エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

2024年02月14日

グリーン成長・脱成長・ポスト成長
―何が異なり、どこへ向かうのか 

 

「経済成長」再考の動き
 気候変動の分野ではお馴染みの「IPCC」(気候変動に関する政府間パネル)は、各国政府の気候変動に関する政策に対し、科学的な基礎を与えるという重要な役割を果たしている。かたや「生物多様性版のIPCC」とも呼ばれる「IPBES」(生物多様性と生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム)は、生物多様性と生態系サービスに関する動向を科学的に評価し、科学と政策のつながりを強化する政府間組織だ。


 このIPCCとIPBESは、ともに科学者の集まりだが、その最新の報告書において、科学的な知見の提供から一歩踏み込んで、経済のあり方を見直すべきだという主張をしている。
具体的には、IPCC報告書では「経済成長をどう想定するかは、排出量のシナリオにとって最も重要な決定要因である」として「いくつかの研究では、GDPのゼロ成長・低成長またはポスト成長アプローチのみが、2℃未満の気候安定化の達成を可能にすることを見出している」と述べているいる。


 IPBES報告書では、「現在のグローバルな開発経路に代わるものを求める声は多い。社会的・政治的優先順位の変化を伴う「脱成長」が求められている。自然や人間に対する自然の貢献を劣化させることなく、質の高い生活を実現するための経済の代替モデル(グリーン成長や脱成長など)がある」としている。


 さらに、2018年には238名の科学者が、「GDP成長を放棄し、人間の幸福と生態系の安定に重点を置くこと」を欧州委員会に要求し、2019年には150か国以上の1万1000名を超える科学者が、「GDP成長と富の追求から、生態系の維持と幸福の向上にシフトすること」を各国政府に求める論文を発表した。これまでになかった展開である。


 「経済成長」とは、ある期間に財の生産とサービスの提供が増加することであり、通常、国内総生産(GDP)で測定される。GDPは一定期間に経済が生み出すすべての財とサービスの付加価値だ。確かに、経済成長のおかげで貧困が緩和され、生活の質も向上してきた。


 資本主義が登場したのは18世紀末の産業革命の頃からで、それから経済成長が世界レベルで本格化したという。世界のGDPが本格的に上昇し始めたのはそのあとである。それ以降、経済活動が生み出す財とサービスが人々の暮らしを豊かにしてきた。


 しかし、財やサービスを生み出すための経済活動は、もれなく環境負荷を伴う。必ず地球から取り出した原材料やエネルギーを使い、不要になった廃棄物やCO2を地球に戻すからだ。どんなに高効率の生産であっても、原材料・エネルギーや廃棄物がゼロということはない。


 地球の大きさは変わらない。つまり有限の地球の上で、経済だけがいつまでも成長・拡大し続けようとすることが、資源の枯渇や気候変動、プラスチック汚染、生物多様性の危機などを招いているのではないか。激化し続ける気候変動の悪影響などを突きつけられ、「経済は成長し続けることができるのか?」「経済成長が続くことは望ましいのだろうか?」という議論が盛んになってきているのだ。

歴史を振り返る
 1972年、マサチューセッツ工科大学(MIT)の科学者グループが『成長の限界』を発表した。人口増加、農業生産、再生不可能な資源の使用、工業生産高、環境汚染発生のモデリングに基づく警告で、現在の人口と経済成長レベルは、技術の進歩を考慮したとしても、2100年頃には地球の環境収容力を超えると結論づけたのだ。著者のドネラ・メドウズらは「しかし、早期に対策を講じれば、生態系と経済の安定は可能である」として、人口と経済の成長の再考を迫った。


 もっとも、「経済は成長を続けるべきだ」という考えが最初からあったわけではない。経済学のパイオニアであるジョン·スチュアート·ミルは、経済は成長期の後に人口や資本ストックが一定であることを特徴とする「定常的な状態」に達するだろう、そして「定常経済は必要なだけではなく、望ましい」と考えていた。


