オーストリアは国として「脱原発」を選んだ国だということをご存じでしたか?
先月、オーストリアで原発をめぐる取材と見学をさせてもらいました。
オーストリアはかつて、増大する電力需要を満たすため、原発の導入を進め、ウィーンから1時間弱のドナウ川の川岸に、ツヴェンテンドルフ原子力発電所を建設しました。
原発をめぐる議論や反対の声は以前からあったのですが、原発が建設されいよいよ稼働へ、という段階で反対運動が大きくなり、政府は原発を進めるかについて国民投票を行うことにしました。
国民投票前は原発賛成派の方が多かったといわれますが、1978年11月に行われた国民投票では、50.47%が「反対」でした。その差は3万票程度だったと言います。
国民投票の結果を受け、「発電のために原発は用いない」いう法律が成立し、完成した原発を稼動させないこと、準備を始めていた別の2つの原子力発電所も進めないことを決めました。
このときの様子を取材で聞きました。1976年に政府は原発に対する情報キャンペーンを始め、原発の安全性や可能性について情報を提供し始めました。
情報提供は公平に行われ、原発に批判的な人々の意見も伝えました。賛否両論の情報が出されたことから、メディアにも原発に批判的な記事や連載が出るようになり、テレビ番組でも討論が行われ、国民的議論が展開されたそうです。
日本だったら「投資を回収しなくてはならない」等、建設した以上は何としても動かそうとするのでしょうけど、国民投票の結果に従ったのは本当にすばらしいことだと思いました(国民主権であり、議員は国民の代表なのだから当たり前なのかもしれませんが)。
このときの原発建設費は回収できませんから税金が用いられました。
この原発はその後どうなったのでしょうか?
2005年からは原発のセキュリティ・トレーニングセンターとして、ドイツやアジアの国々の原発エンジニアの役に立っています。
また、2010年からは、ガイド付きの原発ツアーを始め、かなり先まで予約でいっぱいとのこと。「世界で一番安全な原発です」と原子炉の中まで見ることができます。
建設されたが稼働しなかった原発を見学させてもらいながら、日本のエネルギー政策をめぐる現在の議論のことを考えていました。
昨年末の総選挙で、自民党が勝利し、エネルギー基本計画について議論してきた基本問題委員会から脱原発派の委員をのぞいた新しい委員会ができました。
その委員会では「原発の新増設をエネルギー基本計画に盛り込むべき」という声が多数を占めているようです。
3.11を受けての国民的議論(各地での意見聴取会や、9割が脱原発を求めたパブリックコメントなど)の結果はどこへいってしまったのだろう?
これまでの国民的議論の結果だけではなく、国民的議論のプロセスそのものがなくなってしまっていることにも、大きな疑問と心配を抱いています。