2012年12月17日
親が手をだしては「もったいない」
(リード)
親は子どもにいろいろ手をかけたいもの。
でも枝廣さんは、親は子どものあたたかい基地でさえあればいいと言います。
(本文)
「トラブルに負けない」とは、「何があっても自分で解決できるんだという気持ちを持つこと、自分で切り拓くこと」だと思います。
「何があっても」という言葉が、今ほどリアルに感じられる時代はないかもしれません。先行きの見えない中、親は無菌状態で子どもを育てることも、ずっと守り続けることもできません。そうした育て方はむしろ、何かが起こったときに、子どもが自分で立ちむかう体力や抵抗力を弱めるのだという自覚が必要ではないでしょうか。
世の中には、うまくいくこともいかないこともあり、嫌な気持ちを味わっても立ち直っていく、それが「何かあったときの力」です。
それには、自分なりの「芯」が育っている必要があります。そして、その折れない芯は「自分は自分」と思えるということ。これは、私の母の姿勢から学んだことです。
「自ら知恵をつかみとる体験」をさせる
母は、自分とは違う自我を持った人間として私を育ててくれました。また、勉強は学校でするものだと言い、「子どもは遊ぶのよ」といつも野山に追い出されました。
ある日、学校から「事故の危険があるので川で遊んではならない」という通達がきたとき、母は「自分が全責任をとるから」と、学校に直談判し、私と弟や友だちを川に連れていって遊ばせてくれました。川遊びは、生きていくうえで大切な多くのことを子どもに教えてくれます。母は、子どもが自ら知恵をつかみとる体験を大人が奪うことに反対したのです。
外国では、そうしたことにより意識的かもしれません。スウェーデンなどでは、たとえ幼児であっても外遊びにコートを着ていくかどうかの選択も任されます。寒い思いをしたならば、コートを着たほうがよかったのだと子どもは学習します。日本ではつい母親や保育士が「風邪をひかないように」と先にコートを着せてしまいますが、それは学習のチャンスを奪うことでもあるのです。
アメリカで暮らした際も、「手をかけないことで子どもは幸せに育つ」と周囲のお母さんから教わりました。親が主体の「子育て」ではなく、彼らが主人公の「子育ち」が大切で、親の仕事は子どもの邪魔をしないことだと気づいたのです。
子どもの問題は
気持ちに寄り添って「PDCA」
そうした子どもとの関係をつくるには、お母さん自身が、子育て以外の大切なものを持つことが有効だと思います。仕事や地域での活動など、自分を支えるイスの〝足〟を増やすことが、子育てにのめりこまない一つの方法ではないでしょうか。
一方で、つねに子どもの発信にアンテナをはってキャッチすることも大事。子どもの様子がおかしいとき、求めるときには、相談や話に耳を傾けます。母親は子どもにとって、一緒にいるだけでいい、あたたかい基地のような存在だと思います。結論は言わず、アドバイスも必要ありません。親が考える道を示すのではなく、気持ちに寄り添うことが一番なのではないでしょうか。
結論より自分で考える力をつけることが大事です。、娘に「テストでうまく勉強の成果が出せなかった。どうしたらいい?」と相談されたことがあります。私は、彼女の振り返りの手伝いをし、次はどうしたらいいのかを彼女自身が見つける手伝いをしようと思いました。
これは、大人が仕事の世界でも使う「PDCA 」(Plan、Do、Check、Action)と同じです。つまり、計画、実行したら、それを評価して、うまくいかないことを改善する工夫をするというサイクルによって、物事を少しずつ達成や成功に近づける方法です。
「もったい」を生かす
とはいえ、子どもの成長は決してスムーズな直線ではなく、いったりきたりのでこぼこ道、効率などという言葉とは無縁です。
親の日々は夏の草むしりのように、目の前のことをこなすだけで必死。
しかし、時々しゃがんだ姿勢から腰をのばし、庭全体を眺めてみてください。
すると、しゃがんでいたときには見えなかった全体像がつかめることがあります。その庭に立つ自分も俯瞰でき、次にすべきことが見えてくるかもしれません。
「もったいない」の気持ちを私は一番大切だと子どもたちに伝えてきました。
「もったい」とは「物の本体、そのものの価値」です。
子どもにはひとりひとりの「もったい」=「能力」が必ずあります。それを最大限に活かしてほしいと願います。