 20世紀の最も影響力のある経済学者であるジョン·メイナード·ケインズも、「社会が手段(経済成長と個々の利益の追求)ではなく、目的(幸福やウェルビーイングなど)に注力できる日はそう遠くない」と書いている。


 ところがいつの間にか、GDPで測られる経済成長が望ましいとされるようになり、経済成長が続かないことは脅威であり、何としても回避しなくてはならないと見なされるようになったのである。


 そんな風潮に、米国の政治家ロバート・F・ケネディは1968年に、「ダウ・ジョーンズ工業株平均や国民総生産(GNP)は、環境保全効果や家族の健康、教育の質などを考えに入れていない。......一言でいえば、GNPが測っているものには、人生を価値あるものにしているものはひとつも入っていない」と述べたが、その考え方が新鮮な驚きを持って迎えられたことからも、世界が「経済成長至上主義」に陥っていたことがわかる。


 『成長の限界』の発表後、石油危機が終わり、1980年代と1990年代には新自由主義が拡大した。成長促進ムードの中、ロナルド・レーガン米大統領は、富裕層への減税が経済を刺激し、やがてすべての人に恩恵をしたたらせるという経済学のトリクルダウン理論を取り入れた。


 他方、「経済成長よりも充足や幸せを」という主張や取り組みも、社会の周縁部に出てきた。ブータンが「GNP(Gross National Products)よりGNH(Gross National Happiness)を」と、国民総生産に代わる「国民総幸福」というコンセプトを打ち出して、幸福度指標の測定を始めたり、世界各地でエコビレッジやトランジションタウンの取り組みが広がり、「ダウンシフターズ」(下りていく生き方)や「ミニマリスト」に注目が集まるようになった。


 近年、政治の主流の舞台でも、政策として、また政策の基盤となるパラダイムとして、「成長」の見直しが広がりつつある。その背景には、気候変動の悪影響の顕在化に加えて、新型コロナウイルスのパンデミックや、ロシアーウクライナ情勢などの地政学的な状況もある。のちに見ていくように、特に欧州連合(EU)での議論が盛んになっており、これからの時代のグローバルなサバイバル戦略として「経済成長の位置づけとあり方」が取り上げられることも増えてきている。こういった動きは日本にはほとんど伝わっていないのではないだろうか。 


 日本では、斉藤幸平氏の『人新世の「資本論」』が大ベストセラーになった影響もあり、「脱成長」=マルクス主義というイメージを抱いている人もいるかもしれない。経済成長をめぐる議論は、マルクス主義のみにしばられず、世界での動向や展開を見る必要があると考える。
 世界での経済成長をめぐる議論は、「グリーン成長」「脱成長」「ポスト成長」を軸に展開している。1つずつ見ていこう。

「グリーン成長」は可能か?
 「グリーン成長」という言葉は聞いたことがあるのではないだろうか。従来の経済成長が成長のみを重視し、結果的に環境破壊やエネルギーの過剰消費、CO2大量排出などを伴ったのに対し、グリーン成長は、自然資源と生態系を適正に保全・活用し、持続可能な成長をめざすというものだ、つまり、環境を守りながら経済を成長させよう、という考えである。


 EUや英国はグリーン成長の国家戦略を策定しており、米国でもさまざまなグリーン成長への取り組みが進められている。


 日本政府も「グリーン成長」に力を入れており、2020年に菅政権が日本の目標として掲げた「2050年カーボンニュートラル」を達成するための「グリーン成長戦略」が2021年6月に策定された。経産省は「温暖化への対応を、経済成長の制約やコストとする時代は終わり、国際的にも、成長の機会と捉える時代に突入したのである。(中略)「経済と環境の好循環」を作っていく産業政策が、グリーン成長戦略である」と説明している。


 歴史的にいえば、「グリーン成長」という概念が中心的なテーマとして浮上したのは、2012年の「リオ+20持続可能な開発会議」である。「グリーン経済」と「持続的な経済成長」を同時に求めた成果文書「われわれの望む世界」が出され、それ以来、グリーン成長は、深刻化する気候変動と生態系の破壊に対する有力な対応策と位置付けられるようになった。グリーン成長論では、GDPで測定される継続的な経済拡大は、地球の生態系と両立する、あるいは両立させることができると考えている。


