を知るようになり、あちこちの現場も見せてもらい、現場でがんばっている方々とお話しするなかで、日本の森林の荒廃と林業の衰退を何とかしたい、と思っていました。
 私はよく、「木とは50年で育つダイコンだ」と話します。ダイコンを育てるには、たくさんの種から発芽したものすべてを育てるのではなく、元気のいい芽を残して、あとは摘みます。摘んだ芽はつまみ菜として利用しながら、最後にいちばんいいダイコンを収穫します。
 ダイコンの首のあたりは、ぶり大根のような濃い味つけの料理が合います。真ん中はあっさりしているから、サラダにしたり、薄味の煮物にしたり。そしてシッポのところはダイコンおろしに、皮はキンピラに、葉っぱは菜飯やお漬物にしたり、すべて無駄なく使い切りますね。
 木はダイコンよりずいぶん時間がかかりますが同じことです。木を育てていく過程で、いらない枝を「枝打ち」したり、元気のいい木を残して、ほかの木を少しずつ間伐していくのです。そういう枝や木は、燃料として使われたり、杭や柵に利用されてきました。すっかり成長した木を柱にするときの端材も、板にしたり経木にしたり割り箸にしたり、うまく活用していました。形にならない端の部分は、チップにして紙の原料にするなど、木もすべて使い切る。これがかつての山の暮らしでした。そうやって、山の暮らしが成り立っていたのです。

値札のつかない森の役割

 ところが、金銭的価値だけに重きが置かれ、外国産の木材がどんどん輸入されるようになると、山の暮らしはその変化のスピードについていけませんでした。
 外国から運んでくる木材は、確かに一見安く見えます。自然が長年かけて育ててくれたからです。自然がどんなに手間をかけたか、それに対しては全くお金を払っていないからです。そして、労働力の安いところから船で運んでくるために、どれほどのエネルギーの枯渇を引き起こし、二酸化炭素を出しているか――その費用を全く計算に入れていないため、一見安く見えるのです。
 国産材は一見高く見えます。手を入れ続けることで、森の循環を守り、命のつながりを守り、日本の国を支えているのですが、大切な役割には値札がついていません。木の伐採と輸送のコストだけで判断されてしまうと、国産材はなかなか外材に太刀打ちができませんでした。その結果、脈々と続いてきた山の暮らしが壊れ、豊かだった森が次々とその息吹を失っていきました。
 日本の森林の問題は、日本の国土だけでなく、世界の環境問題にとっても、大きな鍵を握っています。森林面積が国土の67%もあるのに、木材自給率は20%。海外からの輸入に頼っていて、日本の森林にお金がまわらない。だから、手入れもできず、弱ってしまっている森林が増えています。弱った森林は二酸化炭素を吸収する力も弱まり、保水力も失うため、少しの雨でも山崩れが起きるようになってきました。

思いを馳せ、つながりを取り戻す

 どうすればこの悪循環を変えることができるだろう――そう考えた結果、森と暮らしが離れてしまったことによって、私たちの暮らしや思いから森が失われてしまっていることが大きな原因だと思うようになりました。「思いを馳せる」ことができれば、気持ちもお金も回せるのですが、多くの人にとって、毎日の中で森のことを思い出したり考えたりする時間は、ほとんどないのではないでしょうか。その結果、日本の森林は5年後10年後には取り返しがつかなくなるといわれるほどの危機的な状況になってしまいました。
 森の季節や現状を伝え、山側の素敵な取り組みを紹介し、私たち生活者の思いを森につなぎ、森の恵みを生活の中に取り戻していく、そんな森林コミュニケーションサイトをつくろう。その活動を通して、森と暮らしと心をつないでいこう。気持ちとお金を少しでも森につなげていこう。
 こうした思いを込めて3月に立ち上げたのが「私の森.jp」というウェブサイトです(http://watashinomori.jp/)。今つながっていない大事なつながりをつなげること――これがこの活動の使命です。
 森のことを忘れて暮らしているなんて、とてももったいないこと。森はこんなにも深く豊かで、こんなにも地球や私たちのために働いてくれているのに。日本の森に想いを馳せ、その恵みを身近に感じて暮らしに活かしていく。そんな楽しいこと、ご一緒に始めてみませんか。

2008年6月号

 

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