エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

2024年10月23日

食べるということ  (2024年10月21日掲載)

 

先日ある国際会議でセネガルからの参加者がこのような話をしてくれました。

「セネガルでは伝統的に、キビ(クスクス)、トウモロコシ、キャッサバなどが主食で、いずれも国内で生産されていました。ところが、セネガルに鉄道が敷かれることになったときのことです。鉄道敷設に必要な多数の労働者に食べ物を供給するため、調理に時間がかかるキビではなく、より簡単に調理でき、素早く食べられる輸入米を使うことになりました」

「セネガルではコメは作っていないので、アジアの国から輸入することにしたのです。これをきっかけにコメを主食とする習慣が広がり、セネガルは輸入米に頼る構造となってしまいました。食糧主権を失ってしまったのです」

「食糧主権」.........考えさせられますね。「自分たちが食べるものの生産・流通に関わることは、他国に牛耳られるのではなく、自分たちで決め、コントロールできるようになっているべき」ということですね。

日本のカロリーベースの食糧自給率は38%。もう少し食糧主権を意識しないと! これからの食糧不足の時代に、輸入に頼り続けることは危険ですよね。

「自分が食べるものは、自分で決め、コントロールする」という意味では、個人レベルでの「食糧主権」も考えることができますし、「自分が食べるものの生産・流通その他社会全体への影響は、自分の責任として考える」という側面もあります。

『スローフード宣言』の著者であるアリス・ウォータースさんは「どういう食べ物を食べるかは、栄養だけでなく、食べる人の価値観や人となりを形作っていく」と述べています。

「ファストフード店で、またはファストフード的な方法で食事をすれば、栄養バランスを欠いた食べ物だけでなく、無意識のうちにファストフード文化の価値観をも飲み込むことになる。食べ物と同じように、価値観もまた自分の一部になる。そうすると、自分自身―物の見方や嗜好、倫理観、考えかたなどすべて――が変わっていく」というのです。

ふだんは忙しくてぱっと食べて終わりにしているかもしれませんが、「食糧主権」という考え方や「私たちは身体も価値観も食べたものでできている」ということを、忘れずにいたいものです。

 

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