 グリーン成長の定義を見てみよう。

 OECD、国連環境計画(UNEP)、世界銀行のそれぞれが、リオ+20会議の前後に、グリーン成長に関する主要な報告書を発表している。それぞれの定義を比べてみると、世界銀行の定義は最も弱く、成長による環境への影響を「最小化」することを目指す、というもので、環境への影響自体の削減は求めていない。OECDは、資源と生態系サービスを「維持」しようとする点ではやや強いが、ここにも影響を減らすという要求はない。UNEPは、環境影響と生態系の損失の大幅な削減を求めている点で、最も強い定義といえよう。


 定義はそれぞれだが、グリーン成長を達成するためのメカニズムについての意見は一致している。技術革新によって環境負荷を減らし、より資源効率の高い経済への転換を図るというものだ。そして、政府は適切な規制とインセンティブによってこのプロセスを加速すべきだとしている。では、「技術革新によって環境負荷を減らす」と言うとき、どこまで減らせばよいのだろうか?

「プラネタリー・バウンダリー」と「デカップリング」
 このような議論の大前提の1つとなるのが「プラネタリー・バウンダリー」(地球の境界)という概念だ。これは、「人間活動がその限界値を超えた場合、地球環境に不可逆的な変化が急激に起きる可能性がある」という境界線だ。「気候変動」、「海洋の酸性化」、「淡水利用」、「土地システムの変化」など、9つの領域と限界値が定められている(まだ定量化できていないものもある)。

 提唱者の1人であるヨハン・ロックストロームは、プラネタリー・バウンダリーとは人類による大惨事を防ぐための「崖道に付けられたガードレールのようなもの」と言う。しかし、9つの境界のうち、すでに4つはその限界値を超えてしまっていることがわかっている。

 従って、「経済成長に伴う環境負荷を減らす」上での鍵は、「プラネタリー・バウンダリーの限界内に戻れるか? そしてその限界内にとどまり続けられるか?」である。いくら環境負荷を減らしたとしても、地球の限界値を超え続けていては、いつ不可逆的な変化が起こって取り返しのつかない状況になるかわからず、持続可能ではないからだ。

 「技術革新によって環境負荷を減らす」という議論のもう1つの鍵は、「技術革新による環境負荷の低減」が「経済成長による環境負荷の増大」よりも十分に大きいかどうか、である。グリーン成長を主張する人々は、経済(GDP)は成長しながら、技術革新によって温室効果ガスの排出やその他の汚染は減らせるという。つまり、経済は成長しても、環境負荷は同じようには増大しないということだ。この「経済成長」を、「それに伴う環境負荷の増大」から切り離すことを「デカップリング」と呼ぶ(「カップル」は2つのものをくっつけることで、「デカップル」はそれまでくっついていた2つのものを切り離すこと)。

  先ほどの3機関の報告書を見ると、世界銀行は、成長による環境への影響を「最小化」することを目指すとしているだけだ。一方、OECDは、「グリーン成長は、環境影響から成長を「デカップリング」できるほど技術が効率化された場合にのみ可能である」と明確に示している。UNEPはさらに一歩進んで、「私たちが直面する課題についての重要な概念は、デカップリングである。世界的な経済成長がプラネタリー・バウンダリーにぶつかるにつれ、経済価値の創造と天然資源の使用および環境への影響の切り離しが急務となっている」と、デカップリングを分析の中心に据えている。

 ここで気をつけなくてはならないのは、デカップリングにも2種類あるということだ。経済成長に比べて環境負荷はよりゆっくりと増大するという「相対的なデカップリング」と、GDPは増えていくが、環境負荷は縮小していくという「絶対的なデカップリング」である。「GDP単位あたりの排出量の改善」と「総量の削減」と言えばわかりやすいかもしれない。
いうまでもなく、すでに限界を超えてしまった地球の上で行われる経済活動にとって必要なのは「絶対的なデカップリング」だ。いくらGDP単位あたりで改善したとしても、経済活動が成長し続ける限り、総量は増えてしまい、いずれ限界を超えてしまうからだ。

