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「NOTHING TO WASTE」(何ひとつゴミにはしない)産業廃棄物処理業者・石坂産業の取り組み

2015年06月02日
「NOTHING TO WASTE」(何ひとつゴミにはしない)産業廃棄物処理業者・石坂産業の取り組み

埼玉県にある産業廃棄物業者・石坂産業。女性社長・石坂さんの考え方や、その最先端のリサイクル、生態系保全の取り組みなどが注目を集めています。以前におじゃましたときに石坂社長にいろいろうかがったお話も含め、異業種勉強会パートナーでもある同社の取り組みを紹介しましょう。

「NOTHING TO WASTE」(何ひとつゴミにはしない)

これを標語に掲げる企業が、埼玉県三芳町にある、産業廃棄物処理業者の石坂産業です。

「産業廃棄物処理」のイメージといえば、一般的には、「燃やす、埋め立てる」というものでしょう。しかし、石坂産業はこのイメージを覆し、運び込まれる産業廃棄物の約95%を減量・リサイクルしているのです。「燃やす、埋め立てる」ものはほとんどありません。このリサイクル率は業界トップです。

同時に、地域の人々とともに東京ドーム3.5個分の里地里山との共生にも力をいれていることでも知られており、循環型社会をめざす一連の活動が、メディア・国内外の行政・自治体・大学をはじめ、業界を超えた多くの企業から注目を集めています。見学者数は毎年2000人を超え、茂木元経済産業相や中南米・カリブ10カ国の大使外交団も訪問したそうです。

同社の理念から、一部ご紹介します。(読みやすさのため改行を入れています)
http://www.ishizaka-group.co.jp/idea.php

~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~

完全な循環型社会になるとき、廃棄物とは言わなくなるのでしょう。しかし、今はまだ人々の豊かな生活と引きかえに、廃棄物が出ます。その処理は誰かが必ずやらなければならない仕事。私たちはこれを使命ととらえ、日々努力し、知恵を凝らします。

産業廃棄物の処理という仕事に誇りを持ち、研究し、周囲の自然環境や近隣に住んでいる方たちを最大限に尊重しながら、目配り、気配り、心配りのおもてなしを心がけ、よりよい社会をつくるため力を尽くしていきます。

