エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

2013年02月25日

〝定常型経済〟へ向かって (2013年2月4日掲載)

 
 最近、世界の経済界で「成長の終焉(しゅうえん)」という言葉がよく聞かれるようになってきました。ずばり「The End of Growth」という書籍も何冊か出ています。  経済成長が続けられなくなってきた状況を憂えて「どうすればよいのだ」ととまどう声も多くありますが、一方で「失われた20年と言われている日本は、実は今後の多くの国が向かう『新しいふつう』の姿を先取りしているのではないか?」という意見も出てきて、注目を集めつつあります。  幸せ経済社会研究所を主宰し、英語で世界にも情報発信をしている私にも、そういった観点からの取材依頼が増えており、世界の議論の展開を肌身で感じています。  世界に先駆けて人口減少時代に入った日本は、世界への新しい貢献ができる立ち位置にいる、つまり「人口減少社会としての持続可能性のビジョン」を示せるのではないでしょうか。  日本は、2004年に人口がピークに達してから、人口減少時代に突入しました。今後100年間で100年前(明治時代後半)の水準に戻っていく可能性があるといわれています。千年単位でみても海外をみても、類のない極めて急激な減少です。  1990年代初めにバブルが崩壊してからのいわゆる「失われた20年」は、経済成長至上主義から見れば問題かもしれませんが、来るべき定常型経済の姿として考えれば、また別のものが見えてくるように思います。  定常型経済とは、「活発な経済活動が繰り広げられているが、その規模自体は拡大していかない経済」です。  日本は世界の先陣を切って、「人口が増えつづけ、経済規模もどんどん大きくなるという右肩上がり時代」から決別し、まちづくりや暮らしも、経済や社会の在り方も、人口減少をベースに考えるという大きな課題に直面しているのです。    これまで、政治は「経済が大きくなれば、みんなの取り分前は増えるから、問題は解決する」として、分配の問題を避け、パイの拡大に力を注いできました。  しかし、経済が拡大を続けなくなるとしたら、「いかに分配するか」という政治の本来の役割に戻ることになるでしょう。  世界の中では、「縮小都市」「smart decline」など、いかに賢く幸せに小さくなっていくかを研究・実践し始めているところもあります。  考えてみれば、日本の得意な技術も、その多くが「縮小のための技術」ではないでしょうか。あんなに大きかったコンピュータが手のひらに載るほど小さなものになり、とても便利に使われるようになりました。  企業がしのぎを削って開発競争を進めている省エネ技術にしても、「減らす」ための技術です。  3.11を経験し、人口減少時代に入りつつある日本が、短期的な経済効率だけでなく、中長期的なしなやかな強さも重視した定常型経済へのシフトを試行錯誤し、その学びを伝えていくことは世界への貢献となります。そしてそのプロセスに資する日本の技術がますます世界に求められるようになると信じています。
 

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