 ではこれまでの世界経済の実績はどうなのだろうか? 
たとえば、CO2でいえば、GDP単位あたりの排出量は技術革新のおかげで減少している。しかし、GDP自体が増えているので、CO2排出総量は増えている。研究者たちは、輸入品に関わる全資源も含めての「マテリアル・フットプリント」で測定される資源使用量とGDPの関係を観た場合、長期的に絶対的なデカップリングが維持された歴史的証拠はなく、さまざまなモデルで計算してみても、楽観的な条件下であっても、成長を続ける限りは、絶対的デカップリングは達成できないと予測している。

 グリーン成長の基軸の1つであるクリーンエネルギーはどうだろう? 現在、1年間に全世界で生産されるクリーンエネルギーは2000年に比べて、80億メガワットアワー以上増えている。ロシア全土の需要をまかなえるほどの膨大な量だ。ただ、同期間に、経済成長によってエネルギー需要は480億メガワットアワー増えている。つまり、新たに生み出されているクリーンエネルギーは、新たに増える需要のごく一部しかカバーしていないのだ。どれだけ頑張ってクリーンエネルギーを増やしても、成長を続ける限り、追いつかない。だから、世界のクリーンエネルギーは増えているのに、CO2排出量は減るどころか増え続けているのだ。

 ここ数十年の間、成長を続けながら同時に環境負荷も減らすことができると信じられてきたが、今では何百もの科学的研究が、実際にはデカップリングは起こっていないことを示している。
このような証拠から、科学者や生態経済学者などから「グリーン成長とは単なる希望的観測だ」という声が挙がるようになり、「グリーン成長は、単に現在の持続不可能なやり方を永続させ、より根本的な変革の必要性から注意をそらすために創り出されたものだ」という見方すら出てきた。
グリーン成長は主に技術革新に依存し、消費パターンの大幅な変更を必要としないため、成長パラダイムを維持できる。だからこそ、政治家や経済界に受け入れられてきた。しかし現在では、「経済は成長し続けなければならない」という考えを捨てるべきだという考え方が広がってきている。「ポスト成長」あるいは「脱成長」と呼ばれる動きである。

「脱成長」論の広がり
 『成長の限界』が出された1972年、フランスの社会哲学者アンドレ・ゴルツが「デクロワッサンス」(脱成長)という言葉を作り、地球の自然のバランスは、あくなき経済成長を追求する資本主義システムの存続と両立するのか?と問うた。これが最初の「脱成長」論であるとされている。
 それから30年ほどして、2000年代初めに「脱成長運動」が始まった。中心的人物の1人は、「現在の経済成長モデルは持続不可能だ」と主張するフランスの経済学者セルジュ・ラトゥーシュで、脱成長に関する多くの書籍を出している。リヨンに「持続可能な脱成長に関する経済社会研究所」が設立され、開催されたシンポジウムには多くの脱成長論者が集まった。


 2007年には学術団体Research and Degrowth(R&D)が設立され、国際的な脱成長会議の開催を担うようになった。2008年、第1回の国際脱成長会議がパリで開催され、「脱成長(degrowth)」という英語用語が使われるようになった。2010年には第2回会議がバルセロナで、以降、ベニスやライプチヒで開催されている。国際会議だけではない。学術団体R&Dは、「ポリティカル・エコロジー、脱成長、環境正義」の修士課程と、脱成長のための研究と政策に完全に特化した初めての国際的な修士課程を提供している。また、2021年から毎年、「世界脱成長デー」が設けられ、各地での取り組みをネットワーク化する機会を提供している。


 近年、「脱成長」論議が再燃している大きな理由の1つは、気候変動の悪影響の加速度的な顕在化である。GDPが現在のスピードで増加し続けるとすると、地球の気温上昇を1.5度に抑えるためには、年率14%の脱炭素化が必要となる計算だと経済人類学者のジェイソン・ヒッケルは言う。しかし、最も野心的な脱炭素化政策でも、年率4%の脱炭素化しか促進できない。これまでIPCCは、大気中から二酸化炭素を除去するネガティブエミッション技術が開発されると仮定することで、このギャップを埋めようとしてきた。