前例のないことでもどんどん取り入れ、まず自分たちが変わり、この仕事に携わる社員をはじめとして、利用してくださる方顧客、近隣に住む方々、偶然に私たちのことを知ってくださった方々の意識に働きかけ、日本をよりよい循環型社会に変えていきます。

~~~~~~~~~~~~引用ここまで~~~~~~~~~~~~~~~

石坂産業はイーズ未来共創フォーラムのパートナー企業であり、昨年異業種勉強会として開催した「大人の社会見学会」で、石坂産業での『自然体験&3Rを学ぶ 工場見学プログラム』を実施しました。
http://www.es-inc.jp/network/forum/2014/nwk_id005047.html

石坂産業はなぜここまでこだわりをもって資源化にとりくむのか、「NOTHINGTOWASTE」に至るまでの苦労や今後などについて、見学後に石坂典子社長にお話をうかがいました。

~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~

枝廣 石坂社長にお会いするのは2回目ですが、今回は現場の見学をさせていただき、ありがとうございました。「本当にすごい」と、みなさん口をそろえて言っていました。私もそう思います。

1つには、「徹底して細かいところまでこだわって処理をしていることがすごい」ということ。それから、「働いている方々が非常に楽しそうで、気持ちのいい笑顔で挨拶してくださって、テーマパークに来ているようでした」という感想もありました。

石坂産業は「産廃業者」だと思って来たのですが、今日の見学時間の半分以上はそうではないところをたくさん見せていただきましたよね。最初の質問です。ずばり、御社は何屋さんなのですか?

石坂 再資源化施設を目指そうと、10年前に「脱産廃屋」という言葉を掲げたのです。私は、20年前にこの会社に入った時、受付をやっていたのですが、その時、お客さんに言われるのが、「いくらで捨てられる?」ということでした。「処分」とか「リサイクル」という言葉ではなくて、「いくらで捨てさせてもらえるの?」と。「産廃業」という言葉も使われずに、「ごみ屋さん」と言われていたんです。

それがずっと引っ掛かっていました。常に低い位置に見られる業種というのに疑問を抱き、「脱産廃をしよう」と考えました。私たちは産業廃棄物処理業ではあるけれども、燃料化し、リサイクル化を目指していき、100%それができる業態になっていこう。そのためには、われわれは「産業廃棄物業」ではなくて、「再資源化・循環型処理業」です、と変えていこうというところから現在に至っています。

枝廣 20年前に会社に入られてから、どのように展開されてきたのか、お話ししいただけますか。

石坂 最初は、父親の仕事をお手伝いるという感覚で入りました。入ってから、工場にも何回か足を運ぶ中で、父親の仕事は、ただ重機や機械を動かしているのではなくて、不要になったものをリサイクルできるように減量化する仕事なんだなと思いました。すごく素晴らしい仕事をしているんだ、と思うようになったんです。初めて父親がやっている仕事に対して誇りを持ちました。入社後10年ぐらいお手伝いしながら、仕事の中身を全部理解するようになりました。

ちょうどそのころ、焼却炉の問題が大きく取り上げられました。当時、ダイオキシン騒ぎが大きくなっていて。うちの焼却炉は日量50トン炉という巨大なものなんですね。当時はこの界隈で一番大きかったものですから、メディアもたくさん来ましたし、ヘリコプターなどでたくさん写真を撮られました。本当は蒸気なのですが、「あのモクモク煙が出ているのはダイオキシンだ」と、皆さん思われていたんです。あっと言う間に地域で反対運動ののろしが上がるようになりました。「石坂産業反対」「出ていけ」と。

私は、こんなに世の中のために廃棄物を減らそうとしている事業なのに、なぜ「反対」と言われるようになってしまったんだろうと、すごくショックを受けました。もちろん父親も、裸一貫でここまで築き上げたので、地域から「必要ない」と言われたことに衝撃を受けていたんです。

そんな様子を見ていて、私は思いあまって、父に「この仕事の社長を私にやらせてほしい」と言ったのです。父親は「女がやれる商売じゃないよ」と言いました。私は2人目の子どもが生まれる寸前でしたし、業界としても難しい業界ですから、「何、生半可なこと言ってるの」と言われたのが12年くらい前です。

枝廣 どんな思いで、「自分にやらせてほしい」と言われたのですか?

父親がここまでやってきて、私たちを育ててくれた。そして、私が小さいころから父親と一緒にやってきてくれた社員もいる。「ここまで私を育ててくれたのはこの人たちのおかげだ」と思ったら、純粋に「恩返ししたい」という気持ちだけだったんです。

結果的に、父親から「女がやれるような商売かどうか、1年だけチャンスをやるから、やるだけやってみろ」と言われてスタートしたのです。

