先日、100人近くの参加を得て開催した、【丸の内de地方創生を考える】~地域経済再生のしくみ 英国トットネスの取り組みから考える の資料と音声をお届けできるようになりました! 遠方の方やタイミングが合わなかった方でご関心のある方、よろしければぜひ。
http://ishes.org/news/2017/inws_id002291.html
このときに、ゲストとして参加いただき、私のトットネス報告・日本の地方創生の「成功の公式」にもコメントをいただいたり、ご自身のお考えやご経験を共有して下さった太田直樹さんに、少し前にインタビューをさせていただいていたのですが、その内容がアップされました。
http://ishes.org/interview/itv13_01.html
いま読み返しても、いろいろなヒントや気づきのタネ満載です!ぜひご一読いただければと思います。
~~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~~~
幸せ経済社会研究所ウェブサイト インタビューコーナー
総務大臣補佐官 太田 直樹氏
http://ishes.org/interview/itv13_01.html
2015年1月、民間企業から総務大臣補佐官に転身された太田さん。地方創生とICT/IoTの政策立案にかかわり、全国各地をまわられています。今後の地域や国のあり方、人工知能がもたらす世界とは?そして、経済や価値観を変えていくためには何が必要なのでしょうか? お話を伺いました。
○ICT×地方創生
リスクを感知し、つなぐ役割
枝廣:総務大臣補佐官というのは、どのようなお仕事ですか?
太田:総務省は総務庁、郵政省、自治省の3つが合併した省です。その中で私は2つの領域を担当しています。ひとつはずっとやってきたICT(InformationCommunication Technology)の分野。今でいうAI、人工知能も入ります。もうひとつは地方創生ですね。
私は奈良県の出身ですが、大学は東京にでてきましたから地方創生の感覚がまったくなくて、とにかく現地に行かないと、と思い、だいたい週に1回、のべ60か所くらいの地域をまわっています。できるだけ多くの方とお話をして、現場でどんなことをやっているのかを聞いています。
枝廣:もともとは、コンサルティング会社にお勤めだったんですよね?
太田:はい、25年間くらいはコンサルタントをやっていまして、ずっとテクノロジーの領域を担当していました。インターネット、家電やITなどをどのように産業や社会に使っていくかというお手伝いをしていました。
枝廣:となると、ICTと地方創生といえば、まさに太田さんのためのお仕事ですね。
太田:そうですね・・・実は霞が関にはそれまで行ったことがなくて、官僚組織なんて自分からもっとも遠いものだと捉えていました。はじめの半年くらいは、眼は開いていて、耳でも聞いているんですけれど、あまり自分の意見は言わずに仕事をしていました。
大臣からは仕事として2つのことを言われています。ひとつは自分が見えないリスクを感知してほしいということ。もうひとつは、官僚は皆優秀だが縦社会なので、横串を刺してほしいということです。
例えば、AIのリスクはどこなのか、地方創生でうまくいっていないところはどこかなどですね。意外だったのが、地域によっては仲が悪いところもあります。人口が7万人なのに観光協会が9つに分かれていてうまくいっていないとか、商工会議所と市役所の関係がよくないなど、そういう場をどうやってつなげていくのか、というような仕事をしています。
○心理学からテクノロジーの世界へ
社会や組織の変化に立ち合う
枝廣:コンサルタントをされていた25年というのは、まさに技術がさまざまに変化してきたのを目の当たりにされてきた時ですよね。
太田:コンサルタントになったのが1990年だったんですが、日本ではちょうど規制緩和があって、NTTが分割されました。その後少したつとインターネットがでてきて、どうなるの?というところから、マイクロソフトのウィンドウズ95がでたときに徹夜で並ぶ人がでる。どんどんITが入ってきて、暮らしや仕事がガラっと変わる境目にいましたね。
枝廣:大学では技術などを学ばれたんですか?
太田:大学では実はまったく違うことをやっていまして。心理学を学んでいたんです。
枝廣:そうなんですね。私も心理学だったんです。どういう領域を?
太田:認知心理学なんですが、そのなかでも社会心理に近いほうです。当時興味があったのは「人はなぜ洗脳されるのか」。卒論も、中学校の先生に協力してもらって、「人の判断はどれくらいあやふやなのか」など勉強をしていました
枝廣:私は教育心理学だったのですが、「人はなぜ学ぶのか」をやっていました。近い分野ですね。
太田:その時から、個人よりは社会や組織に興味があったんです。とはいえ、自分が組織や集団の中にいるというのは昔からだめなんです。遠足や修学旅行からは脱走して、会社に入ってからも社員旅行に行きたくない、おなかが痛いなどと子どものようなことを言って、行かない。とにかく集団のなかに一定時間以上いるのがだめなんですね。
でも社会や組織にはすごく興味があります。コンサルタントという仕事を選んだのも、1万人、場合によっては30万人の社員がいる会社をどうやって働きやすくするか、結果が出るようにするのかを考える仕事がおもしろいなと思ったのがきっかけです。
枝廣:「心理学」から「組織」に、次に「テクノロジー」というのはどうしてですか?