 しかし、2018年の報告書でIPCCは、世界のエネルギー消費を40%削減し、経済の物質生産を20%近く削減する「低エネルギー需要」シナリオを盛り込んだ。このシナリオは、実質的に「脱成長」シナリオである。「このIPCCの報告書は、疑わしいネガティブエミッション技術に依存せずに、パリ協定が求める排出削減を達成する唯一の実現可能な方法は、脱成長かもしれないことを示唆している」と脱成長論者は言う。


 加えて、先進国では「GDPが増えてもウェルビーイングは向上していない」というエビデンスが蓄積されてきたことも脱成長論に力を与えている。また、多くの国が新型コロナウイルスのパンデミックやロシアによるウクライナ侵攻などにより、経済成長ができずに苦しんでいるという現実もある。そして、多くの先進国ではそれ以前から低成長が続いているという事実も、経済成長の将来に対する懸念を煽っている。たとえば、2005年から2021年までのEUの年平均成長率は1.1%である。

近年の脱成長政策
 では、脱成長のためには、どうしたらよいのだろうか? 2022年の「ネイチャー誌」の記事で、脱成長論者の第一人者たちが提案した、脱成長を促進する一連の政策を見てみよう。

  • 有害産業や贅沢産業を縮小し、消費財の計画的陳腐化をさせないことで、不必要な生産を抑制する。
  • 医療、健康食品、住宅、交通、インターネット、再生可能エネルギーといった必需品や便益への普遍的なアクセスを確保する。
  • グリーン雇用保障を可決し、汚染産業を縮小し、誰もが有意義な仕事ができるようにする
  • 週休4日制や定年年齢の引き下げなどの取り組みを通じて、労働時間全体を短縮する。
  • 負担の大きい債務を免除し、貿易の不平等を解消することによって、グローバル・サウスにおける持続可能な開発を支援する。
  • コーポレート・ガバナンスを変革し、企業リーダーの「受託者責任」を、短期的な株主利益の最大化から、社会的・生態学的影響の考慮へとシフトさせる。

 国や地域によっては、これらの政策の要素を既に導入しているところもある。多くのヨーロッパ諸国は医療や教育を無償化しており、世界中で約100の都市が無料の公共交通サービスを提供している。雇用保証制度はこれまで多くの国で導入されており、フィンランド、スウェーデン、ニュージーランドなどではベーシックインカムや短時間労働の実験が進行中だ。いくつかの国や企業が週休4日制を実験的に導入している。


 スコットランド、アイスランドなどの政府は、経済成長のみに焦点を当てるのではなく、ウェルビーイングを優先することを約束している。2013年、エクアドルはbuen vivir(良い生活)担当国務大臣を、2016年にはUAEが幸福・幸福担当国務大臣を内閣に加えた。2019年、ニュージーランドは、世界で初めて「幸福予算」を発表した。政府支出を5つの幸福目標(経済活動からの排出量削減、先住民コミュニティ支援、メンタルヘルス支援、子どもの貧困抑制、デジタル領域での幸福育成)に結びつけたのだ。


 このような政策の背景には、「豊かな国々における経済成長は、もはや進歩に意味のある貢献はしていない。ほとんどの人々は基本的な欲求を十分に満たしているが、貧しい人々は累進的な所得税、社会保障、公的医療、適正な最低賃金などの分配措置からより多くの利益を得ることができる」という認識がある。

脱成長をめぐる"誤解"
 ところで脱成長論者は、「脱成長とはGDPを減らすことではない」という。「脱成長とはスループットを減らすことなのだ」と。「スループット」は、コンピュータやネットワークの領域以外では、あまり聞かない用語かもしれないが、人間が経済活動を行うために、どのくらいの資源を地球から取り出し、どのくらいの廃棄物を地球に排出しているかを指す。「マテリアル・フロー」と言い換えてもよい。