そこから、「私たちは脱産廃屋だ」ということで、とにかく「産廃と言われない産廃屋」を目指しました。。そのためには、ハードの投資とソフトの投資を並行して行っていこう、と。先ほど皆さんにも見ていただいた工場づくりに対して、総額40億近い投資をかけて、「命をかけて」ではありませんが、「最終的な私たちの生き残りをかけて」というベタな題目で許可申請をして、3年くらいかかって許可を得ることができたのが突破口になりました。

そのことがあって、父親にも、「そこまで本気でやっていくのなら任せてみよう」と思ってもらったようで、この10年間は代表権がない取締役社長ということで研修してきました。昨年8月末までは、最終的なお金の決済は必ず父親を通してでした。

10年間、父親をサポートしながら進めてきた会社の変化が、父親を安心させたのかなというところもありますが、今でもうちの父は満足していなくて、いつも怒られてばかりです。でも、ようやく昨年、代表権をいただいて現在に至っています。

枝廣 見せていただいたとき、「屋内で処理しているのはうちだけだったのです」というお話でしたが、普通はどういう状況なのですか?

石坂 正確な数字はわかりませんが、中間処理業が2万数千社あると言われていると思います。当時、10年前に処理工場を建屋に入れようとした時は、建屋で処理している工場はありませんでした。

ダイオキシン問題から3年後くらいに、3年間毎年、廃棄物の処理法が大きく改正され、規制で締め付けられるようになりました。そのころISO14001が急激に普及したのですが、そのころから大手の参入が増えてきました。こういったところは処理工場を建屋内に設けましたが、地方では従来どおり露天で処理しているところもあります。法律に「建屋で囲いなさい」という条項もないですし、全天候型という、すべてが中に収まっている形は、全体の3割はないのではないかと思います。

枝廣 建屋の中に収めようと思った一番のきっかけは何だったのですか? コストアップになりますよね?

石坂 やはりダイオキシン問題で、「不必要な産業で、かつ地域に迷惑をかける会社」と言われたものですから、じゃあ、地域に迷惑がかからない方法って一体何だろう?と。破砕するものですから、ほこりが立ったり、音が出たりします。そういったことを地域に影響させない環境をつくることだ、と考え、重機から車両からすべて覆ってしまおうというのが現在の形です。

全天候型にして、産廃屋らしくない産廃屋さんにするために、プラントを移転したかった。一番奥に持っていくために開発工費が必要であり、総額が40億近くなってしまいました。

まず、「飛散する粉塵や音を地域に出さない」という目標を掲げて、処理工場を建屋に入れました。建屋に入れたら労働環境がどう変化するかというところまでは頭になかったんです。取りあえず「地域のために建屋に入れる」と。

ところが実際には、建屋の中に入れると、室内で重機や車両が動きますから、建屋の中がものすごい温度になり、粉塵が発生するわけです。今度は、働く人たちのための環境投資ということで、集塵機を付けたました。1年も待たずにすぐ、大型の集塵機を7台、8台入れました。また、建屋にすると、中が暗い。そこで、採光のために、後から2,000万円かけて工事をし直したんです。

そういう形でやった段階で、それでも環境団体の方たちからは、「建屋に囲ったからって、中で何をやっているかわからないし、ましてやそこから車両が出てくる。車両から何か舞っていたりするんじゃないの?」という話が出る。

そういうことであれば、建屋から出る車両のタイヤ部分をきちんと洗浄しようと考えました。上水を使って洗浄している会社もあるのですが、月に水道代が500万とか600万払っていると聞きました。会社にとっては大きな負担になります。

そこで、私たちはどのように洗浄水を確保しようかと考えたときに、全天候型の屋根に当たった水はきれいなわけですから、それを全部備蓄しようと考え、雨どいから伝わってきた雨水をタンクに入れて使っています。足りない時は井戸水で補うという形です。

枝廣 産廃業者に運び込まれたもののうち、リサイクルできないものは最終処分地に行くわけですが、石坂産業のリサイクル率は非常に高いと聞きました。なぜそれが可能になっているのでしょうか?

石坂 もともと焼却炉があったころは、可燃物の受け入れがメインでした。焼却することで、容積は10分の1まで減らせます。日本には埋め立てる土地がないから、日本は焼却炉が最も多い国でもあるわけですが。かつては海洋投棄をしていて、浦安やお台場など、ごみで埋めて土地を整形してきたのですが、海洋投棄の問題も含めて、最終処分場が逼迫してきました。

そういう意味で、われわれのビジネスで、どこまで廃棄物を減量化し、リサイクルするかというのは、大きな課題でもあります。石坂産業は、住民の方たちから反対されて、焼却の事業から撤退しました。私たちのメインビジネスがなくなったんです。その時にどう事業転換を図るのかも、環境対策と同時に考えなければいけない課題でした。

日本で一番不法投棄が多いものと言われたのが、今日皆さんが見学通路から見ていただいた、土の中にたくさんのごみが混じっていたものです。