太田:たまたま最初に担当したのが通信会社で、「通信」で社会が変わるなと感じました。そこでいろいろ勉強して、途中で経営も勉強するためにロンドンのビジネススクールに行き、それからボストンコンサルティングに転職したのですが、そのあたりからテクノロジーの領域が自分の一番の専門であると決めてやってきました。
枝廣:そうやってコンサルタントをやっていらして、今政府にいらっしゃるのは?
太田:かなり偶然ですね。今の私の仕事は初めてできた職で、私が第一号なんです。自分でポジションを探していたわけでもないですし、コネがあったわけでもありません。電話がかかってきて呼び出されて、何の要件かもよくわからずに出向いて、そして今の仕事になったんですね。
それまでの仕事は経営者のお手伝いなので、簡単にいえばどうやって儲けるかという仕事をしていたのですが、もう少しそこから仕事をずらしていきたいなと思っていたときに、たまたま、チリンとベルが鳴ったような感じで今の仕事にお誘いいただいたので、あまり家族にも相談せずに決めてしまい、あとでかなり家族問題がおきました・・・(笑)
○「異物」の立場から見える世界
枝廣:コンサルタント時代にされていたことと、現在のお仕事の本質は似ていますか?
太田:それはすごくいいポイントですね。ある経営者の方に言われたのですが、コンサルタントって「異物」なんですよね。異物として、違う意見を言ったり、内側からでは出ないようなアイデアを出したりするのがコンサルタントの力だと思います。基本的にはアウェイで仕事をします。社長から雇われて、しかも法外な値段を払ってきてもらっているわけですよ。お手並み拝見、から始まりますから、そういう意味では今の立場はかなり似ているのかなと思います。
ひとつ違うのは、経営の世界というのは儲かるか儲からないかで決まるのに対して、政治や行政の世界は感情がいっぱい入ってきます。今でいうと、たとえば「不安」ですね。これはたぶん原子力から、築地の魚市場、AIもそうなんですね、なんとなく不安という感情。不安って、どこかで線を引くのだと思うんですが、いろんな線があったり、線がない中でも話さないといけないとものすごくモヤモヤしたり。
あと地域も、霞が関もそうだと思いますが、「ねたみ」。地方で話を聞いていると、なんであの人ばっかり司会しているんですか、みたいなこともあります。いろいろな感情が入っていて、その度合がやはり企業の世界とは違うなあと思います。
枝廣:企業であれば利益など、ある一定の指標がありますよね。それに向けて動くので、ねたみがあったとしても、結局その指標をめざすということになります。国で動いていくときには、そういう指標がないですよね。そうなると対人関係とか、立ち位置とか、感情的なものが出てきますか?
太田:出てきますね。それがまだ経済成長していたときにはいろいろな指標があって、中でも成長という一番強いキラキラしているものが照らされていたんだと思いますが、今はそういうものがないので、そうするとやはりどういくの?ということについて、なんとなくみんな不安を感じているように思いますね。
○下り坂へ、ころばないようにー
枝廣:ブータンをはじめ、幸福度を指標にしようという国もあります。仮に日本が、GDPは指標にならないから国民の幸福度をどれだけ上げたかを判断の指標にしようということになったら、また何か変わるでしょうか。
太田:変わってくると僕は実は楽観的に思っています。それは地方をいろいろまわっている中で感じたんですね。一番感じたのは海外ですが、着任して2か月くらいのときにオーストリアにあるギュッシングという町に行ったときです。
※ギュッシング:再生可能エネルギーによる地域活性のモデルといわれているオーストリアの町。オーストリアで最も貧しい地域とかつていわれていた。
(「世界」の記事 http://www.es-inc.jp/library/writing/2015/libwri_id007314.html)
転職が決まって、地方創生の本をいろいろ読みました。処方箋のような本を読んで、生産性が大事だとあったら、そうかもしれないなって思ったりして。でも一方で理屈はそうかもしれないけれど、本当のところはどうなのかなって思っていて、着任して2ヶ月目にギュッシングに行きました。もともとはオーストリアで一番貧しいと言われていた地域から未来が出てくる。その時に「君にこの言葉を贈るよ」と、シュンペーターの言葉を贈られたんです。「なにごともはじめはバカにされる。次は反対されて、最後は当たり前になる」。
ガンジーも近いことを言っていますが、それがこの5~6,000人の町から生まれ、いまEUの中でも再生可能エネルギーのセンターになっています。こういうことが起こるんだということをそのときに見られたのはすごくよかったなと思います。おそらく日本でもいくつか出てくるだろうと思います。しかも社会全体を変えるようなものがでてくるような気がしていて、そこが自分としては希望が持てたところなんですね。
とはいえ日本は今、がっちりと既存の仕組みがあって、官僚機構が最たるものですが、誰かが撤退戦、店じまいのようなものをやらなければいけないんだろうなとも思います。それは社会システムの話ですから、1、2年の話ではなくて10年、20年の話になるでしょう。そこをころばないように下り坂のほうにうまく入っていく、というのをどちらかというと私はやっています。おもしろいことを作っていく人たちに対してはそういう立場から応援できるように関われたらいいなと思います。
○変化の先導役は市民の力