 生態系への過大な負荷が様々な地球環境問題を引き起こしていることを考えれば、スループットを減らすことが重要なのだ。「脱成長とは、不平等を減らし、人間のウェルビーイングを向上させるやり方で、経済を生物界とバランスの取れた状態に戻すよう設計された、エネルギーと資源のスループットの計画的な削減である」と定義する研究者もいる。


 もちろん、スループットを削減することがGDP成長率の低下、あるいはGDPそのものの低下につながる可能性が高いことを受け入れることは重要であり、その結果を安全かつ公正な方法で管理する覚悟が必要である。これが脱成長の目指すところだとしている。


 脱成長は、不況のように不幸な事態を招くのではないか、という懸念があるが、脱成長論者は、脱成長はあらゆる点で不況とは正反対であるという。不況は失業やその他の苦難をもたらす既存経済の無計画な縮小であって、不平等を悪化させ、ウェルビーイングを低下させる。脱成長は、むしろ既存の資源をより公平に配分することに焦点を当てた計画的な縮小であり、経済の優先順位を計画的に再構築することだ。


 脱成長の支持者は、脱成長はすべての国で行われるべきだと考えているわけではない。貧しい国の多くが、人々のニーズを満たすために資源やエネルギーの利用を増やす必要があるのは明らかだ。脱成長論者は明確に、脱成長が必要なのは高所得国(より具体的には、プラネタリー・バウンダリーの一人当たりの公正な分配率を大幅に上回っている国)だけだと述べている。脱成長とは過剰な資源とエネルギーの使用を削減することなので、そもそも資源やエネルギーの使用が過剰ではない経済には必要ではない。

脱成長論への反論
 こうした"誤解"以外にも、脱成長論への反論がいくつかある。
まず、成長から目を背けることは、より豊かで生活水準の高い社会を目指す歴史的な進歩から目を背けることになるという意見も多い。経済成長こそが世界に「ガン治療、新生児集中治療室、天然痘ワクチン、インシュリン」をもたらしたのであり、貧困からの解放や平均寿命の延長など、経済成長の恩恵は数え上げればきりがない、という。


 また、現在の炭素排出量の63%は発展途上国によるものなので、先進国が脱成長したとしても気候変動は止まらないという意見や、経済成長がなければ、気候変動の緩和や適応のための技術への投資ができなくなってしまう、という声もある。また、現在のグローバル経済は経済的な相互依存度が高いため、先進国の脱成長は途上国に大きな打撃を与え、世界的な不平等が深刻化するかもしれない、という見立てもある。


 この「先進国の脱成長は途上国に大きな打撃を与えるから、脱成長は望ましくない」という考え方には、もっともな反論もある。確かにグローバル・サウス経済の多くは、原材料や軽工業製品のノースへの輸出に大きく依存しているので、ノースの需要が減退したら、収入が減ってしまうという反論は一見、合理的に聞こえる。しかし、ノースにおける過剰な消費は、たとえそれが生態系の破壊を引き起こし、サウスに不釣り合いな損害を与えるとしても、増加し続けなければならない、という論理には問題がある。言うまでもなく、貧困を減らす最善の方法は搾取を増やすことではなく、経済的公正を増やすことである。サウスは、グローバル経済に提供する労働力と資源に対して公正な価格を受け取るべきなのだという考え方だ。

成長にこだわらない「ポスト成長」というスタンス
 「グリーン成長」や「脱成長」に対して、「ポスト成長」と呼ばれる考え方もある。「beyond growth(成長を超えて)」や「アグロース(agrowth)」と呼ばれる考え方で、「経済は、経済成長を伴うかどうかにかかわらず、環境および社会的目標を達成するように設計されるべき」というものだ。


 「グリーン成長」と「脱成長」という現在の対立軸に代わるものとして、「アグロース」を提案しているICTAバルセロナ自治大学の研究者イェルーン・ヴァン・デン・ベルグは、「グリーン成長か、脱成長かという議論ではなく、具体的な経済成長率より、何が成長するか、縮小するかが大事なのではないか」と言う。気候目標を達成するために、必要ならある程度の成長を犠牲にすることもあるし、逆に、気候目標が達成できるのなら、グリーン成長を否定する必要もないという「成長にこだわらない」アプローチである。


