伊勢神宮が20年に一度の式年遷宮を迎えています。
「建て替えつづけることで永久の建築物にする」という発想は、世界にも類を見ないものです。西洋型の発想で強いものを造るなら、堅牢な石やレンガ、コンクリートを使うことでしょう。
でも伊勢神宮では、材木を組んだだけのお宮を建て替え、建て替えすることで、永遠をつくり出しているのです。同時に、宮大工やさまざまな手工業者の技(御神宝や御装束など)もそのなかで伝承される、すばらしい仕組みです。
8年かけて準備を進める遷宮の最後の年に「お白石持ち」という地域住民が参加する行事があります。特別に参加させていただきました。
この行事は伊勢市民が神殿の庭に敷きつめる白い石を清冽な宮川から拾ってきて、洗って保管し、お清めをしてから大きな大八車に乗せて運ぶ、にぎやかな行事です。
白い石が積まれ、きれいに飾り付けされた曳き車には、長い綱が2本ついています。そのそれぞれを数百人もの地元の人たちが手に持って曳いていきます。お年寄りもいれば若者も子供たちもいます。町中の人たちが参加しているのです。
2本の綱の間には、ハッピ姿のもカッコいい若い衆が、木遣り歌で調子をつけながら、みんなを先導してくれます。子どもの木遣り隊もいます。
「みんなで粛々と曳いていく」というようなものではありません。笑いがいっぱいで、そして効率が悪い。効率の悪さを楽しんでいる。しょっちゅう立ち止まっては「遊び」が入ります。
「遊び」は行進が止まると、みんなで綱を上下に揺すり始めます。そうして、2本の綱のこちら側とあちら側から真ん中目がけて走り寄り、綱引きならぬ「綱押し」をするのです。真ん中の若い衆はぺっちゃんこになりながら、綱押しを扇動します。
しばらくそうやって遊ぶと、綱はまた2本に分かれ、木遣り歌とともに進み始めます。でも、少し進んだかと思うと、また綱押しが始まります。
少し進むと、通り道にある町内会の「接待」で一休みです。冷たいお茶が振る舞われ、みんな思い思いにお喋りをしながらゆっくりと休憩です。それほど遠くない距離なのですが、そうやって何時間もかけて、神宮まで運んで奉献するのです。
参加して強く感じたのは、一見時間のむだのように思われる「遊び」があちこちに組み込まれていること、そして、それも地域の絆やしなやかな強さをつくり出しているということでした。
町ごとの奉献車を曳いて町中の人が参加するお祭りは、町に住む者の帰属感や誇り、連帯感を高めてくれることでしょう。町内会の「接待」は、違う町の若者たちが出会う場にもなっています。
そして、20年に一度の行事ですから、20年後の担い手を育て、引き継いでいくのも大事なこと。前回は子どもとして参加したであろう若者たちに、数回目の参加となる年配者から「今度は任せるぞ」という声がかかります。
こうして、伝統や文化、技術が引き継がれていくのですね。すばらしいなあと思いました。