長い時間軸でビジョンを描く
枝廣:上り坂だと目の前を見てのぼっていけばいいのですが、下り坂になった時には10年、20年先を見て、あるべき姿やありたい姿のビジョンを描かないといけない。日本の官僚機構はそれが一番苦手ではないでしょうか。仕組みとしてないものですよね。国として長い時間軸でビジョンが必要なとき、どうやって折り合いをつけていけばいいのでしょうか。
太田:難しいですね。
枝廣:官僚ではなく、地方やNGOなら時間軸を伸ばせるから、そちらから変えていくということはどうでしょうか。
太田:おそらく一度試みて、課題意識やモチベーションを含めて議論されたのは道州制だと私は思っています。一方で難しいなと思うのは、新しいパラダイムに関しては、日本では必然だったと思いますが、民主党政権のときに提案されたものが多くあると思っています。再生可能エネルギーも同じ話で、今はぐちゃぐちゃになっていますが・・・
枝廣:幸福度もそうでしたね。
太田:そこが今、複雑骨折みたいになっていると思います。霞が関の中でも個人個人では理解や知識、共感をもってくれる人がたくさんいるんですけれど、もう棚上げして、そこから降ろせないという感じなんですよね。それがすごく残念だと思っています。共感したり、思いを持ったりしている人が一定数いて、それがどういう動きになってくるのか、というのは期待していることのひとつです。
それからもうひとつ思っているのは、本来今の政権でやったほうがいいと思うのですが、公とかパブリックがやるのではなく、この20年で力をつけたNPOとか中間支援団体が作っていくものや投げかける問いが、変えていく先導役になれるのではということです。
枝廣:なるほど。私は以前からもし神様がひとつ願いごとをかなえてくれるなら何をかなえてもらおうかなって空想するのが好きなんですが、官僚機構は2,3年で人事異動するでしょう、あれをなくしたいっていうのが、神様にお願いしたいことなんです。
太田:え、もったいなくないですか、それ?(笑)
枝廣:それが諸悪の根源だと思っているんですよね。海外の政府の方や企業の人と話すと、長く担当されているから言えることもあるじゃないですか、でも日本の官僚は言えないですよね。
太田:それだけやっぱり専門性や継続性があればもっとできると思っていらっしゃる、ということですか?
枝廣:本気度というか・・・私も官僚の人たちとお付き合いがあるので皆さんの気持ちもわかるんです。2~3年で異動するとわかっていると、次の人に迷惑がかかりそうなことは言えません。霞が関には本当に優秀な人がいっぱいいて、真心のある人たちが、こんなに大変な仕事をみんなにバッシングされながら・・・って思うんですが、その人たちが30年くらい自分の責任で仕事ができると思えれば、もっと大きなことがいろいろできると思うんですよね。
メディアもそうで、私はレスター・ブラウンの通訳をずっとしていたのですが、レスターが来日するたびに来る記者さんが違うんですよ、異動してしまうから。毎回ゼロからの取材で、ぜんぜん積み重ねができません。企業は今異動の期間が少し延びているし、環境・CSRは専門職にもなり連続性が出て、コミットメントができますが、あいかわらず官僚が難しいなと思っています。自分で受け取れると思えば、思い切ってボールを投げられますが、そういう仕組みになっていないんですよね。
太田:新しい動きもでてきているのは、課長くらいのところでしょうか。5~6年くらいの期間で自分が何をしたいのかを作っていくというのが少しずつ出てきています。また、専門性を民間で磨いて戻ってくるというシステムが金融庁でありますね。
枝廣:それはいいですね。
太田:専門性とネットワークを持ち、しかも思いを持ってもう一度戻ってくるという人たちなので、モチベーションや能力がすごいですね。数ではまだまだ少ないのですが、キラキラ光るような人たちがでてきているなと思います。
○変化のきっかけは既存の世界観や知識体系から自由になること
枝廣:さきほどのギュッシングの話に関連して思っているのが、たとえばギュッシングは自分たちが輝いて終わりではなくて、オーストリア、ヨーロッパにも広がっていきましたよね。日本でもキラキラ輝く地域がもっと広がりを持てるといいなあと思っています。そのあたりはどのようにみていらっしゃいますか。
太田:そこは私も考えていて、まず違うと思っていることから申し上げると、「スケールアウト(数を増やして展開)しましょう」という言葉は、僕は違うと思っています。
おそらくギュッシングで起こったことが拡大したのは、もう少し同時多発的な、あることを考えているときに同じことを考えている人が離れたところにいるという、そういう現象に近いと思っているんですね。
それは何が後ろに働いているかというと、自分の中にある既存の世界観や知識体系からもう少し自由になって動ける人が多い状態だと思っています。それぞれがその場で思いをもってやっていると、それが連鎖していくような土壌に、日本はまだないのでしょう。500人がばらばらで活動しても動かないんですが、思いをもっている人がたくさんつながって、ゆらぎがでて自由になると日本も変わると思います。
枝廣:たしかにそうですね。日本で同時多発的にといえば、ひとつは平成の大合併の時に住民投票をしたところがすごく多かったという例がありました。もうひとつ、最近は住民出資の会社が広がっていますよね。日本でも希望のもてるところはあります。でもいまの多くの人のゆらぎを取り戻すというのは、ICTを活用した働き方改革とか柔軟な考え方などが関係しそうですか?