 グリーン成長は、現状にわずかな調整を加えるだけだと批判されることもあり、脱成長アプローチは急進的で政治的に破滅的だと批判されることもある。他方、ポスト成長派は、その中間に位置し、より穏健な立場なので、両極からの批判もあるが、二極化しがちな議論の橋渡し役を担えるかもしれない。


 「グリーン成長」「ポスト成長」「脱成長」を支持しているのは誰かを調べた興味深い研究がある。


 気候変動緩和政策に関する論文を積極的に発表している研究者789名(出身国78カ国)を対象としたオンライン調査で、「成長か、環境か」に関する問いを設けたのだ。全設問に回答した764名の回答者のうち、27%が「グリーン成長」、45%が「ポスト成長」、28%が「脱成長」の立場に分類された。


 国別に見てみると、OECDはグリーン成長を強力に推進しているにもかかわらず、EUの研究者は86%、北米以外のOECD加盟国の研究者は84%がグリーン成長に対して懐疑的だった。北米の研究者は、他のOECD加盟国の研究者に比べてグリーン成長に好意的であり、非OECD諸国では研究者の半数以上がグリーン成長を支持していた。


 興味深いことに、回答者の出身国の1人当たりGDPが増加するにつれて、回答者の立場はグリーン成長から脱成長へと向かうことがわかった。国民所得が増加するにつれて、「さらなる成長を追求することによる社会的・環境的コストが便益を上回る可能性があるため、GDPの増加を優先させることは見当違いである」という見方が増えることが示唆され、同研究では「高所得国の研究者の間では、グリーン成長に対する懐疑論が広がっており、ポスト成長や脱成長の視点をもっと考慮すべきである」と結論づけている。

EUの「脱成長」「ポスト成長」への動き
 2023年5月には欧州議会で、「成長を超えて 2023会議」が開催され、次のテーマで会議が進められた。


全体会議1 - 成長の限界:我々はどこに立ち、これからどこへ向かうのか?
全体会議2 - 目標を変える:GDP成長から社会的繁栄へ
全体会議3 - 資源消費の限界に立ち向かう:レジリエントな経済へ
全体会議4:成長の生物物理学的限界を理解する:プラネタリー・バウンダリーを尊重する経済を構築するために


 同会議に先だって、欧州議会リサーチサービスが詳細なレポートを出している。第1部ではまず、主要な政策推進力としての経済成長、主要な経済指標としてのGDPへの依存、この依存に関連する盲点などの現状を提示している。第2部では、根本的なシステム推進要因を変えるための必要性と、システムの変革方法や経済的移行を実現するための具体的なツールについて紹介している。このようなしっかりした枠組みで、政策論として、また政策の根幹をなす「目標」や「パラダイム」への働きかけとして、脱成長やポスト成長が議論されていることに驚きを感じる人も多いのではないか。


 EUの2050年に向けた第8次環境行動計画の長期優先目標は、「ヨーロッパ人が、プラネタリー・バウンダリーの範囲内で、何一つ無駄にすることのない幸福な経済の中で、豊かに暮らす」ことである。成長は再生可能なものとなり、気候中立性が実現し、不平等が大幅に是正されることを目指している。そのために、経済成長自体を見直そうという動きが活発になっているのだ。
加えて、EUが近年とみに経済成長をめぐる議論を活発化させているのは、地政学上の理由もある。国家安全保障上、EUはロシアへの依存低減が必須だという共通認識の上で、「経済が成長し続けていては、いつまでも依存は低減できない」という考え方が広がっているのだ。


 日本としても、人口が減少し、高齢化が進んでいく中、経済成長をどう考えるのか、本当に大事なのは何なのかという哲学的な問いとしても、また、世界をめぐる地政学上の状況への持続可能な対応という観点からも、いつまでも「グリーン成長」一本槍ではなく、「脱成長」や「ポスト成長」についても真面目に考え、議論していく必要があるのではないだろうか。

 

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