2013年03月06日
暮らしを「レジリアンス」の視点で見つめ直す
しなやかな強さを失っていませんか
2011年3月11日の東日本大震災は、数年前から私が「これからますます大事になっていく」と考えていたこと――「レジリアンス(resilience)」――の重要性をあぶり出しました。
「復元力」「弾力性」などと訳される言葉ですが、私は「しなやかな強さ」と呼んでいます。風にそよぐ竹のように、「何かあってもまた立ち直れる力」のことです。
今回の大震災は、私たちの社会や暮らしがレジリアンスを失っていたことをまざまざと見せつけました。
たとえば、震災後、物流や生産が完全に麻痺してしまいました。大きな震災の後、一時的にいろいろなものが止まるのは仕方がないとしても、かなり長期間にわたって、暮らしの必需品も届かなくなり、部品が調達できなくなり、工場の生産も休止せざるをえなくなったのです。
なぜ、このような状況になってしまったのでしょうか?
原因の一つは、物流にしても生産にしても、できるだけ途中で在庫を持たない「ジャスト・イン・タイム」が行き渡っていたことだと考えられます。
かつてのシステムではあちこちに在庫がありましたが、「それでは効率が悪い」ということで、在庫を持たず、コストが安くてすむ、効率のよい仕組みに変えてきました。また、部品も安く仕入れるために、調達先をしぼって一社に依存するようになっていた企業も多くありました。今回の震災のような「何か」が起こると、すべてがストップしてしまう構造になっていたといえるでしょう。
ジャスト・イン・タイム方式も調達先の絞り込みも、何も問題がない「平時」には一番効率の良い方法です。
でもそれでは、今回のように「何か」あったときにしなやかに回復する力を損なってしまいます。私たちの社会は、短期的な経済効率やコストを重視するあまり、平時にはその重要性が見えにくい、中長期的なレジリアンスを失ってしまっていたのです。
私たちの暮らしもレジリアンスを失っていたのかもしれません。安い深夜電力を使えるなどのアピールに惹かれて家をオール電化にしていたが、今回の停電ですべて止まってしまって往生した、という声もあちこちから聞かれました。
東京も地震に揺れ、停電しましたが、一人暮らしの知り合いが「自分の暮らしがいかにあやういかに気づき、身震いした」と言っていました。
「仕事が忙しくて、会社から夜遅くアパートに帰ってくるだけの毎日で、近所の人と話をしたこともない。だから、自分もまわりの人の顔もわからないし、まわりの人も私の顔や暮らしを知らない。そんな状況で、震災が起こっても、だれも自分のことは気にしないだろうし、安否確認や救助の手なども差し出されないだろう。確かに、仕事の効率だけを考えたら、近所とはつきあう必要はないのだけど、これでよいのだろうか?」と。
今回の震災は、短期的な経済効率だけでなく、中長期的に何かがあったときにも「それでもしなやかに強く立ち直れる強さ」も重視し、暮らしや企業経営、社会づくりに組み込んでいかなくてはならない、ということを私たちに教えてくれたのだと思います。
そして、そういった関心は日本だけのものではありません。実は、世界ではしばらく前から「レジリアンス」への関心が高まり、多くの研究者がこの分野での活動を進めているのです。
何かあったときにも立ち直れる力の鍵のひとつは「多様性」です。たとえは、震災で停電しても、ガスや薪や太陽光発電など多様なエネルギー源が使えるようになっていたら、それほど困らないでしょう。
しかし、短期的な経済効率を最大化することに注力している今の社会では、多様性は非効率・無駄なものと考えられがちです。
私たちの暮らしや経済・社会にどのようにレジリアンスを組み込んでいけばよいのでしょうか。
私の主宰する幸せ経済社会研究所の大きなテーマの一つです。みなさんもご自分の暮らしを「レジリアンス」という視点で一度考えてみませんか。