太田:そうですね。単純に考えると「変わる」というのはいくつか伴ってくる事象がありまして、時間の使い方や会う人と場所を変えるというあたりがわかりやすいことだと思うんですよね。今の生活ではなかなか難しいけれど、その1つか2つが変わると、やっぱり「変わる」。
それに関してはICTがあると、在宅で仕事がやりやすかったり、地方で働いたり、いろんな人とつながれるという面があるので、「変わる」機会がすごく増えていくと思います。そこから先はそれぞれの方法論があっていいと思いますけれども、環境としては変わりやすいところがあるでしょう。
○「見る力」をもった人工知能その時人間に必要なこととは
枝廣:ICTで変わるという点については、人々の価値観が先に変わって使いやすい技術を選ぶ、というよりも、技術が使えるようになって価値観が変わっていくという「変わる」がありますよね。
太田:技術というのは色がついていないので、ソーシャルメディアはかなり問題になると思いますし、バーチャルということが中毒性を持つということもあると思います。人工知能に関しても懸念されていることというのはいくつか現実になると思います。
枝廣:使い方に気をつけることは別として、ICT自体が人間の脅威になるということはこれまであまりありませんでした。ですが人工知能という技術自体が、使い方云々の前に不安を呼び起こす何かをもっているような気がしているのですが、そのあたりはどのように考えていらっしゃいますか。
太田:僕は大学の頃から自己流なんですが座禅をやっています。毎朝般若心経を読んでいるんですが、その中に「無眼耳鼻舌身意」というのがあります。先日ある文章を読んでなるほどと思ったのですが、この並び方の順番には意味がある、とありました。
「眼」と「身」はいちばん離れて書かれています。身体というのは「身を持って知る」ということで、自分をすごくリスクにさらして、ここが安全だ、ということを知る。「見る」というのは遠くから細かく知ることができるので、自分をリスクにさらさずにすみます。こういうことで人間は「見る力」を発達させて制覇してきたんだと思うんですね。そして、身体を使わなくなってきています。
AIに話を戻しますと、今AIで起こっているのは何かというと、一番簡単な説明は、これは東京大学の松尾豊先生がおっしゃっていたのですが、「人工知能が見る力を持った」ということなんですね。有名なのは猫が見えるようになった研究です。これまで人工知能は見る能力がなくて、人間が教えないと仕事ができなかった。我々の仕事や生活は「見ること」を9割ぐらい使っているので、それでは役に立たなかったんです。
「見る力」があると、AIに「運転して」と頼んだり、「これ何の病気?」と尋ねたりすることができるようになります。しかし、その時に人間は不安を感じます。なぜかというと、我々は見ることばかりやってきたので、それをAIがやってしまったら我々は何するの?という話だからですね。実はもっと見るところから遠いところに、においを嗅ぐとか、味わうとか、身体という感覚があるのに、そこにある豊かなものというのをたぶんどこかに置いてきてしまっていて、AIによって自分の世界がなくなってしまう、どうしよう、というのが、おそらく理屈っぽくいうと今、人工知能について感じている不安です。
ただポジティブに考えると、「見る」ことはAIにまかせてしまって、身体で感じるという豊かな世界、触覚でいろんなことを楽しむ世界をもっとつくればいいじゃないかと僕は考えているんです。
枝廣:桜があるというのは人工知能に見えても、桜を愛でるっていうことはしないですものね。
太田:思い起こすと僕は個人的にも家族にも辛い時期が7~8年前にあって、そのときの転機のひとつがダイアローグ・イン・ザ・ダークに行ったことなんです。半信半疑で行ったのですが、すごく怖くて。上下もわからなくなって、私は動けなくなったんですが、一緒に行った当時中学1年生の娘は、バーッと動いていました。そのときの感覚が、すごく豊かだったんですよね。見えない世界というのがこれほどすごいのかというのを、時々思い起こします。
※ダイアローグ・イン・ザ・ダーク:暗闇のソーシャルエンターテインメント。参加者は完全に光を遮断した空間の中へグループを組んで入り、暗闇のエキスパートである視覚障がい者のアテンドによりさまざまなシーンを体験する。
http://www.dialoginthedark.com/
実は人工知能に関して感じる恐怖も根っこは近いと思います。我々は見ている世界に独占されているので、それをとられてしまうと何をしていいのかわからない、というものです。しかし、もしダイアローグ・イン・ザ・ダークにポーンと放り込まれたときのような、最初は怖い、でもすごく豊かな感覚を得る、というのを知ってしまえば、まったくガラっと変わるような感じがしています。
