2030年までの日本のエネルギー政策をめぐって、政府から出された3つの選択肢を中心に「国民的議論」――具体的には「全国11箇所での意見聴取会」「パブリックコメント」「討論型世論調査」などが展開されています。
意見聴取会の運営に関しては、さまざまな問題点が指摘されているのはご存じのとおりです。意見表明者の選び方のみならず、せっかく会場に集まった人々の声をどう聞くかといった点も改善していく必要があります。
パブコメについても締切が途中で延長されるなど運営側も混乱しているようです。ただ、これまでこのような政策などに関わってこなかった多くの市民が参加している様子から、国民的議論を行う効果のひとつは得られていると評価しています。
もっとも、パブコメを書くために参考とする資料や書き方の注意点等がよくわからないなど混乱もあり、こちらも改善していく必要があります。
このように国民的議論の運営上の問題や改善の必要性も多々ありますが、私はそれ以前に、国民的議論の「入口」と「出口」について問題意識を持っています。
「入口」とは、今回提示している選択肢をどのように(何を議論し、何は議論せずに)作ったのかも含め、選択肢とそれに関連する情報をどう伝えるか?です。
政府は選択肢ごとの電気料金や2030年のGDPへの影響度合いなどの経済面の情報は出していますが、多くの市民から「知りたい」と声が上がっている「必要な原発の新増設数」「核廃棄物の発生量」など、短期的影響だけでなく中長期の日本の姿を考えるための情報は添えられていません。
また、「出口」の問題とは、今回の国民的議論をどのように政策に反映するのか?です。
基本問題委員会の時から「政府はあらかじめ、国民的議論での意見をどう使うかをきちんと明示した上で国民に聞くべき」と発言してきましたが、国民の声をどのように集約し、どのように政策に反映するのか、いまだによくわかりません。
「聞き置きました」と単なる証拠づくりやガス抜きに使われては、ますます政治や政府への不信が強まります。せっかくの国民が政策について自分たちで考え議論しようという気運が冷めてしまうことは、日本にとって大きな退歩になると懸念しています。
今回は時間のない中での国民的議論となりましたので、いろいろ制約があり、問題や不満も残るでしょう。しかし、だからといって「国民的議論とその政策への反映」をあきらめてはなりません。
「有事は平時の備えにあり」です。今回のように、何かあってから国民的議論だとバタバタするのではなくて、平時から国民がエネルギーについて議論し、国が政策を作るときに国民の意見を反映するプロセスや場を作っておくことです。今回がそのための最初の一歩になれば、と願っています。