あそこには名前が書いてないんですね。産業廃棄物というのは、基本的に企業が排出する廃棄物で、企業の名前が書いてあったり、マークが入っていたりします。マークが入っているものが不適正な処理をされたら困りますから、メーカーは、自社のマークが入っているものは徹底してきちんと処理することを要求します。

ところが、皆さんが住んでいる住宅、壊してしまうと、どこに名前が書いてありますか? 「枝廣先生が住んでいた」なんてどこにも書いていないわけです。そうすると、私たち処理業者は、「安く処理してくれ」と要求されるんです。「そんなに高いのだったら、おたくに頼まないよ」と言われちゃうんですね。そうすると、どんどん値段を下げて行かざるを得ない。

通常、私たちのような処理業者だと、解体の坪単価は5~6万円は必要だと言われているんです。でも実際には、2万円ぐらいでやる業者さんがまだあるんですね。人件費とごみ処理費を考えたときに、その差は歴然としていますよね。同じ建坪を壊す人件費は同じですから、ごみ処理代でコストを下げるしかなくなってしまう。そうすると、名前の書いていないものはその辺にポンと空けてしまっても分かりにくいですから。

そういうことで、大規模な不法投棄が各地で起こりました。何十万m3と、山になるくらいごみをためて逃げちゃう。可燃物と不燃物がごちゃごちゃに混ざったようなものです。私たちはそこに目を付けました。

そもそも、廃棄物を分けて資源化する技術には、物質を分ける「分別」作業と、重さなどで分ける「分級」という技術があるんです。うちの父がオリジナルでやっていた分別・分級の技術があったのですが、10年前のリニューアルの時にその分別、分級にものすごく投資をかけました。

要は、「私たちはこれをメインビジネスとしてやっていこう」と考えたのです。不適正に処理されているビジネスは、私たちにとってはニッチな分野だったわけです。そこを狙おう、と。同業者たちがやりたがらない、いわゆる処理がしにくいものに手を出すと決め、そこに最もお金を投資した10億近いプラントを建てました。

今では、100%を超えるような稼働率で、受け入れを制限している状態です。同業者さんたちが処理し切れないものを、わが社が先駆的に受け入れている結果、売り上げ規模も伸ばすことができたということです。

枝廣 同業者が分別し切れなかったものをこちらに運び込んで、こちらでもう1回分別することで、そのままだと最終処分地へ行くものまでリサイクルしていると聞きました。分別率と再資源化率を上げていく中で、一番苦労されてきたのはどのあたりでしょう?

石坂 同業者さんたちが本来は最終処分場に持っていくようなものを私たちが受けると、「精度分級」という世界に入っていきます。もっともっと細かいものを分級していくのですが、処理能力は小さくなっていくんです。大きなものをアバウトに処理するのは比較的簡単で、短時間でできるんですが、より細かく、精度を高くしていこうとなると、時間がかかるんです。

時間と労力をかけて製品化していくことで、他社が平均75%前後だと言われている減量化・リサイクル化率に対して、わが社では平均95%まで来ています。それだけの精度分級を、人の手と機械更新で行ってクリアしているということです。

リサイクルできたものは製品化されるわけです。なくなるわけではないのです。できたものの「出口戦略」がこれからの大きな課題です。出てきたものを購入してくれるのか、という問題ですね。

今日見ていただいた製品化を経て作っているものはもちろん安心なものです。ただ、新しいものを作ったとき、「新しいものを使う」というリスクを考えると、なかなか使ってもれないということもあります。

大学などとの共同研究で「10年かけてこれが安心して使えるものかどうか検査しよう」というと、10年間待っていなくてはいけません。その間にたまっていく製品はどうしたらよいのか。

東日本で、今のわが社のようなリサイクルの取り組みをしているのは3社くらいしかないと言われていますが、他の2社は当社の10分の1の規模です。ということは、圧倒的に製品化される量はわが社のものが多い。きちんと使っていただける環境を整えていかないといけない。

ところが、営業マンが提案を出すと、「いや、廃棄物由来のものでしょう」という話になる。「もともとは産廃のものでしょう」「産廃のものだから安心できないでしょう」というスタンスでは、製品化することが無意味になってしまうんですね。

これ、もともと産廃になる前は何だったのか? 皆さんの住宅の土地だったんです。皆さんが住んでいる住宅の基礎になる土だったのです。それを分級して「廃棄物だから使えない」と言われてしまうと、われわれが一生懸命リサイクルする意味がなくなってしまう。

製品化・再資源化するビジネスではなくて、「いいじゃない、減量化だけして、リサイクルしないで埋めちゃえば」というやり方もあるわけです。これからどのように出口戦略を展開していくかがこれからの大きな課題です。

 

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