ただそう思えるようになるには、「見る」支配からいかに自由になるかという、先ほどの自分がどう変わるのかということにつながります。自分が変わっていかないと、本当は豊かなことがいろいろ起こっていてもあまり共感できなかったり、反応ができない。「見る」というのは効率がいいですが、「見る」ことをどうやって少し脇において、本当は豊かなものがいろいろある、という感覚を取り戻すか。このあたりに、今我々は立っていて、強制的に人工知能から押されている、というように僕は考えています。
○縮小していく貨幣経済のプロセスは楽しく、豊かに仕組みを変える人たちへの期待
枝廣:たとえばお金や経済は今のところ「見る」世界に属しているんでしょうか。
太田:お金はそうだと思います。
枝廣:人工知能恐怖論、不安論のひとつが本能的なものもあるし、49%の仕事はなくなるともいわれています。人間がやらなくていい仕事は人工知能がやると、そのとき人間はお給料がなくなってどうするんだという話になりますよね。そのあたりはどのようにお考えですか。
太田:そうですね、お金、すなわち貨幣が支配的な歴史というのは最大で考えても200年くらいなので、そこから前はおそらく貨幣の部分は6割、それ以外の部分が4割ぐらいだったのでしょう。たぶんゆっくり、貨幣の世界が縮小していくと思っています。貨幣経済が拡大していくときのインセンティブ(動機付け)は、はっきりしています。歩かなくても車に乗れるとか、冬でも暖かいとか。いろいろわかりやすいインセンティブがありました。
それに対して貨幣経済がなくなっていくときのインセンティブというのはすごく感じにくいので、そのプロセスがとても難しいと思います。単純に明日が不安というのは、先ほどの話に通じるところがあります。便利なものが増えていく、それを働いて対価として買うというのではなく、違う世界をどうやって豊かに感じることができるか。それがあれば、貨幣経済が縮小していくときにもスムーズだと思うんです。それは文化や芸術など、より「見る」というところから遠いところにある理解、憧れ、楽しさみたいなものが伴っていないと、ひたすらつらいプロセスになってしまうかなと思います。
枝廣:今のままだと強いられるか、これだと地球がもたないから、と無理やり自分を納得させていく方法ですよね。
太田:ホラーストーリーのようにその道を進むというのは、僕はあまり好きではなくて、もう少し楽しい、豊かな道に見えるようにしていく可能性というのは、どうやったらできるかですよね。
僕が少し楽観視しているのは、今たとえばシェアリングエコノミーという動きがありますが、20代の人と話していると、所有することに関しての執着がすごく低いですよね。
僕は今年50歳で、ある程度高度成長期の余韻があるなかで物心がついて、社会に出たらバブルが終わっていました、という世代です。このあいだ同じ世代の経営者と飲みながら話していたら、今の仕事が終わったら飲食店でもやりたいんだよね、と彼は言っていて、でもなかなか上の世代の人たちには言いにくいと。そういうのがたぶん僕らの世代なんですよ。上の世代の人は「もっとがんばらなきゃ!」「やれる!」という人がまだまだいらして、それは政治も経済もみんなそうですよね。僕の世代はまったく違うのもいいやって思っている世代なので、上の世代と若い世代との感覚に挟まれているなあと思います。
20代、30代の人たちはすごくおもしろいし、そういう人たちが自分たちのライフスタイルをつくっていったらいいじゃないって思っています。上の人が無理やり変わるとは思えないですし、自分は「まあまあ」って言いながらうまくやって、下の人たちおもしろいよね、という感じ方をしています。
枝廣:世代交代によって自然に主流の人たちが変わるということですね。
太田:現場をまわっていると家もなく、何もなく暮らしている人と会ったりします。彼らは毎回帰る家も違ったりするんですけれど、すごい不幸にも見えない。今は過渡期だと思いますが、いろいろな部分に幅があって、肩肘張ってやっている人もいれば、自然体でやっている人もいる。すごいなって思うんですよね。
枝廣:そういう人たちが社会の主流になってくると、GDPを成長させなきゃ、ということではない政治や経済になってくるでしょうか。
太田:そうですね。あと、よく3つの「Y」、「夢、欲、やる気」がない、と言われることに対してものすごく反論したいという人もいました。そこはもうベクトルが違う話ですよね。団塊の人たちから見れば、やる気もないし、夢も欲も何もないということになるんですけど、そこはもう、交わらないなという風に思っています。彼らは彼らなりに野心があって、その中の人たちというのは本当にガラッと仕組みが変わるようなことをやってのける人たちです。そういう野心を持った人が出てくるとすごくおもしろいなあと思いますね。
○「経済成長」というトレンドからの脱却を宣言する
枝廣:上の世代の人たちはまだ経済成長を信じている世代ですが、その次の世代の人たちは、例えば、どこかで国として経済成長を追い求めるのをやめるとか、価値観を転換させるとか、何か変えていくようなことを考えているのでしょうか?
太田:今思いましたが、「終わりました!」という宣言があってもいいでしょうね。
枝廣:少しずつ移行しようとはしているのだと思いますが、そろそろGDPではなく、「一人当たりのGDPで考えましょう」とか「新しい時代に日本は先に行きます!」みたいのがあるといいですね。
太田:最近おもしろいなと思ったのは、グーグルにあるNグラムビューアー(Google Ngram Viewer)というものです。過去500年くらい、15世紀から現代までに発行された数百万の書籍から単語検索ができるものです。そこで2つ検索してみたんです。ひとつは「Growth」、もうひとつは「Health」。あらゆる当時の本のなかで、その言葉がどれだけ出てきているかがわかるんです。
おもしろかったのは、GrowthがHealthを抜いたのが1900年なんですね。でも1982年からGrowthという言葉は急激に減るんです。Healthというのはずっと横ばいだったんですが、1970年くらいの高齢化が始まった頃からどんどん上がって、21世紀の手前くらいでGrowthを抜いているんですね。Growthはもう関心をもたれていないということです。
偶然だと思いますが1982年というのはバラトングループが最初に集まった年じゃないですか。これがおもしろいですよね。そういう動きをキャッチしている人たちは、少なくともGrowthに関しては違うなというのを感じていた。それから30年ですが、まだ慣性力ってはたらいているんですね。一番慣性力がはたらいているのは国だと思いますね。昔の、「Growth=上がる」という、坂の上をまだみている人がいっぱいいる。社会全体でみるとそれはトレンドなのでしょうが、でも違うよっていう話をどこかで宣言したらいいのかなと思います。
※バラトングループ:『成長の限界』の執筆者であるデニス・L・メドウズ、ドネラ・H・メドウズが1982年に創設したグループ。システム・ダイナミクスや持続可能性の研究者・実践家ら300~400人のメンバーからなる。枝廣も2003年から参加。
枝廣:経済が先にあってその中で暮らしをできるだけ折り合いをつけていこうと多くの人は言いますが、この発想を変えつつある人や企業もでてきていますよね。
太田:たぶん自分たちが目的だと思っていたものが実は手段で、しかも手段のひとつでしかない、みたいなところに気づき始めたんでしょうね。利益もそうだと思いますし、お金もそうでしょう。そこは、逆が起こりやすいんですね。本来手段だったものが目的になることのほうが何百倍もたくさん起こっています。最初に違うよと言うのは勇気がいる。株主がいるなかで、「うちの会社は利益が目的ではありません」と言うのは難しいですよね。
枝廣:最近、ダノンの社長がもう規模をもとめないとか、トヨタの社長もそういった発言を始めていらっしゃいます。気がついている人たちはいて、少しずつ言える環境になってきているのかもしれないですね。
○小さな変化が大きな変化と同じ時代に
枝廣:変化を考えるときによく思うのですが、雪崩が起きる瞬間をスローモーションにすると、ほとんどのところが変わってないけれどあるところが少しずつ変わりだして、最終的に一気に変わるんですよね。
先ほどお話しいただいたことも含めて、いろいろなところで変化は出てきていると思うんですけれど、せっかちな私としてはもっとはやく変化を起こしたいと思った時に、たとえばどんなふうに動けばいいでしょうか。
太田:雪崩は、物理学で言えば、「臨界状態からの相転移」ですね。雪崩や地震が起きたり、砂山が崩れたりといういろいろな自然現象は、臨界状態になると小さな点が元になって全部がバッと変わります。その時の前提条件は、物理学的にいうと構成要素が自由に動き回っている状態なんですね。
まだ新しい領域ですが社会物理学というものがあって、人間社会に置き換えると、個人が自由な状態になれば、臨界状態になって相転移が起こるというのが、僕が個人的に思っていることです。そうなるとスケールアウトなんていう話ではなくて、小さな点でドーンという変化が起こるはずです。
それを物理学でいうとフラクタルといって、典型的な大きさというのがない現象です。小さな変化というのは大きな変化と同じであり、相似形ということになっていくというのは、おそらく社会的にあり得るのでしょうけれども、日本はまだその前提条件がないと思っています。前提条件を作りさえすれば、ポタッという一滴の変化で、ドーンと変わるというのはあり得ると思います。
※フラクタル:自己相似性。全体像と図形の一部分が相似になる性質。
○教育の大転換が必要になる
枝廣:個人がもっと自由になる、その臨界状態をつくり出すために、働き方改革のように仕事に対する考え方が変わってきたり、副業を許すとか企業でもマインドフルネスをやりだしたりするといった少しずつ緩み始めている兆しは感じますが、そのあたりはどうやってほどいていったらいいんでしょうね。
太田:働き方改革というのはこれからもまだ続いていくと思います。あとはやはり、これも難しいとは思いますが、教育ですね。僕は、教育は大転換すると思っているんです。これまでのいわゆる「教えてもらう」というところから、「自分が学んで、自分が動いていく」というふうに転換していく、今、境目にいると思いますので、そこがたぶん一番大事な領域になるでしょう。
シンギュラリティ(技術的特異点)は2045年とか言われていますけれど、そのときの人はもう生まれているんですよね。今、小学校に入った子が働き盛りになるときにシンギュラリティを迎えるという話です。ですから、これから小学校や中学校の教育がどう変わるのかがすごく大事だと思います。
※シンギュラリティ:人工知能が人類の知能を超える転換点。または、それがもたらす世界の変化のこと。米国の未来学者レイ・カーツワイルが、2005年に出した"The Singularity Is Near"(邦題『ポスト・ヒューマン誕生』)でその概念を提唱した。
枝廣:働く人や企業はグローバルにもつながっているし、割と自由に動けますが、教育のほうがもっとがっちり固まっているイメージがあります。さらにそれを固めている文部科学省は一番変わっていないところですよね。NGOもいろいろな働きかけをしていると思うのですが、その中をほどいていくにはどこに希望をもったらいいでしょうか。
太田:僕は自分の領域のバイアスがかかっているかもしれませんが、リモートワークと同じように、テクノロジーがはいってきたときに子どもさんのことに関していろいろな人がつながっていくんですよね。今、総務省からはじまって、経済産業省と文部科学省で教育の情報化をやっていて、変わってきているところがあります。ただ日本の先生はものすごく忙しいので、先生がそのなかで疲弊しないようなことをやらなくちゃいけないというのが、いま次の段階です。
現場をみていると、うまくいっているところはこども同士で教え合っているんですね。先生は後ろからファシリテーションをしている。そのファシリテーションするところまでに、たぶんものすごく道があったんだと思いますが、教えるということを手放してしまえば、こども同士でやれるというのもあるようです。
僕は楽観的なのか、そういう世界に入ってしまえば、もし先生がパソコンもプログラミングも、というのが大変だったら、飼育係と同じようにIT係というのを作ってみて「はいIT係、準備して」と言って進めたら、ぐらいに考えているんです。ITに関してはすごく秀でた子がどのクラスにもいますから。ただそのあたりは教育委員会などの組織の中にいると変えていくことは難しいので、文科省で志がある方と今、一生懸命やっています。
○縮小する貨幣経済の鍵は「何を食べるか」と「どうやって死ぬか」
枝廣:いま私が書いている本のひとつに「地域経済をとりもどす」というのがあります。地域のいろいろな動きはあるけれど、やはり経済がしっかりしないといけません。日本全体で見るよりもそれぞれの地域がレジリエンスを高めていく。そういう意味で地域にすごく関心があるのですが、日本の地域を見ていらしてどんなことを考えていらっしゃいますか。
太田:さきほどの貨幣経済が拡大していく局面に対して、縮まっていくときに何が引っ張っていくかということですが、個人的には、「何を毎日食べるか」と「どうやって死ぬか」ということだと思っているんですね。
「何を食べるか」ということに関して、僕は食べることが好きなので、豊かな食事をしたいと考えます。その裏側の経済というのは今の効率化したものとは違うんだと思うんです。誰が作って、どういうふうにやりとりしているのかという流通が違うんだと思うんですね。それはおそらく効率よく作られたものが効率よく運ばれて、効率よく調理される、というのとは違う経済がまわっているはずです。そこに外からのリスク、為替変動だったりするものに対して強い経済があって、しかも「10年前にくらべて豊かだよね」というのを体感できるものだと思っています。
もうひとつ、「どうやって死ぬか」ということに関しては、近所付き合いも含めて、どういう交通手段を使っているのか、どこで余暇を過ごしているのか、などが変わっていった先に、たぶん「幸せに死ねる」があるのでしょう。
わかりやすくいうと、今、在宅死亡率は14%ですが、ものすごく地域差があるんですね。島根県の海士町では45%。同じ政令市でも3%みたいなところから、一番高いところで20%くらいとかなり異なります。地域医療とかコミュニティが違うんですね。自分が愛している人のなかで、安らかにというのがモチベーションになると思っていますが、そのとき付随している交通やインフラ、レクリエーションというのを経済というものに実体化していくと、今とまったく違う経済になるでしょう。
食べることと死ぬことというのはこれまでと違った意味で、"違う"経済に向かっていくときの牽引車になるのかなと思っています。
枝廣:「食べる」ということは前から言われているけれど、死生観含めて「死ぬ」ということはそんなには語られていないですよね。海士町は「海士で幸せに死ねる島」ということを言っていますが。太田さんが「死ねる」というあたりに着眼されたのはどんなところからだったんですか。
太田:歳だからですかね(笑)。僕はいろいろな数字を見るのが好きで、なぜこんなに在宅死亡率が地域によって違うんだろうと思ったのが一番のきっかけですね。考えたときに、やはり病院より家がいいなと思いますし、そうならないためにはその手前にすごく豊かな人間関係がないと家で死ぬのはあり得ないんだろうなと思いました。
そうするとそれは単に健康に気をつけるというだけではなくて、どういう交通手段を使っているのか、誰と普段話をしているのかとかが全部変わっていかないと、たぶん変わらないんだろうな、というあたりを考えたんです。
実はそういう目線でいうと、たとえば富山市が路面電車を使っているのは背景に同じような理由があって、歩いてください、交わってください、お孫さんと一緒にいけば買物券がもらえますよと、そんなことを考えている人が行政でもいるんですよね。これは、経済を、生活を、どんどん変えていくトリガー(引き金)になるのではないかということを、ここ1年くらい思っています。
※富山市の取り組み:森市長のインタビューにリンク
http://www.ishes.org/interview/itv07_01.html
枝廣:おもしろいですね。先ほどの、どんどん下り坂になっていったときのそれにかわる新しい価値のような、すごいお金持ちだけど効率の良い食べ物を食べて病院で死ぬのと、お金はあまり稼げないけれど、地域のものを食べて、みなに看取られて死ぬというのとどっちがいいかと聞いたら、みなに看取られてのほうがいいって多くの人はきっと答えますよね。
太田:それに気づくということ、まあ、おそらく死ぬときに気づくのだと思うんですよね(笑)。ですが、もうちょっと手前で気が付こうよ、というふうに、いろいろなきっかけができればいいなと思います。
僕は中学生くらいから自分が死ぬ時の想像というのを定期的にするくせがあるんですけど、だいたい悲惨なわけですよ。特に30代のときなんかは悲惨でした。仕事をやらなくてはいけないという葛藤もある。「こんなことではなかったのに」と思いながら死ぬことをもし事前に変えられるのであれば、それってすごいことですよね。
○経済と暮らし、そしてAI。選択できる世界をー
枝廣:今は経済が先にあって、それの範囲内で暮らしをどうつくるかという世の中ですが、こう生きたい、こう死にたいという暮らしがあって、それのための経済をつくっていく。経済と暮らしのどちらを先に考えるか。その考え方が違うんですね。
太田:ただ一方で僕はあんまりそれがドグマ(政治的決定や命令、教義)みたいになるとだめで、選択できたらいいかなあと思います。それはテクノロジーも同じで、テクノロジーを使わない、という選択もできたほうがいいと思いますし、あるいは自分はガンガン働いて、消費したい、というのもあってもいいかなと思っています。東京は2030年まではそうなるでしょう。変わるときというのは時間がかかるじゃないですか。
枝廣:選択できるというのは大事ですよね。去年、海士町でAIとロボットの話をしましたが、一番怖いのは何も考えないで無条件にいれてしまうことですよね。その時、例えば海士町は「AIいれない宣言」というのをしたらどう?という話になりました。本当に必要なところは自分たちで選んで取り入れるけれど、「AIフリー」みたいにしたら人が集まるかもしれないねという話をしていたんです。
○マインドセットを変えてすてきなことの連鎖をつくろう
枝廣:最後に、日本を変える、霞が関を変えるといった点についてもう一度お聞きしたいです。もともと心理学を学び、どう人を変えるかという勉強をされたことからでも、何かいいヒントはお持ちですか?
太田:そうですね、人間の判断というのはあやふやだということが僕の根本にあります。
その上ですごく大事だと思うのは、マインドセット(ものの見方や考え方、価値観など)を変えるということです。なぜ大事かというと、いろいろなことが連鎖していくためには自由にならないといけないからです。マインドセットが変わらないと、今起こっているすてきなことが世の中で連鎖していかないということです。
マインドセットは難しいようで簡単に変わることもあります。僕はキャリア的には大成功した人間かもしれませんが、夜寝ているとロクな死に方をしないと思いながら毎日生きてきたわけです。
それがいろいろあって、ダイアローグ・イン・ザ・ダークやお手伝いしていた経営者の寺子屋を通じて、今また違うことをやっている。振り返ると人からはすごく変わったと言われるんですね。なぜ変わったかというと、時間の使い方とか、人とどこで会うか、どこに行くか、というのを変えただけだったりもします。実は意外と小さなところでそういう変化がたくさん起こると、臨界状態みたいになっていろんな物事が変わっていく。変わるというのは割と単純なことなのかもしれません。
もう少し具体的に言うと、歌とか踊りで自分の行動や会う人が変わったりするきっかけがどこかで起こらないかなと僕自身いつも妄想しているんですよ。ちょっと知らない場所に行ってみようとか、明日は自分と違う価値観をもっている人と会おうとか、自分のマインドセットが変わるきっかけになる、行動の変化が起こる運動みたいなものは大事だと思います。難しいものはダメだと思うんですね。
枝廣:太田さんの人生のなかでも大きな変化が起こる可能性を感じていらっしゃいますか?
太田:それは感じていますね。いまちょうど、何かがバーンと変わる手前くらいにいると思っています。すごくおもしろい時代だと思います。
枝廣:またぜひその変化を聞かせてください。いろいろ楽しいお話をどうもありがとうございました。
<プロフィール>
太田直樹(おおたなおき)総務大臣補佐官
東京大学文学部卒業。英ロンドン大学経営学修士(MBA)。モニターカンパニー、ボストン コンサルティング グループ シニア・パートナーを経て現職。地方創生、ICT/IoTの政策立案・実行を補佐している。社会システム変容を支援するプラットフォームである「コクリ!プロジェクト」のアドバイザー、教育によって地方を変えることを目指す「一般財団法人地域・学校魅力化プラットフォーム」の評議員、多様性あふれる共生社会を食材ピクトと社会教育で実現することを目指す「特定非営利活動法人インターナショクナル」の理事も務める。
翻訳書:『いま起こりつつある"かすかな兆候"を見逃すな!-競争優位戦略の視座』(ジョージ・ストーク著、ファーストプレス、 2008年)